自分はどこにも不義(罪)はないと言い張ることがまさに罪そのものです

10月15日

「しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。」ヨハネ9:41b

 生まれながらの盲人が、イエス様の言葉に従い、シロアムの池に行って洗ったとき、目が見えるようになりました。当時の宗教家たちはそれが安息日であったことを口実に、自分たちを義なる者としてイエス様を不義なる者と非難したのです。自分はどこにも不義(罪)はないと言い張ることがまさに罪そのものです。人は誰一人「義人」はいません。自らのうちにある不義、罪咎を認めて、イエス様の言葉に従うことが救いです。(KE)

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です