6月8日
「神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである」。Ⅱコリント1:4
人生には様々な患難がありますが、その中で神様に祈り、力を受けて立ち上がります。主はそのような私達を、今度は慰めを持ち運ぶ器としてくださいます。受けた者は、与えられる喜びを知っているからです。(MK)
今日の通読箇所
6月8日
「神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである」。Ⅱコリント1:4
人生には様々な患難がありますが、その中で神様に祈り、力を受けて立ち上がります。主はそのような私達を、今度は慰めを持ち運ぶ器としてくださいます。受けた者は、与えられる喜びを知っているからです。(MK)
今日の通読箇所
6月7日
「主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。わたしの愛が、キリスト・イエスにあって、あなたがた一同と共にあるように」。Ⅰコリント16:23,24
パウロは各地の教会宛に多くの手紙を書きました。その最後を必ず、「主イエスの恵みがあるように」、と締めくくります。どんなに篤い思いがあっても、私達が人に対してできることは限られています。しかしイエス様の祝福を祈ることは、いつでも、どこでもできます。(MK)
今日の通読箇所
6月3日
「しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである」。Ⅰコリント15:10a
別の訳には「神の恵みによって、私は今の私になりました。」とあります。生かされているというだけでなく、成長させてくださる神様の恵みが語られています。私達は終生、発展途上ですが、今日までお守りくださった神様が、この先も導き恵んでくださるとの希望が、このみ言葉からキラキラとこぼれ落ちてくるようです。(MK)
今日の通読箇所
6月2日
「神は無秩序の神ではなく、平和の神である」。Ⅰコリント14:33
多様性の時代と言われる今日。様々な考え方や生き方があるのは周知の事実です。しかし「自分は自分」と身勝手に振る舞うのではなく、思いやりを持って行動するように、とこの箇所は語ります。神様は一人ひとりに 対し、四角四面の御利益ではなく、オーダーメイドの祝福を与えて下さるお方です。私達も天の父に倣って歩 みましょう。(MK)
今日の通読箇所
6月1日
「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」。Ⅰコリント13:4-7
ここに記されている「愛」を「キリスト」と読み替えると、実にピッタリです。このイエス様の完全な愛によって、今日も私達は生かされているのです。(MK)
今日の通読箇所
5月31日
「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』と言うことができない」。Ⅰコリント12:3b
弟子達はイエス様のなさる奇跡を、何度も目撃していました。彼らはイエス様が特別な方だと知っていましたが、復活を直ぐに信じることは出来ませんでした。特別な体験も、ありふれた日常も、聖霊の力によってのみ、神様の業であると信じることが出来ます。主の十字架が神様の愛の業であると信じる力もまた、ひとえに聖霊によるものです。 (MK)
今日の通読箇所
5月30日
「目を高くあげて、だれが、これらのものを創造したかを見よ。主は数をしらべて万軍をひきいだし、おのおのをその名で呼ばれる。その勢いの大いなるにより、またその力の強きがゆえに、一つも欠けることはない」。イザヤ40:26。
目を高くあげるとは、だれの作品であるかをみることです。私たちの身の回りの事は、小さな事から大きな事まで、すべてが主のみわざであり、主の作品です。何ひとつ、私たちの力で造り出したものはありません。そして、その神様はすべてをみこころのままに持ち運んで下さるのです。一つも欠けるものはありません。(IK)
今日の通読箇所