十字架の悲しみは知ることは出来ません

4月9日
「しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ」。イザヤ53:5a

 本来、わたしたちが受けるべき呪いと刑罰でありますが、私たちに代わって主が、しかも罪なき神の子でありながら、十字架を受けてくださったのです。父なる神様はどれほど深い悲しみであったか、到底知りつくすことは出来ません。何をもって主のご犠牲に報いることができるでしょうか。(KE)

今日の通読箇所

歴代志 上 3章

ペテロの第二の手紙 3章

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