主を求めるのは、幸いなことでしょう

5月26日

「神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ」。詩篇42:1

 手負いの鹿は最後の水を求めて、危険をもいとわず流れを捜すと言われます。それほどの渇きをもって、主を求めているでしょうか。片時も離れることができないほどの渇望を抱いて、主を求めるならばどんなに幸いなことでしょう。憂鬱な心、無気力な心、何も楽しめない心を癒し、活力を与えてくれるものは、御言葉を通して注がれる主の命です。(KE)

今日の通読箇所

歴代志 下 21章

マタイによる福音書17章

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