何もかも確かだとなって始めるのではありません。

6月16日

「信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。」 ヘブル11:8

信仰に生きるのは「石橋を叩いて渡る」生活ではなく、神様を知らない人から見ると無謀な冒険的な生き方に見えるでしょう。予算を組み、スケジュールを立て、根回しも終り、何もかも確かだとなって始めるのではありません。「行き先を知らない」で、ただ神様の約束を信じて踏み出すとき、道なきところに道が備えられ神様の祝福を受けるのです。(KE)

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