神様が目をとめられるのは結果ではなく、動機や過程(プロセス)です

1月7日

「そういうわけだから、肉体を宿としているにしても、それから離れているにしても、ただ主に喜ばれる者となるのが、心からの願いである。」第二コリント5:9

 私たちの存在理由はいろいろあるでしょうが、なによりも大切なのはこの言葉にあるように、「主に喜ばれる」ためです。世間では行為やわざの結果をみて、その値打ちによって存在価値を計ろうとしますが、神様が目をとめられるのは結果ではなく、動機や過程(プロセス)です。今日、あなたが生きるのは「主に喜ばれる」ためであることを忘れないでください。(KE)

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