動機が「自発」でなければ神様の喜ばれるものとなりません

5月7日

「各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。」第二コリント9:7

 神様が私たちに求められるのは、どんなことにあっても「自発」のわざであることです。強いられたり、義理や人情に流されてすることを主は徹底して排除されます。それが当然なすべきことであっても、その動機が「自発」でなければ神様の喜ばれるものとなりません。しかも、自発の思いの中に主の愛への応答であることが不可欠です。主の喜ばれる道を歩んでください。(KE)

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