畏敬という言葉によって表された思考や感情、情緒が失われたように思われます

7月10日

「愚かで、悟りもなく、目があっても見えず、耳があっても聞こえない民よ、これを聞け。主は言われる、あなたがたはわたしを恐れないのか、わたしの前におののかないのか。」エレミヤ5:21-22a

 “畏敬”あるいは“畏敬の念”という言葉は、近頃使われない言葉の一つではないでしょうか。言葉がなくなるにつれて、それによって表された思考や感情、情緒が失われます。神に対する人の感覚が鈍感になり、神様に抱く思いが変わったように思われます。今こそ絶対者であり、全能者なる神様への真剣な心を取り戻すときです。(KE)

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