10月12日
「そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。」第二コリント12:7
これさえなければというものを人は必ずもっています。聖徒パウロもそうでした。それはサタンのわざのように見えますが、その背後に神様のみこころがあるのです。そのことによって私たちが謙遜になるためです。それがなかったら、高慢になって罪を犯すことを神様はご存知なのです。その「とげ」のゆえに守られていることを感謝しましょう。(KE)
10月12日
「そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。」第二コリント12:7
これさえなければというものを人は必ずもっています。聖徒パウロもそうでした。それはサタンのわざのように見えますが、その背後に神様のみこころがあるのです。そのことによって私たちが謙遜になるためです。それがなかったら、高慢になって罪を犯すことを神様はご存知なのです。その「とげ」のゆえに守られていることを感謝しましょう。(KE)