4月2日
「彼らが出て行くと、シモンという名のクレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に負わせた」。マタイ27;32
クレネ人シモンはイエス様の連行される場に偶然いました。力尽きて倒れ込む主の代わりに、彼が十字架を負うたのです。図らずも引き受けざるを得なかった彼にとって、迷惑千万だったと思います。しかし、主が担って下さる十字架は、本来私たちが負うべきものでした。今与えられた事態が気に入らなくても、自分が引き受けざるを得なくなったとき、それが主に従う時です。なぜなら、私達が負うべき十字架を主は担って下さったのですから。(KE)