愛は人が思うほど単純で軽いものではない

8月31日

「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある」。第一ヨハネ4:10

 「愛」という言葉ほど、多くの人が憧れる言葉はないでしょう。しかし、真の愛は人が思うほど単純で軽いものではありません。その具体例を神様は見せてくださいました。それが十字架の死です。ご自分に敵対する私たちのために命を捨ててくださったのです。このように隣り人を愛せよと言われます。あなたの愛はどんなものでしょうか。(KE)

今日の通読箇所

エゼキエル書48章

ヤコブの手紙2章

神は信頼する者を必ず恵んでくださいます

8月30日

「わたしは苦しまない前には迷いました。しかし今はみ言葉を守ります。あなたは善にして善を行われます。あなたの定めをわたしに教えてください。」。詩篇119:67-68

 人生に悩みや苦労は付き物です。しかしその道を通ってこそ、私達はイエス様に出会えました。問題の渦中にある時、それ自体を喜ぶのは困難ですが、神様は信頼する者に善き実を備え、必ず恵んでくださいます。なぜなら主は、善い業しかなさらない善いお方だからです。 (MK)

今日の通読箇所

エゼキエル書47章

ヤコブの手紙1章

神様は私に何が必要であるかをご存知です

8月29日

「そのみ手のわざは真実かつ公正であり、すべてのさとしは確かである」。詩篇111:7

 人の生涯を見ていくとき、不平等だと言いたくなるようなことに、度々遭遇します。しかし平等と公正は違うのだそうです。平等はどんな人に対しても、同じ物を同じように分配すること。対して公正は必要な人に必要な物を分配すること。神様は私達一人ひとりに、何が必要であるかをご存知です。その上で、きちんと帳尻を合わせてくださるお方です。(MK)

今日の通読箇所

エゼキエル書46章

へブル人への手紙13章

神様は、敵を目の前に宴を開かれるのです

8月28日

「あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます」。詩篇23:5

 人は不測の事態に陥ると、たちまち慌てふためきます。しかし神様は、敵が目の前に迫ってきているのに、そこで宴を開かれるというのですから豪快この上ありません。どんな中でも、いかようにも事を動かすことが出来る神様ならではです。この方が私達の牧者なのですから、まさに乏しいことはありません。(MK)

今日の通読箇所

エゼキエル書45章

へブル人への手紙12章

造り主のすべてを知ることはできません

8月27日

「あなたがたは、わたしをだれにたぐい、だれと等しくし、だれにくらべ、かつなぞらえようとするのか」。イザヤ46:5

 神様は広大無辺な方です。その姿形をすべて見きわめることができません。しかし、人は愚かしくも被造物なるものが造り主のすべてを知りつくそうと、様々な姿形を多様な材料で仕上げたのが偶像と言われるものです。どんな事をしても、神様のすべてを表すことはできません。ただ一つ、あなたが神様を信じるか、信じないか、です。(KE)

今日の通読箇所

エゼキエル書44章

へブル人への手紙11章

神様には何一つ隠し立てができないのです

8月26日

「主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。あなたはわがすわるをも、立つをも知り、遠くからわが思いをわきまえられます」。詩篇139:1-2

 イエス様は世の終りまで共にいると言われます。それは嬉しいことですが、同時に私たちのすべてを見て、聞いておられることにほかなりません。神様には何一つ隠し立てができないのです。私たちの心の隅々まで、言葉にならない先から、すべての思いを知っておられるのです。となれば、ここは居直って、主のみ前にぶっちゃけようではありませんか。心のすべてを。(KE)

今日の通読箇所

エゼキエル書43章

へブル人への手紙10章

主のみ声に従う民は、まさにあなたです

8月25日

「イスラエルよ、主によって望みをいだけ。主には、いつくしみがあり、また豊かなあがないがあるからです」。詩篇130:7

 イスラエルとは神の民、すなわち御子の血によって清められ、内住の主のみ声に従う民のことです。それはまさにあなたです。人は望みがなければ生きることができません。しかし、主の民にとって、よみがえりの主と共に生きる時、常に永遠の命を望み見ることができます。(KE)

今日の通読箇所

エゼキエル書42章

へブル人への手紙9章

神は私達の重き荷を負うて下さる約束です

8月24日

「日々にわれらの荷を負われる主はほむべきかな。神はわれらの救である」。詩篇68:19

 家康の遺訓に、「人生、重き荷を負うて、遠き道を行くがごとし」という言葉があります。だから、急がずゆっくり行けと彼は言いますが、重荷を代わってあげようとは言われません。しかし、神様は日々私たちの重き荷を負うてくださるとの約束です。だからこれが救いです。今日も主はあなたの重荷を負うてくださいます。あなたの重荷をすっかり委ねてください。平安が得られます。(KE)

今日の通読箇所

エゼキエル書41章

へブル人への手紙8章

悲痛な中でも奮い立たせて賛美を捧げます

8月23日

「しかしイスラエルのさんびの上に座しておられるあなたは聖なるおかたです」。詩篇22:3

 この節の前には、神様を見失いかけた筆者の、悲痛な嘆きが謳われています。けれども彼はそのような中でささげる細き賛美をも、主は御自身の栄光の御座としてくださると信仰を持ち、自らを奮い立たせて賛美をささげます。賛美のうちに彼の心は燃え、もはや冒頭の嘆きは見る影もなくなります。これこそ私達に与えられた、賛美の恵み、また力です。(MK)

今日の通読箇所

エゼキエル書40章

へブル人への手紙7章

私達に目を留めるとは、驚くべきことです

8月22日

「わたしは、あなたの指のわざなる天を見、あなたが設けられた月と星とを見て思います。人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか」。詩篇8:3-4

夏の空にもくもくと張り出した積乱雲。夜空に浮かぶ煌々とした月や星。これら全てを造り、秩序正しく運行しておられる全能者が、一被造物に過ぎない私達に目を留めてくださるとは、何と驚くべきことでしょうか。何と感謝なことでしょうか。(MK)

今日の通読箇所

エゼキエル書39章

へブル人への手紙6章