人には霊が宿っていることを知るべきです

5月27日

「この地上には、永遠の都はない。きたらんとする都こそ、わたしたちの求めているものである」。ヘブル13:14

 私たちは体も生活も、ことごとく世にあるものは失われる有限な存在です。それですべてが終わるとすれば、何と虚しいことではないでしょうか。人にはもう一つ無限の存在である霊魂が宿っていることを知るべきです。魂は昔も、今も、また永遠の将来まで滅びることがありません。有限なるものが永遠なるものを求めて生きるのが人の人生です。(KE)

今日の通読箇所

エレミヤ書9章

ローマ人への手紙6章

人の言葉は、命をすら奪う力があります

5月26日

「口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである」。マタイ15:11

 私たちは食べるものを吟味して、体に良いものを選びます。しかし、人の口から出るもの、様々な言葉、悪口雑言、非難中傷等々は、人の命をすら奪う力があります。不用意な言葉で傷つけ合う事の無いように、口に門守を置けと言われます。自分の口を治めることができるように聖霊の導きを求めましょう。(KE)

今日の通読箇所

エレミヤ書8章

ローマ人への手紙5章

神様に悔い改め、隠し事を持たない事です

5月25日

「だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない」。マタイ10:26

 神様は隠れた所に居られて、隠れたことを見ておられます。人がどんなことをしても、神様に見られないようにはできません。そればかりか、どんなに厳重に隠しても、必ず白日の下に曝されます。であれば、隠すより、神様の前に悔い改め、心に隠し事を持たない事が肝心です。今日も軽やかな心で過ごしたいものです。(KE)

今日の通読箇所

エレミヤ書7章

ローマ人への手紙4章

主を愛し崇める思いをご覧になります

5月24日

「しかし主はサムエルに言われた、『顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る』」。サムエル上15:7

 見た目や、その場限りの言動ならば、それなりに取り繕うことは可能でしょう。しかし神様は整って見える行いの中にも、主を愛し崇める思いがあるかどうかをご覧になります。今日も祈りつつ御霊に満たされ、喜んで主に仕えることができますように。(MK)

今日の通読箇所

エレミヤ書6章

ローマ人への手紙3章

心が主に向いているかどうかを問われます

5月23日

「今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか。もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい」。ガラテヤ1:10

 人の称賛は私達の心を喜ばせますが、評価を気にするあまり生き方が本質から外れたり、窮屈な思いをするのでは本末転倒です。神様は結果ではなく、心が主に向いているかどうかを問われます。この方の報いをこそ求めて歩みましょう。(MK)

今日の通読箇所

エレミヤ書5章

ローマ人への手紙2章

主は、あなたは私の目に尊いと言われます

5月22日
「あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛するがゆえに、あなたの代りに人を与え、あなたの命の代りに民を与える」。イザヤ43:4

 自分自身を見るならば、あれも出来ない、これも不足していると減点ばかりが目に付きます。しかし私達の創造主は、あなたはわたしの目に尊いと言われます。これ以上に価値のある評価はありません。今日も主からの愛を自信として生きようではありませんか。(MK)

今日の通読箇所

エレミヤ書4章

ローマ人への手紙1章

神から力を頂かなければ何も出来ない

5月21日

「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう」。ヤコブ4:8a

 神様は全能者であり、万物をみ心のままに動かされる方です。一方、私たちは被造物で、神様から力や知恵を頂かなければ、何ひとつ出来ない罪人です。しかし、主は憐れんで、御子の犠牲をもって、すべてをゆるし、御許に招いておられます。神様からの恵みを受けるために、まず行動を起こすのは、あなたです。へりくだって、主を求めてください。(KE)

今日の通読箇所

エレミヤ書3章

使徒行伝28章

身代りとして御子を世に遣わされたのです

5月20日

「地とそれに満ちている物とは、主のものだからである」。第一コリント10:26

 森羅万象すべては神様のものです。それを勝手に切り分けて、自分の物としています。私たち自身も神様の物であります。神様の御手から落ちこぼれたものはありません。だから、私たちの身代りとして御子をも惜しまず、世に遣わされたのです。自分が主のものであることを自覚して感謝しつつ、今日も御手に握られて生きてください。(KE)

今日の通読箇所

エレミヤ書2章

使徒行伝27章

神は私達をもう一度生きる者にしたのです

5月19日

「夜はふけ、日が近づいている。それだから、わたしたちは、やみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか」。ローマ13:12

 本来人は神様の光の中で喜び、楽しみ、感謝に溢れた日々を過ごす者でした。しかし、罪の結果、神様から離れて、闇の中で生きる者となったのです。神様は死んだものである私たちをもう一度生きる者にしようと、御子によって救いを完成して下さったのです。間もなく主は再び来られます。その時が夜明けのときです。(KE)

今日の通読箇所

エレミヤ書1章

使徒行伝26章

人は生きよとの主の言葉によって生まれた

5月18日

「わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである」。ローマ14:8

 誰ひとり、自分で生まれた者はいません。すべての人は「生きよ」との主の言葉によって生を受け、生きる者となったのです。両親は神様の道具として用いられたのです。当然、人の終りも、神様のみ心に従ってこの世での命は終わります。あなたが認めようと、認めまいと、神様に握られているのです。今日の一日も神様が造られる者であると覚えてください。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書66章

使徒行伝25章