1月3日
「そしてヒゼキヤはひどく泣いた」。イザヤ38:3b
ヒゼキヤ王は死の病に侵され、死が間近に迫っていました。この時、恥も外聞もなく、壁に向かって主に祈りました。それほど、彼の祈りは切羽詰まっていたのです。一方、私たちの祈りはどうでしょうか。聞かれてもよし、聞かれなくてもよし、と言った、生ぬるいのではないでしょうか。このとき、神様は「あなたの涙を見た」と言われ、余命を伸ばしてくださいました。祈りの勝利です。(KE)
今日の通読箇所
1月3日
「そしてヒゼキヤはひどく泣いた」。イザヤ38:3b
ヒゼキヤ王は死の病に侵され、死が間近に迫っていました。この時、恥も外聞もなく、壁に向かって主に祈りました。それほど、彼の祈りは切羽詰まっていたのです。一方、私たちの祈りはどうでしょうか。聞かれてもよし、聞かれなくてもよし、と言った、生ぬるいのではないでしょうか。このとき、神様は「あなたの涙を見た」と言われ、余命を伸ばしてくださいました。祈りの勝利です。(KE)
今日の通読箇所
12月30日
「わたしが世のものでないように、彼らも世のものではないからです」。ヨハネ17:14b
イエス様に救われた者たち、すなわちクリスチャンはこの世から掘り出されたものです。丁度、主が神の位を捨てて、世に降ったのと逆で、世のものであった私たちが天に上げられ、御国の民としての身分を与えられたのです。今なお世にあるのは、天より遣わされたものとなったのです。この世の悪に染まらず、しきたりや習慣に倣わず、天からの指図に従うのが私たちの使命です。この事をしっかり自覚してください。(KE)
今日の通読箇所
12月29日
「わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である」。ヨハネ14:21a
「愛」という言葉にどれほど多くの人が振り回されてることでしょう。愛が何であるか、人それぞれの考えるところが違っています。イエス様は、愛するとはその人の言葉を守る人のことだと。確かに、物のやり取りや、口先だけの美辞麗句には、愛の欠けらもありません。言葉を守るとは全人的に相手を受容することにほかなりません。聖書の言葉は主の言葉、まずはこれを守りましょう。(KE)
今日の通読箇所
12月28日
「心おののく者に言え、『強くあれ、恐れてはならない。見よ、あなたがたの神は報復をもって臨み、神の報いをもってこられる。神は来て、あなたがたを救われる』と」。イザヤ35:4
人事百般を含めて、神様は細大漏らさず見て、聞いて、知っておられます。そればかりか、神の義をもって裁き、報いてくださるのです。自分で事を始末しようとすると、神様は手を引かれます。事の済むまで、忍耐して主の裁きと報いとを信じて待ち望みましょう。(KE)
今日の通読箇所
12月27日
「また、あなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで『これは道だ、これに歩め』と言う言葉を耳に聞く」。イザヤ30:21
「御霊の言うこと」にしたがえと、しばしば聞くところです。また主は聖霊を送ると約束をし、ペンテコステの日に実現しました。今は聖霊の時代、霊なる主はいつも私たちと共に居て、御心を行わせてくださいます。そのためには、主の御声を聞き分けることが大切です。日々の生活にあって、様々な声が聞こえます。惑わされず、主の声を聞いて従ってください。(KE)
今日の通読箇所
12月26日
「あなたは全き平安をもって、こころざしの堅固なものを守られる。彼はあなたに信頼しているからである。とこしえに主に信頼せよ、主なる神はとこしえの岩だからである」。イザヤ26:3-4
「初志貫徹」と、世間でも言われますが、信仰生活もまた同じです。神様は私たちが信頼する度合いに応じて答えてくださいます。ところが、人は弱くて、移り気ですから、最後まで貫き通すことができずに終わります。それでは神様の恵みを受けそこないます。神様は岩のごとく不動のお方です。(KE)
今日の通読箇所
12月25日
「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである」。ルカ2:11
2024年のクリスマスおめでとうございます。
神の御子である主が、人の世に来てくださった日、誕生日です。しかし、主の来臨の目的が人の世の罪を除くため、ご自分の命を捨てるためであると知るなら、気軽に喜び楽しむわけにはいきません。主はあなたにとって、真の救い主でしょうか。自分が何から救われなければならないのか、内なるものを探って、心からご降誕を喜ぶ者となってください。(KE)
今日の通読箇所