イエス様のことを思うなら、耐え忍ぶことができます

4月15日
「おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた」。ピリピ2:8

イエス様は神の位に居られた方、神ご自身と言っても間違いない方です。そのような方がこの汚れた人の世に下って、人となって住んでくださったのです。そればかりか、私達罪人の身代りとなり、十字架に父なる神様の怒りと裁きを受けてくださったのです。この方のことを思うなら、どんなに苦しく、つらくても耐え忍ぶことができます。主の受けられた苦しみを深く感謝して、今日も耐え忍んで生きようではありませんか。(KE)

播いたものは必ず結果となります

4月14日
「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」。ガラテヤ6:7

厳粛な言葉です。確かに、コメを播いて、麦を刈り取ることは決してありません。人はその播いたものしか、刈り取ることができません。私達の日々のわざには、必ず刈り取る時が備わっています。その収穫が明日であるか、十年先であるか、これは分かりませんが、しかし、播いたものは必ず結果となります。なぜなら、万物を支配される神様がすべての事を持ち運んでおられるからです。(KE)

神様の憐れみによって選ばれたのです

4月13日
「すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである」。第一コリント1:28

イエス様による救いはすべての人に開かれています。ところが、主を求めてくる人の何と少ない事か。今、あなたがイエス様を神の御子、救い主と信じて、平安と望み、感謝と喜び、力と知恵に満たされておられるなら、なんと幸いなことでしょうか。このような恵みを受けたのは自分の努力や力によってではなく、神様の憐れみによって選ばれたのです。しかも、選ばれる理由は、無きに等しい者だからです。感謝。(KE)

神様の存在は結果に見ることが出来ます

4月12日
「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである」。
ローマ1:20a

残念ながら、人と人とが相対するように、神様と正面切って向き合うことは出来ません。神様の全体を見ることはできません。なぜなら、私達は被造物、造られたものであり、神様は造物主です。ただ、神様の存在は結果に見ることが出来ます。森羅万象、被造物をつぶさに見るとき、神様のわざというほかありません。身近な自分の体を見ても、不思議が詰まっています。(KE)

どこにでも、共にいてくださるとの約束です

4月11日
「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。マタイ28:20

イエス様はよみがえられた後、40日にわたって、多くの人々にご自分が生きておられることを証しました。その後、弟子たちが見守る中、天に引き上げられて人の目には見えなくなりました。地上での終りのとき、主が語られたことがこの言葉です。物質的な存在としては消えましたが、霊的な存在としていつでも、どこにでも、共にいてくださるとの約束です。今も、あなたのそばに主がおられ、しかも、あなたのことをすべて知っています。(KE)

見えないもののあることを取り敢えず受けいれましょう

4月10日
「イエスは彼に言われた、『あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである』」。ヨハネ20:29

人は自分の目で見、手で触り、体験しなければ信じようとしません。客観的に実証可能な事だけが真実だと思っていますが、そのような捉え方はごく最近の傾向です。見えない霊的な世界、証明不可能な事象がある事を忘れてはなりません。見えるものの背後に、見えないもののあることを取り敢えず受けいれましょう。あなたの世界が広がります。(KE)

よみがえりを信じるとき、あなたの魂が命に満たされます

4月9日
「イエスは彼女に言われた、『わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる』」。ヨハネ11:25

今日は主のご復活の記念の日、イースターです。弟子たちは主がよみがえって生きておられることを知って、大変喜びました。その喜びはイエス様を信じる私たちの喜びでもあります。もし主が甦らなかったら、私達の信仰はないに等しい、無意味なものです。しかし、肉体が死滅することは当然ですが、よみがえりを信じるとき、あなたの魂が命に満たされます。キリストの霊があなたを包んでくださるから。(KE)

よみがえって生きておられることこそ、私達の望みです

4月8日
「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ」。ルカ24:5-6

主は十字架に掛けられ、命を絶たれました。死の闇に沈んでしまわれたのです。もし、そのままに陰府におかれているならば、神様の力は無に等しい。神様の力より人の罪の力が強いはずはありません。陰府(よみ)の力を撃ち砕いて、よみがえって生きておられることこそ、私達の望みです。今、あなたがどんなに深い失望の中にあろうと、甦りの神の力ははるかに強いからです。(KE)

この世の人々を救うために、十字架に捧げてくださいました

4月7日
「そのとき、イエスは言われた、『父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです』」。ルカ23:34

十字架に掛けられたとき、最初に語った主の言葉です。ご自分の使命、十字架の目的などを端的な言葉で語っています。主は罪にまみれたこの世の人々を永遠の滅びから救うために、神の位を捨て、人の世に住んでくださいました。そして、罪の代償としてご自分を十字架の祭壇に捧げてくださいました。この故に、御子を信じる者は罪なき者とされ、永遠の御国を継ぐ者となるのです。感謝。(KE)

あなたがユダであったら、何と答えますか

4月6日
「イエスを裏切ったユダが答えて言った、『先生、まさか、わたしではないでしょう』。イエスは言われた、『いや、あなただ』」。マタイ26:25

最後の晩餐の席で、主はご自分を裏切ろうとする者がいると言われます。弟子たちはいったい誰だろうとざわめき、口々に「わたしではない」と言い募ります。ユダも直接主に問います。主ははっきりと「いや、あなただ」と言われました。あなたがユダであったら、何と答えますか。残念ながら、彼は悔い改めの時を逃し、サタンの手に振り回され、自死へと落ちていきます。厳粛な思いがします。(KE)