死んでからのことに備えているでしょうか

11月15日
「からだの訓練は少しは益するところがあるが、信心は、今のいのちと後の世のいのちとが約束されてあるので、万事に益となる。」第一テモテ4:8

あなたは将来のことについて、用意周到な準備をするでしょう。ところが、死んでからのことに備えているでしょうか。勿論、葬儀や墓のことではありません。「後の世のいのち」に対する備えです。いつでも、希望をもって死を迎えることができるよう、信仰をしっかりと持って生きることを励みましょう。(KE)

いのちを捨てるのは、主の愛を知るためです

11月14日
「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。」第一ヨハネ3:16

「子を持って知る親の恩」と言いますが、同様に、神様の愛を知るにも、主がいのちを捨ててくださったように、私達もいのちを捨てることが必要です。兄弟のためにいのちを捨てるのは、主の愛を知るためです。主と同じ道を歩むとき、主の愛に触れるのです。(KE)

イエス様の力によって、あなたは生かされているのです

11がつ13日
「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。」ガラテヤ2:20a

イエス様を信じるとは、自分で生きることを放棄することです。イエス様が死から甦られた力によって、あなたは生かされているのです。イエス様があなたに、このこと、あのことをさせておられると信じるとき、これまでの生き方、考え方、全てが変わってきます。今日も、あなたのうちにキリストが生きておられて、全ての業を導いてくださるのです。(KE)

神様は多くのことを求めることをなさいません

11月12日
「主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。」ミカ6:8b

神様は人に対して、捧げ物や犠牲、献身的な奉仕など、多くのことを求めることをなさいません。人に頼らなければならない神ではないからです。ただ、神様が人に求めておられることは、神様を信頼して、正しい歩みをなし、主から受けた慈愛を感謝し、謙遜に生きることだけです。今日も、主と共に歩みましょう。(KE)

あなたの仕事の、家庭の、あなた自身の主は誰でしょう

11月11日
「わたしは神である、今より後もわたしは主である。わが手から救い出しうる者はない。わたしがおこなえば、だれが、これをとどめることができよう。」イザヤ43:13

神様はご自分を「主」と呼んでいます。「主」とは、すべての中心、支配者ということでしょう。あなたの仕事の主は誰ですか? あなたの家庭の主は誰でしょう。あなた自身の主は誰でしょう。実は、これらすべての中心にあって、事を支配しておられるのが神様です。今日の一日も、「主」に従う僕となりましょう。(KE)

神様の偉大さ、栄光が明らかにされるからです

11月10日
「悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう。」詩篇50:15

神様はわたしたちが呼び求め、頼りとすることを喜ばれます。それによって、神様の力と知恵が現され、神様の偉大さ、栄光が明らかにされるからです。悩み苦しみがある者に、呼び求め、頼りにせよ、と言われるのですから、こんな心強いことはありません。どうぞ、あなたも、悩みの時、苦しみの時、遠慮なく神様を呼び求めてください。必ず、結果がでます。(KE)

与えることに喜びを感じるようになれば幸いです。

11月9日
「与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。」ルカ6:38a

まず相手がしてくれれば、自分もそうしてやろうと思いやすいものです。そこには受けることを中心にした思いが支配しています。そうであるかぎり、してもらっても、そのようにするとはかぎりません。基本的な心の有り様を変えることが必要です。まず「与える」こと、してあげることを中心にした思いに変わることです。報いを期待せずに、してあげることに喜びを感じるようになれば幸いです。(KE)

神様の恵みをどれほど切実に求めるか、神様は願っています

11月8日
「すると女は言った、『主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます』。」マタイ15:27

イエス様はカナンの女が救いを求めましたが、それを拒まれました。彼女があきらめずに、主に答えた言葉です。真剣に、必死に求める姿勢に、主は答えて、願いを叶えて下さいました。神様の恵みをどれほど切実に求めるか、あなたの心を知りたいと、神様は願っています。彼女の徹底的にへりくだった姿勢にならいたいものです。(KE)

イエス様のみ声を聞きたいと、耳を傾けなければ聞けません

11月7日
「そして言われた、『聞く耳のある者は聞くがよい』。」マルコ4:9

耳に障害がないかぎり、音を聞く耳はだれにでもあります。しかし、人の耳は不思議に出来ていて、聞こうと思うと聞こえますが、そうでなければ聞こえません、鼓膜に音は届いていても。イエス様のみ声を聞きたいと、耳を傾けなければ聞けません。また、聞くことは悟ることも含まれます。まずは真剣に聞こうとすることが大切です。イエス様は今日もあなたに語ってくださいます。聞き逃さないように。(KE)

主が絶えず問われるのは、あなたはどうかということです

11月6日
「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい。」ヨハネ8:7

イエス様が姦淫の現場で捕らえられた女を糾弾する人に答えて言われた言葉です。自分の罪を棚に上げて、他人のことをあれこれ言うほどおかしなことはありません。「他人の振り見て、わがふり直せ」と世間でも言います。まず自ら同じ事をしていないかを吟味すべきです。主が絶えず問われるのは、他人はどうであれ、あなたはどうか、ということです。自分を省みようとしない人が正義を振り回すのです。(KE)