10月26日
「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな。」ヨブ1:20
ヨブが試みに会い、家族や財産を失ったとき、語った言葉です。彼は神様が主権者であることを認めました。人は家族、財産、仕事、地位、名誉など、世につけるものを取り去るとき、裸一貫になります。そのときこそ、その人が何をより所としているか、何を頼りにしているか、真価が問われます。人生には必ずそのような時があります。あなたは何と答えますか。(KE)
10月26日
「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな。」ヨブ1:20
ヨブが試みに会い、家族や財産を失ったとき、語った言葉です。彼は神様が主権者であることを認めました。人は家族、財産、仕事、地位、名誉など、世につけるものを取り去るとき、裸一貫になります。そのときこそ、その人が何をより所としているか、何を頼りにしているか、真価が問われます。人生には必ずそのような時があります。あなたは何と答えますか。(KE)
10月25日
「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである。」エレミヤ17:10
神様はあなたの心を探り、考えること、思うことが何であるかを知り尽くしておられます。何だか怖いようですが、決して懲らしめたり、罰するためではありません。あなたを愛して下さる主は、あなたに報いて下さるためです。言葉に言えない思いまで知り尽くして応えてくださる方に、全てを打ち明けて、委ねましょう。(KE)
10月24日
「主は天から見おろされ、すべての人の子らを見、そのおられる所から地に住むすべての人をながめられる。」詩篇33:13-14
この世での人間関係は前後左右など、水平の関係ですが、神様と人との間は、上と下、天と地との関係です。水平方向での移動や交替は容易ですが、人がどんな事をしても、天にある神様に肩を並べることは不可能です。天に住まわれる神様はあなたの全てを知っておられ、隠すこともできません。だからこそ、天に救いがあるといえます。(KE)
10月23日
「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」詩篇119:71
苦しみに会うことは嫌なことですが、人はそれを受けることによって知恵を得ることも確かです。人が人としての生き方をしなければ、生きる値打ちがありません。楽な道、事のない人生ほど味気ないものはないでしょう。どんな困難であっても、その中で、自分が創造の目的に適うよう造りかえられることを願い、積極的に受けて生きようではありませんか。(KE)
10月22日
「わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。」第二コリント5:7
生きることは常に選択と決断が求められます。熟知していること、経験したことであれば、自信をもって容易に決断できますが、人生での決断は、未知なこと、不明なことについて下さねばなりません。だから、不安と恐れが伴うのです。しかし、神様の存在と力、神様の業を信じて踏み出すとき、あなたは確かな安心と望みを得られます。これが信仰に歩むことです。(KE)
10月21日
「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。」第二コリント6:2
人に許されている時は「今」しかありません。過去の時は過ぎ去ったものです。未来の時はまだ不確定です。果たしてその時に生きているかどうかわかりません。常に、“いま”という時の中に生きているのです。最悪と思われても、今を最善と信じなければ、恵みのときはほかにありません。過去を振り返ってあこがれても虚しいことです。いつも、「今」を自覚して、感謝し、喜ぼうではありませんか。(KE)
10月20日
「るつぼによって銀をためし、炉によって金をためす、人はその称賛によってためされる。」箴言27:21
金銀は高熱の炉によって精錬され、朽ちない貴金属に仕上げられます。人の真価を問われるのは、艱難や困難に遭うことではなく、むしろ心地よい称賛によります。多くの人から褒められて、お天狗になり、努力を忘れ、自堕落になる人がいます。それだけの値打ちというだけのことです。逆に、ますます謙遜になり、精進するものはいよいよ尊ばれる事になります。(KE)
10月19日
「どうか、わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さることができるかたに、…」エペソ3:20
私たちは自分の浅はかな知恵・知識で考え得ることが、最善にして最高だと確信しています。しかし、神様は人の思うところ、願うところよりも、もっと想像のつかない事を備えてくださる方です。主があなたに与えようとしておられることは何でしょうか。神様に期待することほど、幸いなことはありません。(KE)
10月18日
「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。」ガラテヤ6:7
天に向かってツバキをすれば、自分の顔に落ちてくるのは理の当然、神様の法則だからです。神様がいらっしゃるかどうか分からないという人にはそのように対処なさるでしょう。神様を畏れ、敬うものには同じくそのように報いて下さいます。あなたがどのように信じるかにかかっているのです。今日どのような実を刈り取るでしょうか。(KE)
10月17日
「口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである。」マタイ15:11
イエス様の言葉は実に巧妙にして核心をついています。この聖言も真理です。口に入るものはその人の腹に入り、やがて厠へ出てしまいます。それは人を傷つけ、汚すことはありません。口から出るものは心から出てきて、大言壮語で人を欺き、中傷し、淫らな思いを投げかけ、神様を冒涜し、聞く人の心を汚して、人格を貶める結果になります。(KE)