あなたの謙遜からどのような業がなされるのでしょうか

10月5日
「そこでマリヤが言った、『わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように』。そして御使は彼女から離れて行った。」ルカ1:38

御使が告げた神様の言葉は、マリヤには受け入れられない苛酷な事態でした。苦しみ、悩んだ彼女はついに神様のみこころに全く自分を委ねました。マリヤの謙遜のゆえに、神様の奇しきみわざが完成するのです。あなたの謙遜からどのような業がなされるのでしょうか。主が求めたもうことに身を委ねましょう。(KE)

神様の救いは今あるところから離れることです

10月4日
「しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった。」創世記19:26

悪に満ちた町、ソドムが神様の怒りの火に焼かれたとき、その町に住んでいたロトの家族は神様の憐れみによって救われました。逃げ出す途中、ロトの妻は住み慣れた町、自分の家を惜しんで、そっとうしろを振り向きました。その瞬間、彼女は「塩の柱」になったのです。これは何かを暗示するものと思われます。神様の救いは今あるところから離れることです。先を望んで、潔く、前に進みましょう。(KE)

聖書の言葉は時代を超え、変わることのない確かなものです

10月3日
「草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない。」イザヤ40:8

草も花も盛んな時はわずかな期間です。また、朝に咲く花も夕べには枯れるはかないものです。世のものはすべてかように流転きわまりのないものばかり。確固不動のものはありません。ただ、神様の言葉、聖書の言葉は時代を超え、人種を越え、変わることのない確かなものです。神様の言葉を信じ、それに心を託して生きるとき、あなたも永遠に生きるものとなることができます。(KE)

はるかに素晴らしい人生であることに気づきます

10月2日
「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」伝道3:11a

神様がなさることは決して異常な事態や事件ではありません。平々凡々とした日常こそ、まさに神様のなさることです。あなたがそのことに気づかないだけです。自分の計画によらず、知恵と力によらないことを認めて、自分の日常を振り返ると驚くことばかりです。しかも、自分が思っていたよりもはるかに素晴らしい人生であることに気づきます。今日の一日も、神様があなただけになさることばかりです。(KE)

神様は無力さを知り、心砕けた人を顧みてくださいます

10月1日
「神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません。」詩篇51:17

「砕けた魂」、「砕けた悔いた心」とは自分を低いものと自覚したときです。健康を誇りとする人が重篤な病に置かれるようなとき、自分の無力さを知り、心砕けたものとなります。神様はそのような人を顧みてくださいます。自分の弱さ、無力さ、無価値なることを認めて、神様を求めようではありませんか。(KE)

喜べないなら、祈って求めて下さい

9月30日
「求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。」ヨハネ16:24

イエス様は主の名によって祈るように勧めて下さいます。それは私達に喜びを満たすため。神様は私達が喜んで地上の生活を送ることを願っておられるのです。その為に御子イエス様を世につかわされたのです。今日、あなたは喜んで生きていますか。喜べないなら、祈って求めて下さい。必ず、答えてくださいます。喜びをあたえるために。(KE)

聖書の言葉から語られるメッセージを聞こうとすることです

9月29日
「したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。」ローマ10:17

神様を信じるにはまず聞くことが必要です。聞くには聞こうとする態度がなければ聞けません。聖書の言葉をただ読むだけでなく、そこから語られるメッセージを聞こうとすることです。しかも、それは哲人や賢人の言葉ではなく、キリストの言葉を聞くことです。今日も、聖書の言葉によってあなたに語られる主のみこころをくみ取ってください。境遇がどうであれ、安心と確信が得られます。(KE)

父なる神様のみ心に従っている確信があったからです

9月28日
「かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、…」ピリピ2:7

神様を離れて、暗黒と死の陰にある人を救い出すために、神様が人の世に降ってくださる。これだけでも破天荒な事態です。しかも、しもべとなって。謙遜とはまさにこのようなことです。イエス様がこのような謙遜な生涯を生きる力は、父なる神様のみ心に従っている確信があったからです。あなたもこの生き方にならうとき、神様の命に満たされます。(KE)

求めるべきことはただ「益」になることです

9月27日
「すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが人の徳を高めるのではない。」第一コリント10:23

この世の生活では、様々な制約や規則、しきたりや習慣によって不自由な思いを持ち、それ故にしたいことが出来ないと嘆きます。しかし、たとえすべてのことが許されていても、求めるべきことはただ「益」になること、人の「徳」を高めることです。それは不自由であるかどうかには関係ないことです。(KE)

神様のなさることに好き嫌いを差し挟むことはできません

9月26日
「そこで主はカインに言われた、『なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか』。」創世記4:6

神様は弟アベルの供え物を顧みて、兄カインの供え物を退けました。そのとき、カインは神様に憤ったのです。神様のなさることは絶対的なものです。善し悪し、好き嫌いを差し挟むことはできません。まして、被造物に過ぎない者が神様に向かって憤るなど、言語道断です。その結果は罪なき弟を殺すことになりました。神様に憤ることこそ、人の罪の根源です。(KE)