9月5日
「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」ピリピ4:13
自分の弱さ、足らないところは日々痛感させられます。それを補い、カバーしようと悪戦苦闘しますが、どうにもなりません。人が欠けだらけの存在であるのは、神様がご自分の力を表そうとなさるためです。自分ではどうにもならない、神様に頼らねばならないものとして造られたのですから。しかし、神様は力の源、あなたを強くすることが出来ます。今日も、この方の力を得て下さい。(KE)
9月5日
「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」ピリピ4:13
自分の弱さ、足らないところは日々痛感させられます。それを補い、カバーしようと悪戦苦闘しますが、どうにもなりません。人が欠けだらけの存在であるのは、神様がご自分の力を表そうとなさるためです。自分ではどうにもならない、神様に頼らねばならないものとして造られたのですから。しかし、神様は力の源、あなたを強くすることが出来ます。今日も、この方の力を得て下さい。(KE)
9月4日
「うそ、偽りをわたしから遠ざけ、貧しくもなく、また富みもせず、ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。」箴言30:8
神様に祈り求めることの多い毎日を送っています。この言葉の祈りもまた大切なことです。自分の弱さ、貪欲、見栄など、自分を知って、そこから主の力を求めること、これが祈りです。慎ましく、与えられたものをもって感謝し、満ち足りていること、これ以上の幸いはありません。人生を苦しいものにしているのは、自分の内にある罪の結果です。(KE)
9月3日
「主がエリヤによって言われた言葉のように、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えなかった。」列王上17:16
預言者エリヤの時代に、飢饉と干ばつによって苦しみが人々に臨みましたが、神様はケリテ川のほとりではカラスによって食物を備え、ザレパテでは寡婦の家で彼を養いました。人の知恵や考えでは、とうてい推し量れない方法を用いて、神様はあなたに命を与えて下さいます。今日はどのように主が養ってくださるでしょう
か。主に期待して、その不思議を体験して下さい。(KE)
9月2日
「ダビデはナタンに言った、『わたしは主に罪をおかしました』。」サムエル下12:13
名君ダビデが忠信なる部下、ウリヤを激戦の地で殺し、その妻を奪うという罪を犯しました。預言者ナタンに罪を指摘されたとき、彼は神様の前に罪を認め、悔い改めました。相手に「悪かった」と悔いることはしますが、神様の前に自分がどうだったか、と悔い改めをしなければ、心から赦された喜びを味わうことはできません。人に謝罪することも大切ですが、それ以上にまず神様の赦しを求めて下さい。(KE)
9月1日
「あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、『きょう』といううちに、日々、互に励まし合いなさい。」ヘブル3:13
素直で従順な心を持つことは、単純で愚かな人と思われそうなので、人を恐れてつい心にもなく、片意地になり突っ張ります。そのため、人間関係は複雑になり、軋轢が生まれ、息苦しくなるのです。神様に対しても同様です。主があなたの心に語りかけて下さる時、素直に「ハイ」と従おうではありませんか。(KE)
8月31日
「わたしは、あなたのすべてのみわざを思い、あなたの力あるみわざを深く思う。」詩篇77:12
夏休みも終わり、9月になろうとしています。先に対する期待と不安とが交錯します。しかし、過ぎてきた日々も、あなたの思いと考え、計画と努力で通り越したわけではありません。あなたの思うところをはるかに越えた事の中を通ってきました。それはすべて神様のなさる業だったからです。これからも、あなたの一日を造り、持ち運び、驚くわざをなしてくださいます。(KE)
8月30日
「主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。」ヘブル2:18
イエス様は人の世に降ってくださいました。それは悩みにある私達を思いやることができるようにと、同じ生きる悩みを味わう為でもありました。それゆえに私達の祈りを真実にとりなして下さるのです。また、主も同じ試練を受けられたことを知れば、大きな慰めを与えられます。今日も、あなたのそばにいらっしゃる主は、共に喜び、共に泣いて下さるのです。(KE)
8月29日
「わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いがあなたの前に喜ばれますように。」詩篇19:14
あなたはだれに喜ばれようとしていますか。あなたの言葉や行動が神様に受け入れられるかどうかを基準にしているなら、まことに幸いなことです。また、それが人としての生き方です。人に喜ばれたり、世間の流れに従っている限り、正しい生き方を全うすることが出来ません。今日も、言葉と思いが神様に喜ばれるようにと祈りましょう。(KE)
8月28日
「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。」マタイ6:26
自分の力と努力で生きていると思うなら、大間違いです。今日も、天にいます父なる神様はあなたを養ってくださいます。ですから、何を思い煩うことがあるでしょうか。親が子を養うように、あなたの必要を全て知っておられるのです。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないかと、続いています。(KE)
8月27日
「それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。」第二コリント12:9
自分の弱さを認めることは敗者となるわけではありません。むしろ、弱さを知るものほど、強い者はいません。これ以上、弱くはなれないのですから。さらに、高慢にならず、謙遜になることができます。神様の前に自分を低くすることができます。その結果、神様の力を受け、自分のものではない力が表されるのです。弱さ、欠点、不足を感じるなら、感謝しようではありませんか。(KE)