み言葉を心に留めて、素直に信じませんか

8月17日

「だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい」。ヤコブ1:21

 自分の心をつぶさに見てみると、いろいろな思いが絶え間なく流水のごとく流れています。浮かんでは消え、浮かんでは消え、ひと時もとどまりません。日々読む聖言もその流れに飲み込まれ、一瞬の間に消えてしまうとすれば、なんと惜しいことです。み言葉を心に留めて、素直に信じようではありませんか。み言葉は魂を救う力があります。(KE)

今日の通読箇所

ヨブ記 35章

使徒行伝11章

具体的歩みがなければ、信仰は死んでます

8月16日

「信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである」。ヤコブ2:17

 どんなにいい話であっても、ただ聞くだけで終わるなら、絵に描いた餅であって、何の役にも立ちません。信仰も同じです。神様を、イエス様を信じると言いながら、日々の生活にあって、神様を信じている具体的歩みがなければ、その信仰はまさに死んだものです。そうならないように、まず身近なところから、信仰に立つ歩みを始めましょう。(KE) 

今日の通読箇所

ヨブ記 34章

使徒行伝10章

私達の生き方の模範はイエス様です

8月15日
「ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた」。第一ペテロ2:22

 私達、救われた者の生き方の模範はイエス様に倣う事です。主はどんな状況に置かれても、父なる神に絶大な信頼を置いていました。十字架の死の極限にあっても、父なる神のなされることに委ねておられたのです。神様は義なる方、公平な裁きをなさる方です。徹底して、信頼する歩みに倣いたいものです。(KE)

今日の通読箇所

ヨブ記 33章

使徒行伝9章

プラスもマイナスも感謝して受けましょう

8月14日
「わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、私たちは主のものなのである」。ローマ14:8

 私たちの信仰の到達点はここにあります。まったく主のものとなりきってしまうのです。自分にとって「生きること」すなわちプラスも、「死ぬこと」すなわちマイナスも、ことごとく、主が与えてくださるものだと信じて、素直に受け入れる者となりたいのです。今日も遭遇する事態を感謝して受けましょう。(KE)

今日の通読箇所

ヨブ記 32章

使徒行伝8章

主に喜ばれる道に進みましょう

8月13日

「しかし、わたしの願うところは、あなたがたが善にさとく、悪には、うとくあってほしいことである」。ローマ16:19b

 日々の営みにあって、常に岐路にたたされるのは、「善」か「悪」かの選択です。善とは神様の喜ばれる道、悪とは神様抜きで歩む道です。今日も、色んなことで決断が求められるでしょう。その時、心に湧いてくる思いを調べて、自分を喜ばせるのではなく、主に喜ばれる道に進みましょう。時には、つらいことかもしれませんが。(KE)

今日の通読箇所

ヨブ記 31章

使徒行伝7章

神の霊があなたにも宿っているのです

8月12日

「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」。第一コリント3:16

 何と驚くべき事態ではないでしょうか。私たちが神様を宿す宮であると。御霊、神の霊があなたにも宿っているのです。いつ、どんな風に宿ったのか、自分では何一つ自覚していません。神様の霊を分与したと言われるからには、信じるほかありません。今日も主の霊はあなたと共にあって、すべてのわざを導いてくださいます。聖霊は自分の思いとは違った道をあなたに歩ませるでしょう。一日を振り返って見てください。(KE)

今日の通読箇所

ヨブ記 30章

使徒行伝6章

誠に神様の言葉は不思議です

8月11日

「あなたがたは主の書をつまびらかにたずねて、これを読め。これらのものは一つも欠けることなく、また一つもその連れ合いを欠くものはない」。イザヤ34:16ab

「主の書」とは聖書のことです。これは神様に選ばれ、霊感をうけた人々が書いた神様の言葉です。神様の霊は表面的字づらの意味に囚われず、言葉から言葉へ自由自在に私たちの魂に命を注いでくれます。時には、謎めいた言葉に当惑し、矛盾した表現に惑わされますが、必ず、何かのきっかけで、殻が破れて光がさしてきます。誠に神様の言葉は不思議です。(KE)

今日の通読箇所

ヨブ記 29章

使徒行伝5章

イエス様は私たちに共感してくださいます

8月10日

「主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである」。ヘブル2:18

 どんなに親しい家族や友達であっても、その人の痛みや苦しみを理解することはできません。しかし、同じ痛みを経験したなら、幾分かは相手の事を感じてあげることは出来ます。イエス様は私たちと同じ痛みや苦しみなどを体験しておられるゆえ、私たちのことも共感してくださるのです。心強いことではないでしょうか。(KE)

今日の通読箇所

ヨブ記 28章

使徒行伝4章

信仰を投げ捨てれば、ゼロに等しいのです

8月9日

「もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである」。ヘブル3:14

 救い主イエス様を信じて生涯を全うするには忍耐と努力が必要です。なぜなら、信仰生活には終わりがないからです。学校の試験のように、部分点はありません。信仰を途中で投げ捨てるなら、それまでがどんなに熱心な信仰であっても、ゼロに等しいのです。どうぞ、最後まで主を信じ続けて永遠の命を獲得しましょう。(KE)

今日の通読箇所

ヨブ記 27章

使徒行伝3章

結局、人間の欲情から出たものです

8月8日

「あなたがたの中の戦いや争いは、いったい、どこから起るのか。それはほかではない。あなたがたの肢体の中で相戦う欲情からではないか」ヤコブ4:1

 今年も八月を迎え、広島・長崎の原爆記念日や終戦記念日など、戦争に関連する行事が続きます。あれほどの戦争を経験しながら、今なお世界ではあちらこちらで戦争が頻発しています。それぞれの言い分はあるでしょうが、結局、人間の欲情から出たものです。各個人が内なる戦いや争いをやめなければ平和は実現しません。(KE)

今日の通読箇所

ヨブ記 26章

使徒行伝2章