私が神をはね退けているのかもしれません

5月17日

「われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである」。使徒17:28

 苦しみの中、神様を見失ってしまうことがあります。しかし神様が居られない世界はありません。ともすると私達の内の「こうあるべきだ」という固定観念が硬いシェルターとなって、神様の手をはねのけているのかもしれません。聖歌に『条件つけず降伏せば勝ち得べし勝利を』とあります。心を真っ新にして主の御手に飛び込みましょう。(MK) 

今日の通読箇所

イザヤ書65章

使徒行伝24章

私達は自然に、大きな力を覚えます

5月16日

「わたしたちは主を知ろう、せつに主を知ることを求めよう」。ホセア6:3

 自然は第二の聖書であると言われます。大海原を見る時、満天の星空を眺める時、私達はそこに、人知では計り知ることの出来ない大きな力を覚えます。また、誰の目にも触れないような場所に咲く一輪の野花の可憐さに、心打たれることもあります。私達が主を知りたいと願う時、遍く満ちる神様の豊かな業の中に生かされていることに気付きます。(MK)

今日の通読箇所

イザヤ書64章

使徒行伝23章

感謝すると決断する所に聖霊は働かれます

5月15日

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」。Ⅰテサロニケ5:16-18

 喜び感謝しながら生きたいとは、多くの人の願うところでしょうが、そうできない現実があまりにも多いように思われます。しかし喜ぶことが出来る条件が揃うのを待つのではなく、「感謝する」と決断するところに聖霊は働かれます。主の恵みを信じて踏み出すとき、新しい視界が開かれます。(MK)

今日の通読箇所

イザヤ書63章

使徒行伝22章

主は今日も私達と共に、生きておられます

5月14日

「神は、あなたがたをキリストと共に生かし、わたしたちのいっさいの罪をゆるして下さった」。コロサイ2:13

 私たちは罪と咎とに死んだものであって、腐敗と汚物にまみれた者でした。しかし、主の十字架の功績によって、私たちの罪科を消し去ってくださいました。そればかりか、新しい命となるため、主はよみがえり、今日も私たちと共に生きておられるのです。今日も赦された喜びと新しい命の主に全く委ねて過ごそうではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書62章

使徒行伝21章

結果を想定せず、神様の手に委ねる事です

5月13日

「わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる」。ガラテヤ6:9

 どんな事をするにしても、最初は期待も大きく、元気よくやり始めますが、時が経つと疲れが出て来ます。しかも期待したほどの結果がないと、勢いがなくなり、尻切れトンボになります。そうならないためには、結果を想定しないで、神様の手に委ねることです。善きことを始めたら、自分ではなく、主の業として、日々主に捧げることです。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書61章

使徒行伝20章

父なる神様に願って下さったのです

5月12日

「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります」。ヨハネ17:15

 最後の晩餐が終わったときの主の祈りです。悪は私たちを主から切り離そうと強力に襲ってきます。自分の力で立ち向かうことはできません。だから、主は父なる神様に願って下さったのです。この祈りは、天に帰られ、父の右に座しておられる今も、今日も、主は祈ってくださいます。主の守りの御手を信じて、遣わされましょう。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書60章

使徒行伝19章

神様以外に造物主はおられないからです

5月11日

「あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました。わたしはあなたをほめたたえます。あなたは恐るべく、くすしき方だからです」。詩篇139:13-14a

 人が人を造ることはできません。神様以外に造物主はおられないからです。神様は母親の胎を用いてやがて完成されるであろう人のすべてを仕組まれます。新生児には将来の機能や能力の種がすべて宿っています。当事者である本人もそれを知りません。人は不思議に満ちているではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書59章

使徒行伝18章

奇跡を見て信じると悲劇を見て絶望します

5月1日

「イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。ヨハネ3:3

イエス様のなさる奇跡を見て、「あなたは神から遣わされた教師だ」と言ったユダヤ人の指導者に、主は御自身の十字架を暗示されました。見える奇跡によって信じる者は、見える悲劇に絶望しやすくもあるからです。イエス様は私達が、見える現実の背後に広がる、見えない神様の愛に目を留めるよう願っておられます。(MK)

今日の通読箇所

イザヤ書58章

使徒行伝17章

神様を信じる時、感じる事ができるのです

5月9日

「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。ヨハネ3:8
 
 私達は風の姿を見ることはできませんが、揺れる木々や花々の様子から、その存在を確かなものと信じています。神様もまた目で見ることはできませんが、この方を信じる時、どれほど豊かに私達の日常に関わり、働いて下さっているかを感じることができるのです。 (MK)

今日の通読箇所

イザヤ書57章

使徒行伝16章

神を味わう時間がどれほどあるでしょうか

5月8日

「主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む人はさいわいである」。詩篇34:8
 
 私達は神様が恵み深く、憐みに富んでおられることを知ってはいますが、それを噛みしめるが如く味わう時間が、一日にどれほどあるでしょうか。不平不満ばかりを反芻することに時間を割いてしまうのでは、神様に申し訳が立ちません。 今日という日が、神様の与えてくださる恵みと幸いを味わい知る一日になりますように。(MK)
 

今日の通読箇所

イザヤ書56章

使徒行伝15章