神様が求められるのは「受けるよりは与える」こと

7月30日
「だれでも、自分の益を求めないで、ほかの人の益を求めるべきである。」第一コリント10:24
自分のため、自分の利益をもとめることは世の常です。しかし、神様が求められるのは「受けるよりは与える」こと。他の人の益を図り、徳を高めることです。ただ、これは言うに易く、行うに難いことでもあります。出来ないから仕方ないと、それで終わらせるのではなく、無力な自分を認めて実行できるように神様からの力を、知恵を求めようではありませんか。(KE)

神様の時の中に導かれていることを信じて下さい

7月29日
「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」伝道3:11
タイミングがはずれると、全てが台無しになることがあります。人はなんとかグッドタイミングをねらいますが、なかなかうまくいきません。しかし、神様がなさるとき全てがベストです。自分で時を選ばず、神様の時の中に導かれていることを信じて下さい。そうすると、すべての事がこれで良かった、これ以上の時はありえないと心から感謝できます。今日も主があなたを導いておられます。(KE)

死んだ者はなにものにも囚われない自由があります

7月28日

「わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。迫害にあっても見捨てられない。倒されても滅びない。」第二コリント4:8-9

このようなタフな生き方はどうすればできるのでしょうか。それはただイエス様の十字架に自分も共に死んだものとなるほかありません。死んだ者はなにものにも囚われない自由があります。今日、生きているのは自分が生きているのではなく、よみがえった主によって生かされていることを徹底しておきたいものです。(KE)

自分が本当に何を求めているのか分からないでいます

7月27日

「すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。」ローマ7:19

人間ほどやっかいなものはありません。自分自身ですら愛想を尽かしたくなるときがあります。自分は一体何をしようとしているのか、本当に何を求めているのか分からないでいます。自分の心を限りなくシンプルなものに、素直で単純なものにしたいものです。心を複雑怪奇なものにしているのが罪です。キリストはそのために十字架に死んで下さったのです。(KE)

一生は瞬きの間である事を自覚しないで過ごしています

7月26日

「あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。」ヤコブ4:14

  「光陰矢の如し」と言われるように、時は瞬時に過ぎ去っていきます。人の一生もまさに瞬きの間ですが、その事を自覚しないで過ごしています。この短い命は霧のように消えて、何一つ痕跡すら残しません。神様から与えられた今日を、今を全力で生きて下さい。(KE)

神様の手の中にあって運ばれているのです

7月25日

「主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。」詩篇37:7

 目に見える現象を見る限り、人の知恵や力によって万事が動いているかに見えます。しかし、森羅万象を支配し動かすのは神様以外にありません。「天網恢々疎にして漏らさず」と言われるように、神様の手の中にあって運ばれているのですから、目に見えることで焦らず、うろたえず、主を待ち望んでください。(KE)

自分自身を「正しい者」とするからです

7月24日

「だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。」ローマ12:17

 人は自分に悪をなす者に怒りをもって報復しようとします。また、世間ではそれを「よし」とします。その結果、悪の応酬は限りなく続きます。復讐しようとする者は自分自身を「正しい(義)者」とするからです。義なる方は神様だけであって全てのことを裁かれ、報復なさるのです。神様を信じて、ゆだねましょう。(KE)

喜べない境遇でも、祈れば必ず感謝が湧いてきます

7月23日

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」第一テサロニケ5:16-18

 これ以上、何も言うことはありません。あとは実行あるのみです。喜べない境遇・状況にあるなら、祈ろうではありませんか。悲憤慷慨するような事態も、角度を変えると案外どうでも良いものなのです。祈れば必ず感謝が湧いてきます。喜び、祈り、感謝はそれぞれ深く結び合ったものです。今日も、祈りつつ、どんなときにも喜んで感謝しつつ生きて下さい。神様は喜んでくださいます。(KE)

主がわたしたちに求められるのは、報いを望まないことです

7月22日

「自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。」ルカ6:32

 贈り物をもらうと、それに見合った「お返し」をすることが日本の習慣にあります。受けたものに相当する「お返し」である限り、イエス様の標準に達することができません。主がわたしたちに求められるのは、受ける以上のこと、また報いを望まないことです。なぜなら、主はすでにあなたのために、無代価で命まで捨ててくださったのですから。(KE)

神様は今日もあなたの前に立ち、導いて下さいます

7月21日

「主こそ神であることを知れ。われらを造られたものは主であって、われらは主のものである。われらはその民、その牧の羊である。」詩篇100:3

 あなたを造り生かしてくださる神様は、あなたをご自分の牧場の羊として愛し、守り、導かれる方です。目には見えませんが、今日もあなたの前に立ち、全てのことの主となって導いて下さいます。あなたも牧の羊となりきって、神様の手で取り扱って頂きましょう。思い煩いも、悩みも、苦しみも、いっさいを委ねて。(KE)