神様はあなたの立つべき堅固な岩です

7月10日

「わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。」詩篇73:26

 目で見るもの、手で触るものなど全ては変化して、消滅します。まず、自分自身すら年齢を重ねるとともに、失われていきます。そのような不安定な消え去るものの中にあって、確固として不動のものに自分を据えていくことが出来れば、どんなに幸いでしょうか。神様はあなたの立つべき堅固な岩となってくださるのです。確信して、このみことばのように告白してください。(KE)

神様が求められるのは表裏のないことです

7月9日

「杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている。」マタイ23:25c

 イエス様が「偽善者」を非難された言葉です。偽善は不真実だから、神様が嫌われることです。人前や、見えるところは立派であっても、内側や人目につかない所では、いい加減にしてしまうことです。本音と建前もその一つでしょう。神様が求められるのは真実であること、表裏のないことです。素直で、真実になるには有りのままになること。神様の前にはつくろうことも、隠すことも出来ないのですから。(KE)

あなたにも神様は力を与えて下さいます

7月8日

「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」ピリピ4:13

 これは何と大胆で自由な言葉ではないでしょうか。誰でも自分の弱さを知っています。それゆえいつも自信をもてません。大丈夫だろうか、出来るだろうかと不安を覚えます。しかし、例え自分に力がなくても、それを与えて下さる方があれば恐れることはいりません。しかも、強くして下さる方が神様であれば、なおさらのことです。あなたにも神様は力を与えて下さいます。信じて踏み出してください。(KE)

終わるときが来ることを知って今を生きてください

7月7日

「主よ、わが終りと、わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、わが命のいかにはかないかを知らせてください。」詩篇39:4

 どんなに楽しいことにも、また悲しいことであれ、必ず終わるときがきます。朝に始まる一日も、夜と共に終わります。日常的にそのことを体験しながらも、自らの一生の終わりを自覚しようとしません。終わるときが間近であると知るとき、今をどのように生きるべきかが見えてきます。今日も終わりの時に向かって時が過ぎていくのです。(KE)

神様を離れても呼び求めるとき、必ず応えてくださいます

7月6日

「主はあなたの呼ばわる声に応じて、必ずあなたに恵みを施される。主がそれを聞かれるとき、直ちに答えられる。」イザヤ30:19bc

 神様は徹底してあなたを愛し捨てない方です。神様を離れて、罪を犯し、失敗だらけで、失望しているとも、そこから主に帰って、へりくだり、呼び求めるとき、必ず応えてくださいます。神様のみ許から離れることほど、不幸なことはありません。いつでも、どこからでも、主を呼ぼうではありませんか。主が答えてくださるまで。(KE)

「弱さ」を誇るとはなんと大胆なことでしょう

7月5日

「もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう。」第二コリント11:30

 人が誇り、自慢するものは、他の人よりも優れたところ、勝ったもの、また誰よりも強いことではないでしょうか。「弱さ」は恥ずかしいこと、隠しておきたいことですが、むしろそれを誇るなどとはなんと大胆なことでしょう。マイナスをプラスに変えるのは、神様からの力をいただくからです。弱いからこそ、謙遜になって神様を求めることが出来ます。弱さのゆえに神様の力が鮮やかになるのです。(KE)

何を絶対的な基準としますか

7月4日

「愚かな者は心のうちに『神はない』と言う。彼らは腐れはて、憎むべき事をなし、善を行う者はない。」詩篇14:1

 人が神様を畏れなくなるとき、何を絶対的な基準としますか。身勝手な人間の義がのさばって、無秩序な混乱が支配します。神様を認め、恐れて、かしこみ、尊ぶとき、人は謙遜になることができます。また、絶対者と相対者、造物主と被造物との秩序が生まれ、善悪の区別が出来てきます。あなたの心に、家庭に、地域に、社会に、今、欠けているものがありませんか。(KE)

神様はあなたの一日を導き、目をとめてくださいます

7月3日

「それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。」マタイ10:31

 すずめのように小さな存在ですら、神様はかえりみておられます。ましてや、あなたのことを忘れることがあるでしょうか。目には見えないけれども、神様は確かにあなたの一日を導き、目をとめてくださいます。何をするにも、神様を思い、そのみこころを求めようではありませんか。主はあなたの計画、考え、思いを遙かに超えた道を備えておられるのですから。(KE)

素直にそのままで受けようではありませんか

7月2日

「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない。」使徒11:9

 人は自分の嗜好や価値観で事の善し悪しを決めます。その結果、偏見や差別が生まれるのです。また、自分自身をも世間の評判や尺度で測り、劣等感を抱いたり、優越感に浸ったりします。しかし、万物は神様によって創造されました。造られた全てのものを「はなはだ良かった」と宣言しておられます。神様が「良し」と言われるものを、素直にそのままで受けようではありませんか。(KE)

試練によって神様の愛を知るなら、幸いなことです

7月1日

「もし、あなたの片手が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい。両手がそろったままで地獄の消えない火の中に落ち込むよりは、片手になって命に入る方がよい。」マルコ9:43

 五体満足で健康や家族に恵まれ、何一つ不足がないことを願います。確かにそれも幸いな事でしょうが、必ずしも平安や感謝、喜びや望みに輝いて生きることにはなりません。不幸と言われる試練によって健康や家族を失うとも、そこで謙遜になり、神様の愛を知り、信じるなら、どんなに幸いなことでしょう。(KE)