求めるべきことはただ「益」になることです

9月27日
「すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが人の徳を高めるのではない。」第一コリント10:23

この世の生活では、様々な制約や規則、しきたりや習慣によって不自由な思いを持ち、それ故にしたいことが出来ないと嘆きます。しかし、たとえすべてのことが許されていても、求めるべきことはただ「益」になること、人の「徳」を高めることです。それは不自由であるかどうかには関係ないことです。(KE)

神様のなさることに好き嫌いを差し挟むことはできません

9月26日
「そこで主はカインに言われた、『なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか』。」創世記4:6

神様は弟アベルの供え物を顧みて、兄カインの供え物を退けました。そのとき、カインは神様に憤ったのです。神様のなさることは絶対的なものです。善し悪し、好き嫌いを差し挟むことはできません。まして、被造物に過ぎない者が神様に向かって憤るなど、言語道断です。その結果は罪なき弟を殺すことになりました。神様に憤ることこそ、人の罪の根源です。(KE)

日々の生活を、表裏のない、真実に生きることが大切です

9月25日
「わたしは公平を、測りなわとし、正義を、下げ振りとする。ひょうは偽りの避け所を滅ぼし、水は隠れ場を押し倒す。」イザヤ28:17

神様は「義」なる方です。たとえ、私達が表向きの正しさを装っても、やがてそれらの虚偽をはぎ取って、真実を白日の下に明らかにされます。ですから、日々の生活を、表裏のない、真実に生きることが大切です。虚栄や虚飾、建前ばかりの歩みは、かならず行き詰まるからです。有りのままに生きようではありませんか。(KE)

神様は理不尽な罰を与える御方ではありません

9月24日
「わたしはあなたのとがを雲のように吹き払い、あなたの罪を霧のように消した。わたしに立ち返れ、わたしはあなたをあがなったから。」イザヤ44:22

思いがけない不幸に出会うと、神罰か、祟りか、バチが当たったと恐れます。それは全ての人の心に、自分が罪に汚れた者で、神様に呪われて当然だと密かに感じているからです。神様は理不尽な罰を与える御方ではありません。それどころか、御子の死によって、罪をゆるし、あなたを熱心に求めておられます。(KE)

それは私達がゆるそうとしないからです

9月23日
「もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。」マタイ6:14

神様は御子イエス様をこの世に遣わし、全ての人の罪を贖い、赦して下さいました。そう言われても、ゆるされた実感がありません。それは私達がゆるそうとしないからです。神様のゆるしを信じて、あなたも人のあやまちをゆるすなら、神様のゆるしを信じて、味わい、喜ぶことができます。主がしてくださったように、あなたもしてください。(KE)

人は自分の願い事がかなうような神様を作るのです

9月22日
「神には、なんでもできないことはありません。」ルカ1:37

神様をどのような方と信じるか、これは信仰の基本です。何かの分野に専門化された神様、交通安全や学問、商売繁盛の神様は、「神」とは言えません。なぜなら、神様はオールマイティ、全能者であるはずです。ところが、人は自分の都合の良いように、自分の願い事がかなうような神様を作るのです。神様はどんなことでもなし得る力と権威をもって、あなたをも握っておられるのです。(KE)

聞くことが少なくても、それを実行することが大切です

9月21日
「だから、彼らがあなたがたに言うことは、みな守って実行しなさい。しかし、彼らのすることには、ならうな。彼らは言うだけで、実行しないから。」マタイ23:3

立派なことは言うけれど、自分は実行しようとしない人について語られたイエス様の言葉です。今でも「有言不実行」などと言われる人がいます。確かに、どんなに高尚な話を聞いても、それを行わない限り、絵に描いた餅です。聞くことが少なくても、それを実行することが大切です。実体験した事だけがあなたのものになるのです。(KE)

神様に自分を明け渡しておくことが大切です

9月20日
「万物の終りが近づいている。だから、心を確かにし、身を慎んで、努めて祈りなさい。」第一ペテロ4:7

例外なく存在するものは全て失われるときがきます。私達自身を含めて、この世界も、宇宙も。今日にでも終わるかも知れません。その時、うろたえて自分を失うことのないように、絶えず祈りつつ、神様に自分を明け渡しておくことが大切です。終わりのときは前触れなく、突如としてやってきます。祈りつつ、今日も主と共に生きて下さい。(KE)

あなたは何をより所として決心をしますか

9月19日
「この事は主から出たことですから、わたしどもはあなたによしあしを言うことができません。」創世記24:50

イサクのお嫁さんを求めた父アブラハムの僕は、娘リベカに出会いました。リベカの両親が結婚の求めに対して答えた言葉です。結婚というような重大な決断を迫られるとき、あなたは何をより所として決心をしますか。家柄、財産、収入、学歴などなどを考えますが、大切なのはみことばのように、「主からでたこと」と確信することです。(KE)

無事に過ごせるのは、ただ神様の憐れみがあるからです

9月18日
「ひとみのようにわたしを守り、みつばさの陰にわたしを隠し、わたしをしえたげる悪しき者から、わたしを囲む恐ろしい敵から、のがれさせてください。」詩篇17:8-9

新聞やテレビのニュースを見ていると、これが人のすることだろうかと驚嘆する事件や事故、思いがけない天災などが頻発しています。今日、無事に一日が終われる確証はありません。その中で、無事に過ごせるのは、ただ神様の守りがあり、憐れみがあるからです。主に祈りつつ、今日も生かされて参りましょう。(KE)