9月17日
「おのれを撃つ者にほおを向け、満ち足りるまでに、はずかしめを受けよ。主はとこしえにこのような人を捨てられないからである。」哀歌3:30-31
普段の生活では暴力的な攻撃に遭うことはほぼありませんが、言葉による攻撃、非難、中傷などに遭います。「売り言葉に買い言葉」で、相手に報復をしようとしますが、それでは真の解決になりません。神様の報いを信じて、その裁きに委ねる事がどうしても必要です。今日も、主はあなたの味方となっておられるのですから。(KE)
9月17日
「おのれを撃つ者にほおを向け、満ち足りるまでに、はずかしめを受けよ。主はとこしえにこのような人を捨てられないからである。」哀歌3:30-31
普段の生活では暴力的な攻撃に遭うことはほぼありませんが、言葉による攻撃、非難、中傷などに遭います。「売り言葉に買い言葉」で、相手に報復をしようとしますが、それでは真の解決になりません。神様の報いを信じて、その裁きに委ねる事がどうしても必要です。今日も、主はあなたの味方となっておられるのですから。(KE)
9月16日
「見よ、暗きは地をおおい、やみはもろもろの民をおおう。しかし、あなたの上には主が朝日のごとくのぼられ、主の栄光があなたの上にあらわれる。」イザヤ60:2
現代の世相を見るとき、まさに「やみ」が覆った時代です。考えられないような残虐な殺人や犯罪が氾濫し、家庭も、社会も、混沌としています。世界の情勢も同様です。しかし、失望することはありません。世の中がどのように変わろうとも、神様を求める者に救い主イエス様が光となってくださいます。(KE)
9月15日
「あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、『きょう』といううちに、日々、互に励まし合いなさい。」ヘブル3:13
「意固地になる」、「頑なになる」、「突っ張る」など、あなたにとっても身近なことだと思います。心では「そうなんだ」と思いつつ、素直になれないために、何度となく失敗してきました。心が硬くなるのは罪に惑わされているときです。それゆえに、心を変えて罪から離れましょう。明日ではなく、今日、この日に。(KE)
9月14日
「五羽のすずめは二アサリオンで売られているではないか。しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいない。」ルカ12:6
森羅万象、天と地に満ちるものはすべて神様のご支配の下にあります。どんなに小さく、値打ちのない、ありふれたものですら、神様の目に留まらないものはありません。あなたのこともしっかりと知っておられます。ですから、思い煩わないで、主を信頼して、今日のわざに全力を尽くして下さい。主が持ち運んでくださるのですから。(KE)
9月13日
「どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、…」エペソ3:16
身体的に健康であり、体力があっても、それだけでは不十分です。「内なる人」、すなわち「心」あるいは「精神力」でしょうか、見えない内面の自分が強く、健康でなければ、患難に当たって強く生きることができません。「内なる人」を強くするのは、スポーツや栄養食ではなく、神様によるほかありません。日々、祈りつつ力を与えられましょう。(KE)
9月12日
「ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらは、われらの神、主のみ名を誇る。」詩篇20:7
人は力を誇示する為に戦車や馬を誇ります。勿論、今では地位、家柄、学歴などを誇りとし、それによって自分の力とするでしょうか。しかし、そのようなものはつかの間のもので、失われていきます。自分の弱さをカモフラージュする虚構に過ぎません。あなたの誇るものが無くて、心細く思うなら、神様を信じて下さい。あなたの後ろ盾となり、力となってくださいます。(KE)
9月11日
「わたしの戒めに心をとめよ、見よ、わたしは自分の思いを、あなたがたに告げ、わたしの言葉を、あなたがたに知らせる。」箴言1:23
「戒め」は聖書のことばです。あなたがみことばを心にとめて生活するとき、神様はあなたに直接語って下さいます。声は聞こえませんが、心に自分では考えられない思いが与えられます。どうぞ、今日もみことばを心に据えて、神様の語りかけを心の耳に聞いて、主のみ心に従ってください。主の恵みに出会うことができます。(KE)
9月10日
「おおよそ人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、その心が主を離れている人は、のろわれる。」エレミヤ17:5
人は何かを頼らなければ生きることができないものとして造られました。それは神様を頼りとするようにとの配慮からです。しかし、人が神様以外のもの、目に見える物質的な状況・境遇を頼りとして、心が神様を離れてしまったのが、この世の現実です。「のろわれる」とは頼るべきものを取り違えた結果としての悲劇を表しています。あなたは何を頼りにしていますか?(KE)
9月9日
「しかし、信心があって足ることを知るのは、大きな利得である。」 第一テモテ6:6
信仰を求める動機は、現在の状態・状況に満足できない、受け入れられない思いがあるからです。信仰はまず心の平安、安心を得ることです。それは「足ることを知る」ことです。その結果として、周囲の情勢も具体的に変化して、思いがけない恵みに会うことができます。「利得」とはいわゆる「御利益」のこと。ただ、この御利益は物質的な利益ではありません。内面の変化です。(KE)
9月8日
「そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。」ピリピ1:6
「キリスト・イエスの日」とは、世の終わりの時、イエス様が裁き主として来られる日です。神様は私達の心に思いを与え、御心に沿ってそれを導かれ、終末の日までに、必ず完成させて下さるのです。絶えず、神様のみ手に自分を委ねて、主のなされる事に信頼し続けるとき、あなたの想像し得ない結果を出してくださいます。(KE)