5月31日
「わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。」 イザヤ46:4
あなたの生涯はあなたの努力と知恵、計画とわざで進んでいくのではありません。あなたを造られた神様が、あなたの人生を備え、導き、命の限りを定められるのです。今日も、この主に導かれて生きていることを忘れないで、主に信頼してください。神様のみわざがあなたの上になされるからです。(KE)
5月31日
「わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。」 イザヤ46:4
あなたの生涯はあなたの努力と知恵、計画とわざで進んでいくのではありません。あなたを造られた神様が、あなたの人生を備え、導き、命の限りを定められるのです。今日も、この主に導かれて生きていることを忘れないで、主に信頼してください。神様のみわざがあなたの上になされるからです。(KE)
5月30日
「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。」ピリピ4:4
誰でも喜んでいたいと願います。しかし、現実の事柄、境遇、状況にあって、喜べないでいます。たしかに、与えられた境遇によって、喜ぼうとしてもできません。「主にあって」と言われます。喜べない現実を導き、支配し、与えておられる神様に目を向けることです。主はあなたのために命を捨てて愛して下さる方、その方があなたをみ手に支えて下さっていることを信じるとき、感謝できます。(KE)
5月29日
「わざわいなるかな、おのが計りごとを主に深く隠す者。彼らは暗い中でわざを行い、『だれがわれわれを見るか、だれがわれわれのことを知るか』と言う。」イザヤ29:15
神様を侮る、ないがしろにするとはまさにこのような態度のことです。人に見られなければ、だれにもわからないと思う時、人の道が乱れます。あなたが絶えず見ておられる主を自覚するとき、あなたの道も整えられるのです。いつも、神様の前に責められる所のない者となってください。(KE)
5月28日
「わたしは安らかに伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです。」詩篇4:8
夜、ぐっすりと休むことができるのは幸いです。心に思い煩いや、気がかりなことがあると、眠れなくなります。そのようなとき、あなたはどうやって眠りを取り戻すでしょうか。薬などによって眠っても、不眠の原因が残っている限り快適な熟睡とはなりません。神様を幼子のように信頼し、心をからっぽにして、主に委ねましょう。安眠が得られます。(KE)
5月27日
「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ。」マタイ9:2
文語訳によると「子よ、心やすかれ」となっています。安心せよと、イエス様が語っておられるのです。今日、あなたの罪が赦されている!何という驚きでしょうか。しかし、赦された歓喜を味わえるのは、罪を認める人だけです。自分を正しいとするかぎり、この聖言は無縁です。あなたが人知れず抱えている罪を自覚するなら、主の赦しを感謝して受けようではありませんか。あなたのためにイエス様は十字架に掛かられたのです。(KE)
5月26日
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。」ヨハネ14:1
この世にあって、心騒がせ、思い煩うことの多い日々を送っています。しかし、神様はそのようなことを喜ばれる方ではありません。神様を信じ、イエス様を信じること、これが全てです。信じるとは信頼する、信用することです。いま、どのような事態にあっても、万物を力あるみ手で支え、導かれる神様に委ねて参りましょう。ご愛に満ちた主は最善のわざを持って私たちの期待に答えてくださいます。(KE)
5月25日
「だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるかを悟りなさい。」エペソ5:17
「愚かな者」とは、学歴や偏差値に関係したことではなく、神様を畏れ敬わない人、「神なんかいるものか」と思っている人のことです。そういう人は世間の知恵や知識を頼りとして歩みます。一方、賢い人とは神様を尊び、敬い、信じる人のことです。毎日のどんなことにも、主のみこころを求め、神様の導きを求め、確信して生活する人のことです。あなたも愚かな者にならないでください。(KE)
5月24日
「いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。」第二コリント4:10
世間でも「死んだ気になって」と言って、人を励まします。確かに、死を恐れなければ大胆に、勇ましくなれます。イエス様を信じるとはまさにそのようになることです。死んだわけではないけれども、あなたの死ぬべきところを身代わりとなって、十字架に死んで下さったと信じるとき、主の命に生かされて生きる勇気と力をいただくのです。(KE)
5月23日
「見よ、わたしが大いなる苦しみにあったのは、わが幸福のためであった。あなたはわが命を引きとめて、滅びの穴をまぬかれさせられた。」イザヤ38:17ab
人生にあって、痛い目にあうことは嫌なことです。出来れば、そのようなことは避けたいと思います。しかし、神様はあなたを幸いにしようと、苦しみの中を通されるのです。なぜなら、それによって、謙遜になり、滅びの道から救い出されるからです。人は愚かさのゆえに、何かを失って目が覚め、悟るからです。(KE)
5月22日
「その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」マタイ24:36
天地万物の終わりがいつであるか、弟子達がイエス様に尋ねました。その答えがこの聖言です。それはまた人生の終わりの時も同様です。本人である自分も知りません。ただ神様のみがご存知です。だから、例外なくすべてのものは神様の一方的なご支配の中にあるといえます。今日、何が起こるのか、私たちは知り得ませんが、神様のみ手にあることを信じましょう。(KE)