5月21日
「全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。声を放って喜び歌え、ほめうたえ。」詩篇98:4
親は子供が喜び歌っている姿を見るとき、同じように喜びを感じるでしょう。逆に、沈み込んで暗い顔をしているなら、親は心配です。そのように父なる神様はあなたが喜んでいる姿を見たいと願っています。喜べない、感謝できない、歌えない事情や境遇に思えても、どうぞ主を見上げて感謝・讃美をしてください。それは神様が喜ばれることだからです。(KE)
5月21日
「全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。声を放って喜び歌え、ほめうたえ。」詩篇98:4
親は子供が喜び歌っている姿を見るとき、同じように喜びを感じるでしょう。逆に、沈み込んで暗い顔をしているなら、親は心配です。そのように父なる神様はあなたが喜んでいる姿を見たいと願っています。喜べない、感謝できない、歌えない事情や境遇に思えても、どうぞ主を見上げて感謝・讃美をしてください。それは神様が喜ばれることだからです。(KE)
5月20日
「しかし善を行って苦しみを受け、しかもそれを耐え忍んでいるとすれば、これこそ神によみせられることである。」第一ペテロ2:20
良いことをして良い報いを受ける、また悪を行って罰せられるのは当然のことです。神様を信じるとは、全てのことを知っておられ、それぞれに正しい報いを与えられることを信じるのです。正しいさばきをなさる方を信じて、自分でさばかず、復讐せず、不当なことと思えることにも耐え忍んで、主のみわざを待ち望みましょう。(KE)
5月19日
「わたしはみ言葉を与えられて、それを食べました。み言葉は、わたしに喜びとなり、心の楽しみとなりました。」エレミヤ15:16
聖書のことばはまさにこの通りに「食べる」ものです。理解するとか、知識として知るだけでは不十分です。食べた食事は体内で消化され、分解し、エネルギーとなり、具体的な行動を生み出します。そのように心を養う食物として取り込まれたみ言葉はあなたの心に力と喜びを与え、あなたの行動に変化を生み出します。み言葉を食べて体験して下さい。(KE)
5月18日
「ある日、神の子たちが来て、主の前に立った。サタンも来てその中にいた。」ヨブ1:6
不思議な言葉です。神様の前に集うものは神様に選ばれた神の子たちばかりではないのです。サタンもその中にいました。それはサタンもまた神様の手の中にあり、神様の働きでもあります。サタンの働きを通して神様はご自分の栄光を現そうとなさるのです。わたしたちの心にもサタンが働きかけてきます。それは神様があなたの心を強め、神の子の道を選ばせようとなさるためです。(KE)
5月17日
祈ることも出来ない失望、落胆、悲哀、苦悩の中にあっても、神様の霊、みたまはあなたの心を知っておられ、とりなして下さるのです。ただ一言「主よ」と心を向けさえすれば。どんな時でも主を呼び求めようではありませんか。(KE)
5月16日
「わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。」詩篇73:26
歳をとり心身ともに衰えてくるとき、なお頼むべきものがある人はさいわいです。目に見えるものはすべて日々衰え、変化し、定まりがありません。しかし、神様を信頼して神様を自分の力として生きる道があるのです。なぜなら、神様は永遠にわたって不変だからです。あなたもこの方を信じて信頼して下さい。そうすれば、心身ともに平安を得ることが出来ます。(KE)
5月15日
「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。」第二テモテ 4:7
あなたが一日を、一年を、生涯を終わるとき、このように言い切ることができるでしょうか。信仰に生きる生涯は平坦で楽な道ではありません。真剣に信仰に生きようとするとき必ず戦いがあります。それはあなたの心のうちにある戦いです。神様を信頼しその導きに委ねるのか、あるいはそうでないのか。神様の前に自らの態度を鮮明にして、信仰による勝利を得て下さい。(KE)
5月14日
「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。」詩篇119:105
暗い夜道を歩むとき、足下を照らす光があると、心が休まり危険を避けることが出来ます。この世の生活はまるで夜道を行くようなものです。次に何が起こるのか皆目分からない「一寸先は闇」の中にあるからです。人の言葉や経験、世間の知恵にたよっても安心はありません。しかし、神様の言葉、聖書の言葉に信頼して目の前の一歩を踏み出すとき、確かな手応えを感じます。(KE)
5月13日
「あなたがたの神、主に帰れ。主は恵みあり、あわれみあり、怒ることがおそく、いつくしみが豊かで、災を思いかえされるからである。」ヨエル2:13
神様はご愛に満ちたお方です。造り主を忘れ、自分を神として傍若無人に振る舞う私達を耐え忍んでくださって、絶えず救いの手をさしのべて下さっています。私達の悩み、苦しみ、困難、失望など全ての災いは、神様に帰らなければ決して解決しないからです。どのようなことの中からでも、まず、主に帰ろうではありませんか。(KE)
5月12日
「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい。」ヨハネ8:7
罪を犯した現場で捕らえられた女性を糾弾する人々に対してイエス様が語られた言葉。他者を非難するとき、自分を正しい者としているのです。たとえ同じ罪を犯していなくても人は皆罪人であることに違いはありません。主がこの言葉によって語っているのは、裁く人たちの傲慢、高ぶりです。神様の憐れみと赦しを受けている自分であることを忘れてはなりません。(KE)