ゼロで始る人生がゼロに終るのも当然です

7月20日

「そして言った、『わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな』」。ヨブ1:21

 ヨブは神を畏れ、尊ぶ人でした。主は試みを与え、財産、家族、健康をすべて失います。しかし、これらの試練につぶやかず、神様を呪うこともしません。ゼロから始まった私たちの人生がゼロに終わるのも当然です。どのような状況に置かれようと、主の為さる業を信じて受けて立とうではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

エゼキエル書6章

ピリピ人への手紙3章

救いは恵みによって与えられるものです

7月19日

「そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない」。ヤコブ1:22

 救いは行いではなく、恵みによって与えられるものです。その一方で聖書は、御言を行うように、戒めを守るようにとも繰り返します。矛盾しているようですが、そうではありません。信仰と実践は車の両輪のようなものです。そして御言に従った時、その歩みを全うなさったイエス様の生き様に、触れることができるのです。(MK)

今日の通読箇所

エゼキエル書5章

ピリピ人への手紙2章

霊の水なるイエス様が、心を満たします

7月18日

「神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ」。詩篇42:1

 野生の鹿が耳をそばだて、鼻を利かせ、何とか水にありつこうとする懸命な姿が頭に浮かびます。暑い夏になり、肉体の渇きを満たすための水分摂取は、しきりに推奨されますが、私達の心を満たす、霊の水なるイエス様についてはどうでしょう。今日も共に居てくださるイエス様に心を向け、この方の言葉を味わい、渇いた心に潤いを得ましょう。(MK)

今日の通読箇所

エゼキエル書4章

ピリピ人への手紙1章

私達のものは、神様からの預かり物です

7月17日

「あなたの持っているもので、もらっていないものがあるか。もしもらっているなら、なぜもらっていないもののように誇るのか」。Ⅰコリント4:7bc
 
 私達が持っているものは、神様からの賜物であり、預かり物です。ある牧師が少年時代、買い与えられた鉛筆が嬉しくて、『〇〇所有』と自分の名前を書きました。しかしイエス様を信じ、全ては神様のものと知って、即座に『〇〇使用』と書き替えたそうです。この身軽さにあやかりたいものです。(MK)

今日の通読箇所

エゼキエル書3章

エペソ人への手紙6章

主は人の受けるどんな事も体験されました

7月16日

「わたしは神から出た者、また神からきている者であるからだ。わたしは自分からきたのではなく、神からつかわされたのである」。ヨハネ8:42b

 イエス様は大工ヨセフとマリアの子として、世に遣わされました。人の子であるイエス様は、また神様ご自身であると信じることが信仰の出発点です。主は人の受ける悩みも、失望も、不安も、恐れも、どんなことも体験された。だから、誰よりも私たちの思いのすべてを共感することができるのです。(KE)

今日の通読箇所

エゼキエル書2章

エペソ人への手紙5章

私達に求めている事は、御旨に従う事です

7月15日

「主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか」。ミカ6:8b

 神様が私たちに求めておられることは、わずかなことです。公義とは神様の義、正しさを行う事、また慈愛の心を育て、神様の前に身を低くして、御旨にしたがうことです。しかし、人にとってこれが実行するには難しいのです。それ故、イエス様は不言実行、御足の跡を残して、神様と共に歩ませてくださいます。(KE)

今日の通読箇所

エゼキエル書1章

エペソ人への手紙4章

主は切に求める時、ご自身を現わします

7月14日

「主は遠くから彼に現れた。わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。それゆえ、わたしは絶えずあなたに真実をつくしてきた」。エレミヤ31:3

 神様はご自分を知って欲しいと願っておられます。ですから、主はあなたが切に求めるとき、思いがけないところ、思いもしないことを通して、ご自身を現わしてくださいます。その主は私たちを無限の愛で愛していると語っています。しかも、口先だけでなく、嘘偽りでなく、どこまでも真実にあなたを愛していると。今日も主のご愛の御手に信頼して、主を知る者となってください。(KE)

今日の通読箇所

哀歌5章

エペソ人への手紙3章

変わろうとも、主は常に揺るぐことない

7月13日

「呼ばわる者の声がする、『荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ』」。イザヤ40:3

 これは今の時代のことでありましょう。政治も教育も、家庭も社会も、混沌として、老いも若きも多くの無辜の民の命が失われる日々の生活、そこが荒野であり、砂漠です。この希望も慰めのない生活にあって、神様を土台として生きる事を努める。世の中がどのように変わろうとも、主は常に揺るぐことなく、あなたを支えてくださいます。(KE)

今日の通読箇所

哀歌4章

エペソ人への手紙2章

私達のものは全て、神様から頂いた物です

7月12日

「事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である」。伝道12:13

 ソロモン王が老年期に記したとされる、伝道の書の結びの言葉です。若き日に神様から知恵をいただいたソロモンですが、その力に飲まれて失敗することもありました。私達の持っているものは全て、神様からいただいたものです。そしてその所有権は、永遠に神様にあります。この事を忘れる時、人は本分から遠退いてしまいます。(MK)

今日の通読箇所

哀歌3章

エペソ人への手紙1章

主の御心を聞き分ける知恵を求めました

7月11日

「主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる」。箴言1:7
 
 知恵の人として名高い、ソロモン王の言葉です。王になったばかりの頃、神様から欲しい物を聞かれたソロモンは、主の御心を聞き分ける知恵を求め、それを得ました。 初めの人アダムとエバは、知恵を自分のものにしようとして神様に背きましたが、ソロモンは知恵の本質が何かを知っていました。神様は彼の求めを、大変お喜びになりました。(MK)

今日の通読箇所

哀歌2章

ガラテヤ人への手紙 6章