7月29日
「あなたはまた人がその子を訓練するように、あなたの神、主もあなたを訓練されることを心にとめなければならない」。申命記8:5
イスラエルの人々にとって、40年以上にわたる荒野の旅は苦しい困難を伴う日々であったでしょう。しかし、主はご自分の民を愛するゆえに、聖名にふさわしい民に仕立て上げる訓練の時であったのです。主はこの地上の旅路で私たちを訓練しておられます。恐れないで、主のご愛の御手に委ねましょう。(KE)
今日の通読箇所
7月29日
「あなたはまた人がその子を訓練するように、あなたの神、主もあなたを訓練されることを心にとめなければならない」。申命記8:5
イスラエルの人々にとって、40年以上にわたる荒野の旅は苦しい困難を伴う日々であったでしょう。しかし、主はご自分の民を愛するゆえに、聖名にふさわしい民に仕立て上げる訓練の時であったのです。主はこの地上の旅路で私たちを訓練しておられます。恐れないで、主のご愛の御手に委ねましょう。(KE)
今日の通読箇所
7月28日
「われわれの神、主は、われわれが呼び求める時、つねにわれわれに近くおられる」。申命記4:7a
神様と私達との関係は、まるで家族のようなものです。ごく身近にあって、いつでも、どんなことでも求めるなら答えてくださるのです。ある特定の場所に行かなければ出会えない方ではありません。あなたがどこに居ても、何をしていようと、昼夜分かたず、そこに主がおられることを信じましょう。(KE)
今日の通読箇所
7月27日
「すなわち、イスラエルの人々は、主の命によって道に進み、主の命によって宿営し、幕屋の上に雲がとどまっている間は、宿営していた」。民数記9:18
エジプトを出たイスラエルの民は約束の地を目ざして荒野を旅します。神様は昼は雲の柱、夜は火の柱を立てて彼らを導きます。進も止まるも神様任せ、自分の予定や計画はありません。私たちの人生も同じです。主の命によって導かれています。今日のスケジュールは神様がきめてくださいます。良くても悪くても感謝しましょう。(KE)
今日の通読箇所
7月26日
「そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう」。マルコ11:24
イエス様がお語りになった祈りの極意です。『なんでも…そのとおりになる』とは喜ばしいことですが、肝心なのは『すでにかなえられたと信じ』ることです。問題が尚、目の前にそびえ立つ様な時でも、神様が祈りを聞いてくださったと信じて委ねるなら、主は最善をもって応えて下さいます。(MK)
今日の通読箇所
7月25日
「おおよそ御言を聞くだけで行わない人は、ちょうど、自分の生れつきの顔を鏡に映して見る人のようである」。ヤコブ1:23
鏡の中に映るありのままの自分の姿を見ると、もっとこうなりたいと願望が生まれます。しかしその場を離れると、気持ちは薄らいでしまいます。聖書を読むと、神様の御旨、イエス様の生き様がありありと心に浮かび、そのような自分でありたいと願わされます。「よし、明日から。」ではなく、『今』従いましょう。(MK)
今日の通読箇所
7月24日
「あなたはいつくしみある者には、いつくしみある者となり、欠けたところのない者には、欠けたところのない者となり、清い者には、清い者となり、ひがんだ者には、ひがんだ者となられます」。詩篇18:25-26
神様は愛と憐みに富んだ、恵み豊かなお方です。しかし様々な試練に遭うとき、私達の心は混乱します。そのような中、もし神様のご性質が歪んで見えるなら、本当に歪んでいるのは、私達の心かもしれません。自らを省みる謙虚さを持ち続けましょう。(MK)
今日の通読箇所
7月23日
「見よ、わたしはまことに卑しいものです、なんとあなたに答えましょうか。ただ手を口に当てるのみです」。ヨブ40:4
自分の不幸を嘆いて、「どうして」とつぶやくヨブに、神様は立て続けに問いかけられますが、何も答えられません。神様は変幻自在、どんなことでもなし得る方です。人は神様のなさる事をすべて知りつくすことはできません。あなたが「どうして」と問うとき、自分が神様になっているときです。(KE)
今日の通読箇所
7月22日
「神は苦しむ者をその苦しみによって救い、彼らの耳を逆境によって開かれる」。ヨブ36:15
自分の思い通りに事が進むことを願います。そのため、他者の忠告や意見を素直に聞くことができません。その結果、しばしば不本意な事態の推移を受けいれられず、失望します。しかし、神様は、あなたの願いがとん挫することによって、目を開き、耳を開いて、新しい世界を体験させてくださるのです。何一つ無駄なことはありません。(KE)
今日の通読箇所
7月21日
「もしあなたの手に不義があるなら、それを遠く去れ、あなたの天幕に悪を住まわせてはならない」。ヨブ11:14
人は心になにか自分を責め、咎める思いがあるとき、弱くなり、力をなくし、闇が覆います。天地神明にかけて、清廉潔白、罪なしと言えるなら、どんなに幸いなことでしょうか。そうなる道は唯一つ、主の十字架にすがることです。主の死によってあなたの罪科すべてを消し去って下さったのです。(KE)
今日の通読箇所
7月20日
「そして言った、『わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな』」。ヨブ1:21
ヨブは神を畏れ、尊ぶ人でした。主は試みを与え、財産、家族、健康をすべて失います。しかし、これらの試練につぶやかず、神様を呪うこともしません。ゼロから始まった私たちの人生がゼロに終わるのも当然です。どのような状況に置かれようと、主の為さる業を信じて受けて立とうではありませんか。(KE)
今日の通読箇所