8月25日
「イスラエルよ、主によって望みをいだけ。主には、いつくしみがあり、また豊かなあがないがあるからです」。詩篇130:7
イスラエルとは神の民、すなわち御子の血によって清められ、内住の主のみ声に従う民のことです。それはまさにあなたです。人は望みがなければ生きることができません。しかし、主の民にとって、よみがえりの主と共に生きる時、常に永遠の命を望み見ることができます。(KE)
今日の通読箇所
8月25日
「イスラエルよ、主によって望みをいだけ。主には、いつくしみがあり、また豊かなあがないがあるからです」。詩篇130:7
イスラエルとは神の民、すなわち御子の血によって清められ、内住の主のみ声に従う民のことです。それはまさにあなたです。人は望みがなければ生きることができません。しかし、主の民にとって、よみがえりの主と共に生きる時、常に永遠の命を望み見ることができます。(KE)
今日の通読箇所
8月24日
「日々にわれらの荷を負われる主はほむべきかな。神はわれらの救である」。詩篇68:19
家康の遺訓に、「人生、重き荷を負うて、遠き道を行くがごとし」という言葉があります。だから、急がずゆっくり行けと彼は言いますが、重荷を代わってあげようとは言われません。しかし、神様は日々私たちの重き荷を負うてくださるとの約束です。だからこれが救いです。今日も主はあなたの重荷を負うてくださいます。あなたの重荷をすっかり委ねてください。平安が得られます。(KE)
今日の通読箇所
8月23日
「しかしイスラエルのさんびの上に座しておられるあなたは聖なるおかたです」。詩篇22:3
この節の前には、神様を見失いかけた筆者の、悲痛な嘆きが謳われています。けれども彼はそのような中でささげる細き賛美をも、主は御自身の栄光の御座としてくださると信仰を持ち、自らを奮い立たせて賛美をささげます。賛美のうちに彼の心は燃え、もはや冒頭の嘆きは見る影もなくなります。これこそ私達に与えられた、賛美の恵み、また力です。(MK)
今日の通読箇所
8月22日
「わたしは、あなたの指のわざなる天を見、あなたが設けられた月と星とを見て思います。人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか」。詩篇8:3-4
夏の空にもくもくと張り出した積乱雲。夜空に浮かぶ煌々とした月や星。これら全てを造り、秩序正しく運行しておられる全能者が、一被造物に過ぎない私達に目を留めてくださるとは、何と驚くべきことでしょうか。何と感謝なことでしょうか。(MK)
今日の通読箇所
8月21日
「あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日のまだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた」。詩篇139:16
人は自分のことは自分が一番よく分かっていると思っていますが、不測の事態に陥る時、案外そうではないのだと知ります。神様は私達の造り主であり、人生のプランナーです。誰より私達のことを知っていてくださいます。手抜かりはありません。(MK)
今日の通読箇所
8月20日
「あなたがわたしを世につかわされたように、わたしも彼らを世につかわしました」。ヨハネ17:18
最後の晩餐が終わったとき、主が祈られた祈りの言葉です。イエス様の救いとは、私たちをこの世から取り分けて、別世界に移して下さるのではありません。むしろこの世に遣わすのです。以前は自分のために生きる者でしたが、今は主によってつかわされて、主のために御心に従い生きるのです。今日も主はあなたをこの世につかわしておられます。(KE)
今日の通読箇所
8月19日
「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。ヨハネ16:33bc
確かにこの世にある限り悩みはつきません。しばしばその重荷に息絶えそうになります。自分で悩みに打ち勝つことはできませんが、イエス様はすでに勝利しておられます。あなたがイエス様に全身全霊を任せきってしまうなら、あなたも勝利者となることができるのです。(KE)
今日の通読箇所
8月18日
「よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」。ヨハネ12:24
ちらほらと新米収穫のニュースを耳にします。一粒万倍と言われるように、たった一粒の籾から、たわわに実る稲を収穫します。そのためには最初の一粒が、地に埋められ、分解されなければ新芽になりません。私達もこの籾の一粒となって、自分という殻を破り捨て、死に切って、主のみ手に握られる時、豊かな実を結びます。(KE)
今日の通読箇所
8月17日
「わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる」。ヨハネ10:11
イエス様はご自分を羊飼いにたとえて、私たちをその囲いにいる羊としておられます。羊は自分だけでは命を保つことができず、よい羊飼いに養われることが大切です。主はまさによい羊飼いであって、命までも惜しみなく与えてくださるほどに、ご自分の羊を愛しておられます。今日も、主の牧場のよき羊となって、牧者に養われましょう。(KE)
今日の通読箇所