み心に従う者は主から幸いな祝福を受けることができます

5月11日

「謹んで、み言葉をおこなう者は栄える、主に寄り頼む者はさいわいである。」箴言16:20

聖書の言葉、みことばは神様が語られるあなたへのメッセージです。普段使っている言葉と違いはありませんが、神様からの言葉と信じて、みことばを通して促され、励まされ、諫められ、正される時、み心に従う者は主から幸いな祝福を受けることができます。みことばを通して人ははじめて神様に信頼することが出来るのです。聞き流すならそれだけのことで、せっかくの恵みを受けることができません。(KE)

主の言葉を信じて、主に目を留めているとき

5月10日

「しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、『主よ、お助けください』と言った。」マタイ14:30

 人が水の上を歩くなど不可能なことだと思います。しかし、イエス様の招きに答えてペテロは舟から水の上に出ました。主の言葉を信じて、主に目を留めているとき、彼は不思議な事態を体験したのです。しかし、主から目を離し周囲の状況を見たとき、沈みかけました。あなたもイエス様にしっかり目を留めてみ声に従ってください。思いがけない不思議なことを体験します。(KE)

いつでも、どこでも、「これに聞け」とおっしゃいます

5月9日

「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け。」マタイ17:5

 父なる神様が弟子達に語ったことばです。イエス様を「わたしの愛する子」と呼んで、この方に聞くようにと勧めて下さいました。あなたが信頼する相談役はどなたでしょうか。神様のみ子にまさる相談役はありません。いつでも、どこでも、「これに聞け」とおっしゃいます。遠慮無くイエス様に呼び求め、心の思いを全て打ち明けて、この方に聞こうではありませんか。(KE)

限りない愛であなたを愛しておられる主を信じましょう

5月8日

「そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。」第一コリント13:7

 素晴らしい言葉ですが、誰がこれをなし得るでしょうか。この言葉の初めに「愛は」とあります。それは人の愛では出来ません。神様の愛による以外にありません。神のみ子イエス様をあなたの罪の犠牲として十字架に下された神様の愛を信じて、その愛に感じ、励まされて生きるとき、この聖言はあなたのものとなります。限りない愛であなたを愛しておられる主を信じましょう。(KE)

心落ち着かせて主を求め祈って下さい

5月7日

「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る。」イザヤ30:15

 突然、思いがけない事態に遭遇すると、人はうろたえ、あわてふためいて、なんとか解決の道は無いものかと焦ります。その結果、とんでもないものに頼って、気がつくとさらに悲惨な事態へと悪化してしまうのです。そんなとき、まず神様に立ち返り、心落ち着かせて主を求め祈って下さい。必ず、神様は救いを現し、力を与えてくださいます。(KE)

その人の人生の道は神様によって備えられたものです

5月6日

「主よ、わたしは知っています、人の道は自身によるのではなく、歩む人が、その歩みを自分で決めることのできないことを。」エレミヤ10:23

 あなたは自分の歩みは自分で決めていると思っているのではないでしょうか。しかし、みことばにあるようにその人の人生の道は神様によって備えられたものであり、日々の歩みも主が定められたものです。自分の思い通りに、願い通りにしようとしてもできないのは神様がお許しにならないからです。(KE)

一日の全てが創造者の手にあることを覚えて下さい

5月5日

「はじめに神は天と地とを創造された。」創世記1:1

天も地も無かった時、ただ神様だけがおられたと語っています。森羅万象の全ては神様が存在してはじめて「在る」ものとなっているのです。“あなた”という存在も、“わたし”という存在も、神様がおられなければ存在し得ないものなのです。そればかりか、あなたの今日の一日すら神様の存在と深く関わった事なのです。事の大小を問わず、一日の全てが創造者の手にあることを覚えて下さい。(KE)

生きることの全てが神様のみ手のなかにある

5月4日

「彼がのろうのは、主が彼に、『ダビデをのろえ』と言われたからであるならば、だれが、『あなたはどうしてこういうことをするのか』と言ってよいであろうか。」サムエル記下16:10

 信仰の人ダビデはどのような境遇・状況に置かれても、決して神様を疑いません。生きることの全てが神様のみ手のなかにあることを徹底して信じました。息子アブサロムに反逆されたときも、シメイに罵詈雑言を投げられても、主の取り扱いに委ねたのです。今日も主の手にあることを信じてください。(KE)

なによりも神様を畏れ敬い生きて下さい

5月3日

「愚かで、悟りもなく、目があっても見えず、耳があっても聞えない民よ、これを聞け。主は言われる、あなたがたはわたしを恐れないのか、わたしの前におののかないのか。」エレミヤ5:21-22

  昨今の世情を見る時、これが人のすることだろうかと唖然とすることが多くなってきました。それは万物を創造し、支配し、裁かれる絶対者なる神様を恐れる心が失われているからです。そのため、傍若無人で自分だけの世界にいるような錯覚をしています。なによりも神様を畏れ敬い生きて下さい。(KE)

神様の前に悔い改めることです

5月2日

「愛する者たちよ。もし心に責められるようなことがなければ、わたしたちは神に対して確信を持つことができる。」第一ヨハネ3:21

 心に安心を得る一つの道は悔やむ思いや非難する思いを持たないことです。そのためには、心に何かわだかまるもの、「それでいいのか」と責められる思いが与えられたとき、神様の前に「ごめんなさい」と悔い改めることです。主のみ前に潔くなることが出来ればあなたの心に平安が満ちてきます。主が促してくださる悔い改めのときを逃さないで主の平安を得て下さい。(KE)