自分が本当に何を求めているのか分からないでいます

7月27日

「すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。」ローマ7:19

人間ほどやっかいなものはありません。自分自身ですら愛想を尽かしたくなるときがあります。自分は一体何をしようとしているのか、本当に何を求めているのか分からないでいます。自分の心を限りなくシンプルなものに、素直で単純なものにしたいものです。心を複雑怪奇なものにしているのが罪です。キリストはそのために十字架に死んで下さったのです。(KE)

一生は瞬きの間である事を自覚しないで過ごしています

7月26日

「あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。」ヤコブ4:14

  「光陰矢の如し」と言われるように、時は瞬時に過ぎ去っていきます。人の一生もまさに瞬きの間ですが、その事を自覚しないで過ごしています。この短い命は霧のように消えて、何一つ痕跡すら残しません。神様から与えられた今日を、今を全力で生きて下さい。(KE)

神様の手の中にあって運ばれているのです

7月25日

「主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。」詩篇37:7

 目に見える現象を見る限り、人の知恵や力によって万事が動いているかに見えます。しかし、森羅万象を支配し動かすのは神様以外にありません。「天網恢々疎にして漏らさず」と言われるように、神様の手の中にあって運ばれているのですから、目に見えることで焦らず、うろたえず、主を待ち望んでください。(KE)

自分自身を「正しい者」とするからです

7月24日

「だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。」ローマ12:17

 人は自分に悪をなす者に怒りをもって報復しようとします。また、世間ではそれを「よし」とします。その結果、悪の応酬は限りなく続きます。復讐しようとする者は自分自身を「正しい(義)者」とするからです。義なる方は神様だけであって全てのことを裁かれ、報復なさるのです。神様を信じて、ゆだねましょう。(KE)

喜べない境遇でも、祈れば必ず感謝が湧いてきます

7月23日

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」第一テサロニケ5:16-18

 これ以上、何も言うことはありません。あとは実行あるのみです。喜べない境遇・状況にあるなら、祈ろうではありませんか。悲憤慷慨するような事態も、角度を変えると案外どうでも良いものなのです。祈れば必ず感謝が湧いてきます。喜び、祈り、感謝はそれぞれ深く結び合ったものです。今日も、祈りつつ、どんなときにも喜んで感謝しつつ生きて下さい。神様は喜んでくださいます。(KE)

主がわたしたちに求められるのは、報いを望まないことです

7月22日

「自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。」ルカ6:32

 贈り物をもらうと、それに見合った「お返し」をすることが日本の習慣にあります。受けたものに相当する「お返し」である限り、イエス様の標準に達することができません。主がわたしたちに求められるのは、受ける以上のこと、また報いを望まないことです。なぜなら、主はすでにあなたのために、無代価で命まで捨ててくださったのですから。(KE)

神様は今日もあなたの前に立ち、導いて下さいます

7月21日

「主こそ神であることを知れ。われらを造られたものは主であって、われらは主のものである。われらはその民、その牧の羊である。」詩篇100:3

 あなたを造り生かしてくださる神様は、あなたをご自分の牧場の羊として愛し、守り、導かれる方です。目には見えませんが、今日もあなたの前に立ち、全てのことの主となって導いて下さいます。あなたも牧の羊となりきって、神様の手で取り扱って頂きましょう。思い煩いも、悩みも、苦しみも、いっさいを委ねて。(KE)

あなたの語る言葉と心が一致することが真実です

7月20日

「あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。」マタイ5:37

 真実とはあなたの語る言葉と心が一致することです。これがちぐはぐになると偽善者になり、また偽悪者ともなります。真実になり得ないのは、損得利害、世のしがらみ、自分の欲得に迷わされ、「しかり」を「しかり」と言えず、また「否」を「否」と言えないからです。神様は真実な者に報いてくださいます。真実に生きようではありませんか。(KE)

善とは神様のみ心を知り、それに従うことです

7月19日

「善を求めよ、悪を求めるな。そうすればあなたがたは生きることができる。またあなたがたが言うように、万軍の神、主はあなたがたと共におられる。」アモス5:14

 善とは人が考える道徳的な善行、慈善などではなく、神様のみ心を知り、それに従うことです。反対に、悪とは神様を認めず、自分の欲望に生きることです。今日、あなたがなす業、置かれた境遇にあって、祈りつつ、神様のみ心を確信して生きること。これが神様が共にいてくださる生活です。(KE)

祈りつつ途中で信じることを止めてしまいます

7月18日

「そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。」マルコ11:24

 神様を信じて祈るとき、心に疑わないで祈ることが大切です。さらに信じ続けることが大切です。祈りつつも、心のどこかで疑っています。また途中で、信じることを止めてしまいます。そのため中途半端になるのです。どうぞ、かなえられたと、どこまでもとことん信じ続けようではありませんか。(KE)