7月17日
「ひとりびとり、自分の行いを検討してみるがよい。そうすれば、自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるであろう。」ガラテヤ6:4
岡目八目などとも言われますが、人は自分を客観的に見ることがむつかしいものです。それだけに、意識して自分を厳しく見なければ浮き上がった存在になってしまいます。神様の目に自分がどのようにうつっているか、この視線を自分に向けておきたいものです。そうしなければ、自己満足の独り善がりになります。(KE)
7月17日
「ひとりびとり、自分の行いを検討してみるがよい。そうすれば、自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるであろう。」ガラテヤ6:4
岡目八目などとも言われますが、人は自分を客観的に見ることがむつかしいものです。それだけに、意識して自分を厳しく見なければ浮き上がった存在になってしまいます。神様の目に自分がどのようにうつっているか、この視線を自分に向けておきたいものです。そうしなければ、自己満足の独り善がりになります。(KE)
7月16日
「神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。」詩篇139:23
親しい関係になると、相手に自分を知ってもらいたいと願います。しかも、有りのままの自分を。隠し事を持っていては親密な関係には成り得ないからです。神様とあなたとの関係はどんな関係でしょうか。何でも知ってもらいたいと言えるのは、相手を深く信頼しているからです。あなたは神様にすべてを知ってもらいたいと願いますか。あるいは隠したいことがありますか。 (KE)
7月15日
「あなたがたは、むさぼるが得られない。そこで人殺しをする。熱望するが手に入れることができない。そこで争い戦う。」ヤコブ4:2
最近の世情を見るとき、いとも簡単に人を殺す事件があまりに多くなっていることに驚きます。全ての“悪”は人の心から生まれてきます。物事自体が悪の力を持つのではなく、それを受け止める人の心が問題なのです。あなたの心が神様の平安と望み、愛と忍耐に満たされ、争うことがないように祈りましょう。(KE)
7月14日
「わたしはいにしえの日を思い出し、あなたが行われたすべての事を考え、あなたのみ手のわざを思います。」詩篇143:5
日々忙しくしていると、過去を振り返る暇もありませんが、何かの時に過ぎてきた日をふと思い返すとき、神様が備えられた不思議なわざとしか思われません。今も悩みの中、苦しみの中にあるかもしれませんが、それでも、それらに耐えて生きる命を、主はあなたに満たしてくださいました。そのことを思って、今の状態がどうであれ、神様に感謝したいものです。神様は不思議なわざを備えておられます。(KE)
7月13日
「きょうは野にあって、あすは炉に投げ入れられる草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。」ルカ12:28
あなたは何を思い煩っていますか。健康のこと、仕事のこと、老後のこと、家族のことでしょうか。神様はあなたにとって最善をなそうとしておられるのです。それを信じて、今あることを感謝するのが信仰です。思い煩いに満ちるとき、野の花、空の鳥を見て下さい。(KE)
7月12日
「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。」伝道12:1a
私は自分が今、この瞬間、生きていることを考えると、不思議な思いがします。いつもは当たり前のこととして、そんなことを考えもしません。一体、何によって、何ゆえ「ある」のか、それを考えるとき、結局、全ての根源であり、始まりである神様を認めざるを得ません。自分が造られたものであると認めるとき、創造者の存在が明らかになります。今日も、造り主の意図と意志に導かれているのです。(KE)
7月11日
「しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。」黙示2:4
世間でも「初心忘るべからず」と言われます。それだけ人は変わりやすいものだからです。何事も、初めのうちは感激や感動、喜びと望みに満ちていますが、事に馴れてくると緊張がゆるみ、初々しい初めの心が失われてきます。そのことを自覚して、常に「初めの愛」を取り戻すように自ら努めたいものです。夫婦の関係でも、仕事の事でも、人との関係でも。(KE)
7月10日
「わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。」詩篇73:26
目で見るもの、手で触るものなど全ては変化して、消滅します。まず、自分自身すら年齢を重ねるとともに、失われていきます。そのような不安定な消え去るものの中にあって、確固として不動のものに自分を据えていくことが出来れば、どんなに幸いでしょうか。神様はあなたの立つべき堅固な岩となってくださるのです。確信して、このみことばのように告白してください。(KE)
7月9日
「杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている。」マタイ23:25c
イエス様が「偽善者」を非難された言葉です。偽善は不真実だから、神様が嫌われることです。人前や、見えるところは立派であっても、内側や人目につかない所では、いい加減にしてしまうことです。本音と建前もその一つでしょう。神様が求められるのは真実であること、表裏のないことです。素直で、真実になるには有りのままになること。神様の前にはつくろうことも、隠すことも出来ないのですから。(KE)
7月8日
「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」ピリピ4:13
これは何と大胆で自由な言葉ではないでしょうか。誰でも自分の弱さを知っています。それゆえいつも自信をもてません。大丈夫だろうか、出来るだろうかと不安を覚えます。しかし、例え自分に力がなくても、それを与えて下さる方があれば恐れることはいりません。しかも、強くして下さる方が神様であれば、なおさらのことです。あなたにも神様は力を与えて下さいます。信じて踏み出してください。(KE)