3月20日
「人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ。主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。たしかに人は草だ。」イザヤ40:6-7
血気盛んで、活力に溢れて生きている時は、その状態がいつまでも続くように錯覚します。しかし、実際の人の人生はまるで蝋燭の火が激しく燃えて、一気に消えゆくように、はかないものです。まさに雑草のようなもの。この言葉に続いて、「神の言葉はとこしえに変わることはない」とあります。主のことばの確かさに支えられて生きて下さい。(KE)
3月20日
「人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ。主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。たしかに人は草だ。」イザヤ40:6-7
血気盛んで、活力に溢れて生きている時は、その状態がいつまでも続くように錯覚します。しかし、実際の人の人生はまるで蝋燭の火が激しく燃えて、一気に消えゆくように、はかないものです。まさに雑草のようなもの。この言葉に続いて、「神の言葉はとこしえに変わることはない」とあります。主のことばの確かさに支えられて生きて下さい。(KE)
3月19日
「ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。」ローマ11:33
「これからどうなるだろうか」という不安は人に将来を見たいと思わせます。明日のこと、来年のこと、十年先のことなど…。そのため様々な占いや呪術的なものに誘惑されます。しかし、どんな方法をやってもそれは不可能なことです。なぜなら人の生涯を導くのはその人自身ではなく、神様だからです。今日も主のご計画とご支配のなかに生かされています。(KE)
3月18日
「五羽のすずめは二アサリオンで売られているではないか。しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいない。」ルカ12:6
「すずめ」ほど、ありふれていて、珍しくもなく値打ちのない鳥はいません。しかし、父なる神様はそのような小さなものにすら目を留めていてくださるのですから、あなたのことを忘れることがあるでしょうか。神様のみ心によらなければなにひとつ起こりません。今日も、あなたのうえに注がれる、主のご愛の眼差しを覚え、感じ、み手に導かれて歩みましょう。(KE)
3月17日
「また、からだを殺しても、魂を殺すことの出来ない者ともを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」マタイ10:28
人はいつも何かを恐れています。病気だとか、老後のこと、経済的なこと、人間関係など、様々なものを恐れます。しかし、それらはこの世だけのことです。人の命はこの世だけでは終わりません。神様のもとへ帰るのです。恐るべき方は神様だけです。イエス様はそこへ帰る道となって下さいました。神様を畏れて主の道を歩もうではありませんか。(KE)
3月16日
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」第一テサロニケ5:16-18
神様が私達に求められることは決して難しいことではありません。喜び、祈り、感謝する。ただこれだけです。しかも誰もが願っていることではないでしょうか。今日も一日、神様が喜ばれることをしようではありませんか。あなたには出来ないと思いますか。その理由は何でしょうか?(KE)
3月15日
「わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。主は耳を傾けて、わたしの叫びを聞かれた。」詩篇40:1
信仰を持って生きるとは忍耐して神様の業を待つことです。どうなるのか分からないで、ただひたすら忍耐することは大変苦痛です。しかし、必ず良きことを備えて下さるとの希望を抱き、神様に期待し忍耐して待つことは楽しいことです。今日、あなたが置かれている境遇の中で祈りつつ、主がなして下さる出来事を待望しながら、生きようではありませんか。(KE)
3月14日
「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。」イザヤ43:1b
神様はあなたをひとり子イエス様の命を代価として、買い取って下さったのです。あなたはもう神様のものなのです。しかも、あなたのことを全て知り尽くし、名指しで神様の所有として下さいました。それほどの大きな犠牲が注がれたあなたを神様は見捨てることができません。今日も、この神様の手にいっさいを委ねて、従って参りましょう。(KE)
3月13日
「わたしは常に主をわたしの前に置く。主がわたしの右にいますゆえ、わたしは動かされることはない。」詩篇16:8
あなたの心にいつもある思いは何でしょうか。病気のこと、お金のこと、子供や孫のこと、老後のこと、仕事のことでしょうか。ダビデ王は何よりも第一に神様のことを心の中心に置いたと言います。いつも神様を思う心であるとき、平安と望みがあります。それ以外のものが心を占めるとき、不安と失望しかありません。どうぞ、今日も主を思って生きて下さい。(KE)
3月12日
「狭い門からはいれ、滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。」マタイ7:13
与えられた一回限りの人生をどのように生きるべきでしょうか。世間に習い、習慣やしきたりに身を委ねて、多数の中の一人となって生きるのはとても易しい楽な生き方です。しかし、その結果は虚しい活ける屍というほかありません。神様を信じてその手に自分を委ね、人にならわず世に流されない人生こそ、生き甲斐のある人生です。これは狭い門です。(KE)
3月11日
「ヤコブは眠りからさめて言った、『まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった』。」創世記28:16
神様がおられるだろうかと思うような現実が目の前にあります。しかし、実に神様はそのような所におられるのです。ただ、あなたが気づかないだけです。心低くして主を呼び求めて下さい。主は必ず答えてくださいます。また、主がご自分をあらわして共におられることを確信させて下さいます。神様のいますことを悟るとき世界が変わります。(KE)