どこかで、わずかでも自分を肯定しようとするものです

3月10日

「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。」ローマ7:24

 自分に失望することはあっても、絶望することはなかなか無いものです。どこかで、わずかでも自分を肯定しようとするものです。自尊心を持つことが勧められますが、真の自尊心は、徹底的な自己否定から始まり、神様の「よし」とされるのを確信することです。絶望的な滅びから救い出される喜びに今日も生かされているのです。(KE)

時間が経つにつれて、初めの思い、感激は薄らいできます

3月9日

「しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。」黙示2:4

  どんなことにも初めがあります。生まれたとき、入学したとき、就職したとき、結婚したときなど、その最初は喜びと感激で始まるものです。しかし、時間が経つにつれて、初めの思い、感激は薄らいできます。そのことに慣れてしまうからでしょうが、その結果、形だけのものになり、心を欠いたわざとなります。初心に帰って、謙遜になり、神様の恵みとご愛を深く新鮮に感じるものとなってください。(KE)

私達はみな神様のために生きる者として造られたのです

3月8日

「主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。」第一コリント15:58c

 今日、あなたは誰のために生きようとしていますか。自分のため、家族のためでしょうか?実は、私達はみな神様のために生きる者として造られたのです。神様のためにこの事をさせて頂いていると信じるとき、神様からの報いをいただくことが出来ます。たとえ、誰にも認められない小さな業であっても、主はご存知です。あなたの労苦に報いてくださいます。(KE)

私達はその瞬間、瞬間に見える事だけに心を動かされ思い煩うのです

3月7日

「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。」イザヤ55:8

 神様が抱いておられる思い、ご計画は私達のそれとは全く異なったものです。神様は過去、現在、未来にわたって見通すことが出来ますが、人は「今」という時しか見えないからです。私達はその瞬間、瞬間に見える事だけに心を動かされ思い煩うのです。主はあなたが思うよりも、あなたの計画よりも、遙かに素晴らしい事を備えておられます。(KE)

「未来」は有るようで無い時間、確かなものとはいえません

3月6日

「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。」第二コリント6:2b

 私達に与えられた確かな時は「今」という時以外にありません。「過去」は過ぎ去って、今からでは何もできません。巻き戻してやり直すわけにもいきません。「未来」は有るようで無い時間、未知なるものですから、確かなものとはいえません。「今」をどのような時として生きるかが大切なことです。今、困難や悩みの中にあろうとも、「恵み」の時、「救い」の日であると信じて、神様を呼び求めようではありませんか。(KE)

神様はあなたの願いや必要を拒まれることがあるでしょうか

3月5日

「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。」ローマ8:32

父なる神様は愛するひとり子をこの世に送って罪を贖うための犠牲となさいました。それは私たちを愛するゆえです。それほどに大きな愛をあなたに注いでくださったのです。神様はあなたの願いや必要を拒まれることがあるでしょうか。神様にとって御子以上に惜しむべきものがほかにあるでしょうか。主のご愛を確信して祈りましょう。(KE)

欲得から離れなければ、平安を得ることが出来ません

3月4日

「平穏であって、ひとかたまりのかわいたパンのあるのは、争いがあって、食物の豊かな家にまさる。」箴言17:1

 「衣食足りて礼節を知る」と言いますが、今の日本はどうでしょうか?物質的な豊かさは心の安らぎ、平和を与えてくれません。心の平安を得るには自我に根ざした欲得から離れなければ、平安を得ることが出来ません。それにはイエス様の十字架を信じて、自分も主と共に死んだ者と定め、神様のみ手に一切を委ねて生きることです。(KE)

見えない神様の手に導かれ支えられていることを認めることです

3月3日

「わたしは光をつくり、また暗きを創造し、繁栄をつくり、またわざわいを創造する。わたしは主である、すべてこれらの事をなす者である。」イザヤ45:7

 神様を信じるとはあなたの存在、すなわち生きている自分が見えない神様の手に導かれ支えられていることを認めることです。また、自分の身に及ぶ全てのこと(善し悪しともに)が神様から出ていることを認めることです。不幸と思われることも、神様のわざであることを信じると幸いなことへと変わってしまいます。(KE)

あなたが生かされ、一日のわざをなしえること自体が神様の救いであり恵みだからです

3月2日

「全地よ、主に向かって歌え。日ごとにその救を宣べ伝えよ。」歴代志上16:23

 神様の救い、恵みは何か特別な事態や事件がある場合だけではありません。また、それはまれに起こるようなものでもありません。今日、あなたが生かされ、一日のわざをなしえること自体が神様の救いであり恵みだからです。そのことに、どれほど感謝しているでしょうか。当たり前のことと思っていませんか。日々に神様の救いと恵みに生かされているのです。(KE)

神様があなたを許してご自分のところに招いて下さったことを信じることです

3月1日

「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。」マルコ1:15

 農作物の収穫にはそれぞれの時機があります。その時に適うことが最善の結果を得る道です。イエス様の救いに出会うのも、同様に「時」があります。主は今がその時だとあなたに語っておられます。神様を忘れ、離れた生活から、悔い改めて神様の許へ立ち返りましょう。「福音」を信じるとは、神様があなたを許してご自分のところに招いて下さったことを信じることです。自分を主の手に委ねて新しい命を生きようではありませんか。(KE)