自分のこころは自分ではどうすることもできません

6月7日

「心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。」エレミヤ17:9

 人の心ほどつかみにくいものはありません。自分のこころでありながら、自分ではどうすることもできません。しかも、心から全てのものが出てくるのです。善いことも、悪しきことも。このやっかいな心を支配して、善き事のみを思い、なすことができるように、神様に住んでいただき、心の主権を主に委ねましょう。(KE)

時は戻らぬ過去へと着実に過ぎ去っています

6月6日

「夜回りは言う、『朝がきます、夜もまたきます。もしあなたがたが聞こうと思うならば聞きなさい、また来なさい』。」イザヤ21:12

 年々歳々人は変わらず、同じ日々の営みのなかに過ごしています。朝がきて、夜が来る。この事の繰り返しの中に生きているようですが、しかし、もう一つの「時」があり、それは戻らぬ過去へと着実に過ぎ去っています。あなたは人生のどのような時に今あるのでしょうか。悔いのないように、二度と繰り返すことができない「今」を自覚して下さい。(KE)

神様のご愛は限りがありません

6月5日

「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。」ローマ8:32

 人の愛は限りがあります。しかし、神様のご愛は測り知ることができません。神様はあなたの罪を赦す犠牲として、神の子イエス様を世に遣わされました。それほどに大きな、限りない愛をあなたに注いでおられる方です。この方が何を惜しむことがあるでしょうか。主の愛を信じて、求め、信頼しようではありませんか。(KE)

主は救いとなり、ご自分をあなたに現してくださいます

6月4日

「主よ、われわれをお恵みください、われわれはあなたを待ち望む。朝ごとに、われわれの腕となり、悩みの時に、救となってください。」イザヤ33:2

 これは私達の祈りです。神様の恵みがなければ、人の力、わざによって生きることができないものです。日々、神様に求め、期待して待ち望むものに、主は救いとなり、腕となって、ご自分をあなたに現してくださいます。今日も、主の恵みと力が与えられますように、祈りつつ歩んで下さい。(KE)

将来は神様の手の中にだけあるものです

6月3日

「それは知恵が多ければ悩みが多く、知識を増す者は憂いを増すからである。」伝道1:18 

 今は情報の時代といわれ、様々な手段で多くの知識や知恵を得る事が出来ます。しかし、その結果、人は不安と悩み、恐れと失望を味わうことも多いのです。確かに、知識があれば未来に備えることができますが、将来は神様の手の中にだけあるもの、決して、人の思う通りにはなりません。知識を増して、神様の領域を侵すことをせず、今日一日を与えられたところを感謝して生きて下さい。(KE)

主のご性質である愛を信じて、主にゆだねて下さい。

6月2日

「主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む人はさいわいである。」詩篇34:8

 神様がどのような方であるかを知ることが、まず信頼するための第一条件です。相手を知らなければ、信用したり、信頼することはできません。神様はご自分の方から、イエス様によって、ご自分が愛であることをあらわして下さいました。主のご性質である愛を信じて、悩みや問題の中で、主の導きを信じ、ゆだねて下さい。さらに深く主の恵みを味わうことができます。(KE)

しかし、言葉を制御するのは困難なことです

6月1日

「主よ、わが口に門守を置いて、わがくちびるの戸を守ってください。」詩篇141:3

 「口は災いの元」とも言います。何気ない言葉が人を傷つけたり、怒りを引き起こすからです。しかし、言葉を制御するのは困難なことです。自分の意志で気をつけていてもできません。語るべきことを語り、言わないでいいことを言わない、これが出来るように神様に導かれ、守って頂かねばなりません。今日も、語ることがみ心にかなうよう祈りつつ主の力を求めましょう。 (KE)

神様があなたの人生を備え、導かれるのです

5月31日

「わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。」 イザヤ46:4

あなたの生涯はあなたの努力と知恵、計画とわざで進んでいくのではありません。あなたを造られた神様が、あなたの人生を備え、導き、命の限りを定められるのです。今日も、この主に導かれて生きていることを忘れないで、主に信頼してください。神様のみわざがあなたの上になされるからです。(KE)

支えて下さっていることを信じるとき、感謝できます

5月30日

「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。」ピリピ4:4

誰でも喜んでいたいと願います。しかし、現実の事柄、境遇、状況にあって、喜べないでいます。たしかに、与えられた境遇によって、喜ぼうとしてもできません。「主にあって」と言われます。喜べない現実を導き、支配し、与えておられる神様に目を向けることです。主はあなたのために命を捨てて愛して下さる方、その方があなたをみ手に支えて下さっていることを信じるとき、感謝できます。(KE)

あなたが主を自覚するとき、道も整えられるのです

5月29日

「わざわいなるかな、おのが計りごとを主に深く隠す者。彼らは暗い中でわざを行い、『だれがわれわれを見るか、だれがわれわれのことを知るか』と言う。」イザヤ29:15

神様を侮る、ないがしろにするとはまさにこのような態度のことです。人に見られなければ、だれにもわからないと思う時、人の道が乱れます。あなたが絶えず見ておられる主を自覚するとき、あなたの道も整えられるのです。いつも、神様の前に責められる所のない者となってください。(KE)