5月28日
「わたしは安らかに伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです。」詩篇4:8
夜、ぐっすりと休むことができるのは幸いです。心に思い煩いや、気がかりなことがあると、眠れなくなります。そのようなとき、あなたはどうやって眠りを取り戻すでしょうか。薬などによって眠っても、不眠の原因が残っている限り快適な熟睡とはなりません。神様を幼子のように信頼し、心をからっぽにして、主に委ねましょう。安眠が得られます。(KE)
5月28日
「わたしは安らかに伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです。」詩篇4:8
夜、ぐっすりと休むことができるのは幸いです。心に思い煩いや、気がかりなことがあると、眠れなくなります。そのようなとき、あなたはどうやって眠りを取り戻すでしょうか。薬などによって眠っても、不眠の原因が残っている限り快適な熟睡とはなりません。神様を幼子のように信頼し、心をからっぽにして、主に委ねましょう。安眠が得られます。(KE)
5月27日
「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ。」マタイ9:2
文語訳によると「子よ、心やすかれ」となっています。安心せよと、イエス様が語っておられるのです。今日、あなたの罪が赦されている!何という驚きでしょうか。しかし、赦された歓喜を味わえるのは、罪を認める人だけです。自分を正しいとするかぎり、この聖言は無縁です。あなたが人知れず抱えている罪を自覚するなら、主の赦しを感謝して受けようではありませんか。あなたのためにイエス様は十字架に掛かられたのです。(KE)
5月26日
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。」ヨハネ14:1
この世にあって、心騒がせ、思い煩うことの多い日々を送っています。しかし、神様はそのようなことを喜ばれる方ではありません。神様を信じ、イエス様を信じること、これが全てです。信じるとは信頼する、信用することです。いま、どのような事態にあっても、万物を力あるみ手で支え、導かれる神様に委ねて参りましょう。ご愛に満ちた主は最善のわざを持って私たちの期待に答えてくださいます。(KE)
5月25日
「だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるかを悟りなさい。」エペソ5:17
「愚かな者」とは、学歴や偏差値に関係したことではなく、神様を畏れ敬わない人、「神なんかいるものか」と思っている人のことです。そういう人は世間の知恵や知識を頼りとして歩みます。一方、賢い人とは神様を尊び、敬い、信じる人のことです。毎日のどんなことにも、主のみこころを求め、神様の導きを求め、確信して生活する人のことです。あなたも愚かな者にならないでください。(KE)
5月24日
「いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。」第二コリント4:10
世間でも「死んだ気になって」と言って、人を励まします。確かに、死を恐れなければ大胆に、勇ましくなれます。イエス様を信じるとはまさにそのようになることです。死んだわけではないけれども、あなたの死ぬべきところを身代わりとなって、十字架に死んで下さったと信じるとき、主の命に生かされて生きる勇気と力をいただくのです。(KE)
5月23日
「見よ、わたしが大いなる苦しみにあったのは、わが幸福のためであった。あなたはわが命を引きとめて、滅びの穴をまぬかれさせられた。」イザヤ38:17ab
人生にあって、痛い目にあうことは嫌なことです。出来れば、そのようなことは避けたいと思います。しかし、神様はあなたを幸いにしようと、苦しみの中を通されるのです。なぜなら、それによって、謙遜になり、滅びの道から救い出されるからです。人は愚かさのゆえに、何かを失って目が覚め、悟るからです。(KE)
5月22日
「その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」マタイ24:36
天地万物の終わりがいつであるか、弟子達がイエス様に尋ねました。その答えがこの聖言です。それはまた人生の終わりの時も同様です。本人である自分も知りません。ただ神様のみがご存知です。だから、例外なくすべてのものは神様の一方的なご支配の中にあるといえます。今日、何が起こるのか、私たちは知り得ませんが、神様のみ手にあることを信じましょう。(KE)
5月21日
「全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。声を放って喜び歌え、ほめうたえ。」詩篇98:4
親は子供が喜び歌っている姿を見るとき、同じように喜びを感じるでしょう。逆に、沈み込んで暗い顔をしているなら、親は心配です。そのように父なる神様はあなたが喜んでいる姿を見たいと願っています。喜べない、感謝できない、歌えない事情や境遇に思えても、どうぞ主を見上げて感謝・讃美をしてください。それは神様が喜ばれることだからです。(KE)
5月20日
「しかし善を行って苦しみを受け、しかもそれを耐え忍んでいるとすれば、これこそ神によみせられることである。」第一ペテロ2:20
良いことをして良い報いを受ける、また悪を行って罰せられるのは当然のことです。神様を信じるとは、全てのことを知っておられ、それぞれに正しい報いを与えられることを信じるのです。正しいさばきをなさる方を信じて、自分でさばかず、復讐せず、不当なことと思えることにも耐え忍んで、主のみわざを待ち望みましょう。(KE)
5月19日
「わたしはみ言葉を与えられて、それを食べました。み言葉は、わたしに喜びとなり、心の楽しみとなりました。」エレミヤ15:16
聖書のことばはまさにこの通りに「食べる」ものです。理解するとか、知識として知るだけでは不十分です。食べた食事は体内で消化され、分解し、エネルギーとなり、具体的な行動を生み出します。そのように心を養う食物として取り込まれたみ言葉はあなたの心に力と喜びを与え、あなたの行動に変化を生み出します。み言葉を食べて体験して下さい。(KE)