2月17日
「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。」ピリピ4:6
嬉しいことではないですか。どんなことでも神様に申し上げなさいと勧めて下さるのですから。あなたの祈りを、願いを聞こうと言ってくださる神様がどこにいるでしょうか。どうぞ、遠慮無く、どんなことでも祈って下さい。祈り方や特別な言葉はありません。あなたが家族に話すように主に語るのです。最後に、「主に御名によって」と結んで下さい。(KE)
2月17日
「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。」ピリピ4:6
嬉しいことではないですか。どんなことでも神様に申し上げなさいと勧めて下さるのですから。あなたの祈りを、願いを聞こうと言ってくださる神様がどこにいるでしょうか。どうぞ、遠慮無く、どんなことでも祈って下さい。祈り方や特別な言葉はありません。あなたが家族に話すように主に語るのです。最後に、「主に御名によって」と結んで下さい。(KE)
2月16日
「子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。」第一ヨハネ3:18
私達には人を愛する愛はありません。あるのは自分を愛する愛だけです。真実に人を愛し行うには、自分が神様からどんなに大きな愛で愛されているかを知るときです。神様の愛を深く感じるとき、自分を捨てて無償の愛を行うことができます。愛のない者であることを認めて、主の十字架のご愛に満たされましょう。(KE)
2月15日
「わたしは、自分を強くして下さったわたしたちの主キリスト・イエスに感謝する。」第一テモテ1:12a
人は弱いゆえに強くなろうと努力します。他人の噂、死の恐れ、経済的な不足、友情を失う心配など、いろんな事で動揺させられ、心騒がせ、一時も休まりません。しかし、あなたがキリストと共に十字架に死んだものとなりきって、主によって生かされていることを確信するとき、何を失おうとも恐れることなく、動かされず、強く立つことが出来ます。(KE)
2月14日
「しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。」ローマ5:8
神様の愛を知るのは、あなたの事情・境遇の善し悪しによるのではありません。ただ、十字架を立てて、罪を赦し、あなたを神様の手に握って下さったことです。値打ちも、価値もない者のために、命を捨てて下さった大きな愛、この愛を信じて感動し、愛に応答して生きるところに命と力が湧いてきます。(KE)
2月13日
「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」第二コリント5:17
誰でも一度や二度、自分に失望落胆し、出来れば死んでやり直したいと思うことがあります。実は、やり直せる道があるのです。それが「キリストにあるならば」というのです。十字架に自分を死んだものとし、よみがえられたイエス様に生かされて今日を生きるのです。死んで生きる不思議を体験して下さい。(KE)
2月12日
「あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。」 マタイ6:27
自分の事は自分が知っていると言いますが、それほど人は賢いものでしょうか。何でも自分が、自分がと言いながら、自分の命すら延ばすこともできないのです。自分で生きているのではなく、神様の許しがあって生かされているからです。生きるのも死ぬのも主のみ手にあります。だから、心配しないで主に任せようではありませんか。(KE)
2月11日
「主よ、わたしは知っています、人の道は自身によるのではなく、歩む人が、その歩みを自分で決めることのできないことを。」エレミヤ10:23
毎日の歩みを人は自分で選択して実行しているように思っています。しかし、実際のところ、人の思い通りに進んでいるわけではありません。世間の動き、周囲の人との関係、経済的な理由、意固地になった人の思いなど、無数の要素に影響されているように見えます。しかし、神様はあなたのために全ての事を備えて導いておられるのです。(KE)
2月10日
「人はその短く、むなしい命の日を影のように送るのに、何が人のために善であるかを知ることができよう。」伝道6:12a
神様が備えられた永遠の時間の中で人の一生はあまりにも短いものです。あなたの今日の一日は神様の手に握られた永遠の時のほんの一コマにすぎません。今日があなたにとって善かったか悪かったかを決めることは出来ません。ただ、今なし得ることに力を尽くして果たすことだけです。そのことの結論は神様が出されるのです。(KE)
2月9日
「あなたは神と和らいで、平安を得るがよい。そうすれば幸福があなたに来るでしょう。」ヨブ22:21
カインは弟アベルの捧げ物が神様に喜ばれ、自分の捧げ物が退けられたことで、アベルを殺しました。カインは神様のやり方に憤ったのです。その結果、罪のないアベルの死になりました。自分は不幸だと思っているとき、与えられた境遇や処遇を受け入れられないでいるとき、実は神様に怒っている時なのです。十字架によって与えられた和解を受けて下さい。(KE)
2月8日
「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」伝道3:11
確かに、物事にはタイミング、チャンスというべきものがあります。その時をはずすと滑稽だったり、相手に失礼であったり、周囲の人を不愉快にさせたりする事にもなります。仕事の上でも家庭での事でも、時にかなったときほど痛快なことはありません。しかし、人は自分の欲や感情、メンツやツッパリのために、時を逃すのです。神様の導きに従う以外に好機を掴むことはできません。(KE)