よみがえられた主は、「あなたの神」です

4月27日

「あなたの神、主なるわたしはあなたの右の手をとってあなたに言う、『恐れてはならない、わたしはあなたを助ける』」。イザヤ41:13

 よみがえられた主は、「あなたの神」です。しかも、「助ける」との約束です。であれば、何を躊躇することがあるでしょうか。今、あなたが抱えている悩み、不安、恐れなど、どんなことでも打ち明け、助けを求めようではありませんか。誰のものでもない、「あなたの神」なのですから。今日も主の助けを信じて、前に進みましょう。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書45章

使徒行伝4章

善い事と思っても、私達は長続きしません

4月26日

「上から力を授けられるまでは、あなたがたは都にとどまっていなさい」。ルカ24:49

復活の主にお会いした弟子達は、非常な喜びに満たされました。ユダヤ人を恐れて隠れ潜んでいた彼らが、どこよりも人が集まる神殿に日参するようにもなりました。しかしイエス様は彼らに、聖霊を受けるまでは宣教に出ないようお命じになります。どんなに善い事のためと思っても、私達の感情の高ぶりは一時的で、長続きしません。しかし聖霊の力を受ける時、あらゆる困難の中にも立ち向かって行くことの出来る力が与えられます。(MK)

今日の通読箇所

イザヤ書44章

使徒行伝3章

主との交わりに心が熱なった事を覚えます

4月25日

「彼らは互に言った、『道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか』」。ルカ24:32

 イエス様の死に絶望してエマオへ行く途中の二人の弟子は、よみがえった主に出会いますが、目の前の人物が主であることに気付きません。彼らは事態が好転していることを知らないのに、主との交わりの中に心が熱く燃えたことを自覚します。イエス様の言葉は事の如何に関わらず、私達の心を内側から燃やし、信仰に満たす力があります。(MK)

今日の通読箇所

イザヤ書43章

使徒行伝2章

引き受ける事が十字架を負うという事です

4月24日

「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。マタイ16:24

 『十字架』とは、過去の失敗からくる自責の念のことではありません。何故ならそれは既に、イエス様によって解決されているからです。日常生活の一つひとつを、神様から与えられた使命と信じ引き受けることが、十字架を負うということです。イエス様は自らの十字架に、「立て、さあ行こう。」と向かわれました。この歩みに倣いたいものです。(MK)

今日の通読箇所

イザヤ書42章

使徒行伝1章

私たちが聞くべきものは、神の命令です

4月23日

「イエスはまた彼らに言われた、『安かれ、父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす』」。ヨハネ20:21

 主を信じる者たちは、天国住民とされました。もはやこの世は異教・異国の地です。今なおこの世にあるのは、神の国の王であるイエス様から派遣された者としてです。だから、この世の習慣や仕来りなどには縛られません。私たちが聞くべきものは、神の国の王の命令です。今日も神の民として、家庭に学校に職場へと派遣されて行くのです。(KE) 

今日の通読箇所

イザヤ書41章

ヨハネによる福音書21章

この方によれば何も恐れる事もありません

4月22日

「イエスは女に言われた、『女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか』」。ヨハネ20:15a

 甦りの日の朝、マリヤは空になった墓で泣いていました。そこへ主が現れ、声をかけられたのです。闇の力の象徴である墓を打ち砕いて勝利して下さった主。この方によるなら、もはや何ものも悲しむことも恐れることもありません。あなたのすぐそばにおられる主を信じてください。今日も主は言われます。「なぜ泣いているのか」と。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書40章

ヨハネによる福音書20章

今日も蘇った主は共に歩いて行かれます

4月21日

「語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた」。ルカ24:15

 エマオへ行く二人の弟子たちに、主が近づいて一緒に歩いて行かれました。しかし、彼らはイエス様を認めることができません。今日もよみがえった主はあなたと共に歩いて行かれます。日々の一つ一つの業を通して、主が共にいますことを実体験してください。主を知りたいと求めれば、必ず答えてくださいます。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書39章

ヨハネによる福音書19章

主はよみがえって私達の内に宿っています

4月20日

「イエスはよみがえって、ここにはおられない」。マルコ16:6b

 今日は主のご復活を記念するイースターです。主はわたしたちの罪を贖うために十字架の死を受けてくださいました。その死によって、私たちは罪を赦され、神の子とされたのです。そればかりか、主はよみがえって私たちの内に宿っておられます。死の力を撃ち砕き、私たちを真の命に生きる者、天国の市民として下さいました。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書38章

ヨハネによる福音書18章

イエス様は神様に全くお委ねになりました

4月19日

「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」ルカ23:46

 十字架上の七言の第七番目です。イエス様は息を引き取られる直前、御自身の魂の取り扱いすらも、父なる神様に全くお委ねになりました。そして神様はイエス様の魂を、陰府にまで降らせなさいます。ペテロはその場所を「神に従わなかった者の霊が居る所」と記し、キリストはそこでも宣教されたと残しています。
 
イエス様の十字架の死とよみがえりは、古今東西すべての人にとっての福音です。(MK)

今日の通読箇所

イザヤ書37章

ヨハネによる福音書17章

イエス様が、使命を完遂した一言です

4月18日

「すべてが終った」ヨハネ19:30

 十字架上の七言の第六番目です。救い主としてこの世に来てくださったイエス様が、御自身の果たすべき使命を完遂したと宣言された一言です。主は神の御位を捨てたばかりか、命も感情もまたその魂すらも注ぎつくしてくださいました。救いを通して私達が得たものは全て、イエス様が十字架上で献げてくださったものです。(MK)

今日の通読箇所

イザヤ書36章

ヨハネによる福音書16章