残された旅路に必要なものは僅かです

10月29日
「わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く。」第一テモテ6:7

地上の生活は旅先のようなものです。しかも、手ぶらで来て、滞在地ですべての必要なものを調達します。また、そこに全部置いて帰るのです。だから、今日必要なものだけで十分です。いつまでも居るもののごとく積み蓄えるほど愚かなことはありません。残された旅路に必要なものは僅かです。神様は乏しからず、余ることなく、あなたに備えて下さいます。(KE)

本来、人としての生き方は、神様に喜ばれることが重要です

10月28日
「主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい。」エペソ5:10

世間では人に喜ばれ、多くの人に賞賛されることが、徳目の一つと考えられているようです。確かにそれは良いことですし、幸いなことでしょう。しかし、本来の人としての生き方は、神様に喜ばれることが重要で、結果として人に喜ばれることが付随するのです。まず、神様に喜ばれることが何であるかを祈りつつ求めようではありませんか。そのとき、人にも真実に喜んでもらえるのです。(KE)

神様を自分より少しすぐれた方くらいに軽んじていませんか

10月27日
「あなたは知らなかったか、あなたは聞かなかったか。主はとこしえの神、地の果の創造者であって、弱ることなく、また疲れることなく、その知恵ははかりがたい。」イザヤ40:28

神様は森羅万象、全てのものを大能の力で統べ治めておられます。しかし、私達はその方を自分より少しすぐれた方くらいに軽んじていませんか。また、自分のような小さなものに気づいておられないとでも思っていませんか。今日も、尽きることのない主の力があなたに注がれているのです。(KE)

人生には何を頼りにしているか問われる時があります

10月26日
「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな。」ヨブ1:20

ヨブが試みに会い、家族や財産を失ったとき、語った言葉です。彼は神様が主権者であることを認めました。人は家族、財産、仕事、地位、名誉など、世につけるものを取り去るとき、裸一貫になります。そのときこそ、その人が何をより所としているか、何を頼りにしているか、真価が問われます。人生には必ずそのような時があります。あなたは何と答えますか。(KE)

あなたを愛して下さる主は、あなたに報いて下さるためです

10月25日
「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである。」エレミヤ17:10

神様はあなたの心を探り、考えること、思うことが何であるかを知り尽くしておられます。何だか怖いようですが、決して懲らしめたり、罰するためではありません。あなたを愛して下さる主は、あなたに報いて下さるためです。言葉に言えない思いまで知り尽くして応えてくださる方に、全てを打ち明けて、委ねましょう。(KE)

神様に肩を並べることは不可能です

10月24日
「主は天から見おろされ、すべての人の子らを見、そのおられる所から地に住むすべての人をながめられる。」詩篇33:13-14

この世での人間関係は前後左右など、水平の関係ですが、神様と人との間は、上と下、天と地との関係です。水平方向での移動や交替は容易ですが、人がどんな事をしても、天にある神様に肩を並べることは不可能です。天に住まわれる神様はあなたの全てを知っておられ、隠すこともできません。だからこそ、天に救いがあるといえます。(KE)

どんな困難も積極的に受けて生きようではありませんか

10月23日
「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」詩篇119:71

苦しみに会うことは嫌なことですが、人はそれを受けることによって知恵を得ることも確かです。人が人としての生き方をしなければ、生きる値打ちがありません。楽な道、事のない人生ほど味気ないものはないでしょう。どんな困難であっても、その中で、自分が創造の目的に適うよう造りかえられることを願い、積極的に受けて生きようではありませんか。(KE)

人生での決断は、不安と恐れが伴うのです

10月22日
「わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。」第二コリント5:7

生きることは常に選択と決断が求められます。熟知していること、経験したことであれば、自信をもって容易に決断できますが、人生での決断は、未知なこと、不明なことについて下さねばなりません。だから、不安と恐れが伴うのです。しかし、神様の存在と力、神様の業を信じて踏み出すとき、あなたは確かな安心と望みを得られます。これが信仰に歩むことです。(KE)

今を最善と信じなければ、恵みのときはほかにありません

10月21日
「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。」第二コリント6:2

人に許されている時は「今」しかありません。過去の時は過ぎ去ったものです。未来の時はまだ不確定です。果たしてその時に生きているかどうかわかりません。常に、“いま”という時の中に生きているのです。最悪と思われても、今を最善と信じなければ、恵みのときはほかにありません。過去を振り返ってあこがれても虚しいことです。いつも、「今」を自覚して、感謝し、喜ぼうではありませんか。(KE)

人の真価を問われるのは、むしろ心地よい称賛によります

10月20日

「るつぼによって銀をためし、炉によって金をためす、人はその称賛によってためされる。」箴言27:21

金銀は高熱の炉によって精錬され、朽ちない貴金属に仕上げられます。人の真価を問われるのは、艱難や困難に遭うことではなく、むしろ心地よい称賛によります。多くの人から褒められて、お天狗になり、努力を忘れ、自堕落になる人がいます。それだけの値打ちというだけのことです。逆に、ますます謙遜になり、精進するものはいよいよ尊ばれる事になります。(KE)