3月17日
「また、からだを殺しても、魂を殺すことの出来ない者ともを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」マタイ10:28
人はいつも何かを恐れています。病気だとか、老後のこと、経済的なこと、人間関係など、様々なものを恐れます。しかし、それらはこの世だけのことです。人の命はこの世だけでは終わりません。神様のもとへ帰るのです。恐るべき方は神様だけです。イエス様はそこへ帰る道となって下さいました。神様を畏れて主の道を歩もうではありませんか。(KE)
3月17日
「また、からだを殺しても、魂を殺すことの出来ない者ともを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」マタイ10:28
人はいつも何かを恐れています。病気だとか、老後のこと、経済的なこと、人間関係など、様々なものを恐れます。しかし、それらはこの世だけのことです。人の命はこの世だけでは終わりません。神様のもとへ帰るのです。恐るべき方は神様だけです。イエス様はそこへ帰る道となって下さいました。神様を畏れて主の道を歩もうではありませんか。(KE)
3月16日
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」第一テサロニケ5:16-18
神様が私達に求められることは決して難しいことではありません。喜び、祈り、感謝する。ただこれだけです。しかも誰もが願っていることではないでしょうか。今日も一日、神様が喜ばれることをしようではありませんか。あなたには出来ないと思いますか。その理由は何でしょうか?(KE)
3月15日
「わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。主は耳を傾けて、わたしの叫びを聞かれた。」詩篇40:1
信仰を持って生きるとは忍耐して神様の業を待つことです。どうなるのか分からないで、ただひたすら忍耐することは大変苦痛です。しかし、必ず良きことを備えて下さるとの希望を抱き、神様に期待し忍耐して待つことは楽しいことです。今日、あなたが置かれている境遇の中で祈りつつ、主がなして下さる出来事を待望しながら、生きようではありませんか。(KE)
3月14日
「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。」イザヤ43:1b
神様はあなたをひとり子イエス様の命を代価として、買い取って下さったのです。あなたはもう神様のものなのです。しかも、あなたのことを全て知り尽くし、名指しで神様の所有として下さいました。それほどの大きな犠牲が注がれたあなたを神様は見捨てることができません。今日も、この神様の手にいっさいを委ねて、従って参りましょう。(KE)
3月13日
「わたしは常に主をわたしの前に置く。主がわたしの右にいますゆえ、わたしは動かされることはない。」詩篇16:8
あなたの心にいつもある思いは何でしょうか。病気のこと、お金のこと、子供や孫のこと、老後のこと、仕事のことでしょうか。ダビデ王は何よりも第一に神様のことを心の中心に置いたと言います。いつも神様を思う心であるとき、平安と望みがあります。それ以外のものが心を占めるとき、不安と失望しかありません。どうぞ、今日も主を思って生きて下さい。(KE)
3月12日
「狭い門からはいれ、滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。」マタイ7:13
与えられた一回限りの人生をどのように生きるべきでしょうか。世間に習い、習慣やしきたりに身を委ねて、多数の中の一人となって生きるのはとても易しい楽な生き方です。しかし、その結果は虚しい活ける屍というほかありません。神様を信じてその手に自分を委ね、人にならわず世に流されない人生こそ、生き甲斐のある人生です。これは狭い門です。(KE)
3月11日
「ヤコブは眠りからさめて言った、『まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった』。」創世記28:16
神様がおられるだろうかと思うような現実が目の前にあります。しかし、実に神様はそのような所におられるのです。ただ、あなたが気づかないだけです。心低くして主を呼び求めて下さい。主は必ず答えてくださいます。また、主がご自分をあらわして共におられることを確信させて下さいます。神様のいますことを悟るとき世界が変わります。(KE)
3月10日
「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。」ローマ7:24
自分に失望することはあっても、絶望することはなかなか無いものです。どこかで、わずかでも自分を肯定しようとするものです。自尊心を持つことが勧められますが、真の自尊心は、徹底的な自己否定から始まり、神様の「よし」とされるのを確信することです。絶望的な滅びから救い出される喜びに今日も生かされているのです。(KE)
3月9日
「しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。」黙示2:4
どんなことにも初めがあります。生まれたとき、入学したとき、就職したとき、結婚したときなど、その最初は喜びと感激で始まるものです。しかし、時間が経つにつれて、初めの思い、感激は薄らいできます。そのことに慣れてしまうからでしょうが、その結果、形だけのものになり、心を欠いたわざとなります。初心に帰って、謙遜になり、神様の恵みとご愛を深く新鮮に感じるものとなってください。(KE)
3月8日
「主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。」第一コリント15:58c
今日、あなたは誰のために生きようとしていますか。自分のため、家族のためでしょうか?実は、私達はみな神様のために生きる者として造られたのです。神様のためにこの事をさせて頂いていると信じるとき、神様からの報いをいただくことが出来ます。たとえ、誰にも認められない小さな業であっても、主はご存知です。あなたの労苦に報いてくださいます。(KE)