イエス様が、使命を完遂した一言です

4月18日

「すべてが終った」ヨハネ19:30

 十字架上の七言の第六番目です。救い主としてこの世に来てくださったイエス様が、御自身の果たすべき使命を完遂したと宣言された一言です。主は神の御位を捨てたばかりか、命も感情もまたその魂すらも注ぎつくしてくださいました。救いを通して私達が得たものは全て、イエス様が十字架上で献げてくださったものです。(MK)

今日の通読箇所

イザヤ書36章

ヨハネによる福音書16章

イエス様の絶望は計り知る事ができません

4月17日

「わたしは、かわく」ヨハネ19:28

 イエス様が発せられた十字架上の七言の第五番目です。このかわきとは喉の渇きばかりでなく、心の渇き、魂の渇きです。私達に代わって罪人となられたイエス様は、父なる神様との完全な断絶の中にありました。最も辛い時、最愛の方との交わりが断たれた絶望と孤独は、計り知ることができません。 本来この絶望という渇きを味わうべきは私達の方でした。イエス様は十字架を通し、私達に神様との交わりを回復してくだったのです。(MK)

今日の通読箇所

イザヤ書35章

ヨハネによる福音書15章

祈りは父なる神様のみ心に委ね切る事です

4月16日

「しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。マタイ26:39

 ゲッセマネの園での祈りです。主は十字架の死を目前にして、父なる神様にご自分の思いを打ち明けます。悲しみと恐れの中にある主の心を鎮める道は祈り以外にありません。また祈りの最終地点は自分の願いを実現するためではなく、父なる神様のみ心に全く委ね切ることです。私たちも心からこの祈りに同感できるまで祈ろうではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書34章

ヨハネによる福音書14章

イエス様は私達の弱さに同感できる方です

4月15日

「そのとき、彼らに言われた、『わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい』」。マタイ26:38

 イエス様は決してスーパーマンではありません。私たちと同じ弱さを知り、病を知って同感することのできる方です。十字架の死を知りつつ、心は動揺されます。死ぬほどの悲しみがどんなであるか、知る由もありませんが、その苦しみは私たちの罪の故です。主の苦しみを深く心に刻んで、悲しみの同伴者となりましょう。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書33章

ヨハネによる福音書13章

主は弱点を覆う者だとを示されたのです

4月14日

「しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである」。ヨハネ13:14

 主は晩餐の席で、突然、立って、弟子たちの足を洗われました。弟子たちは突然のことでびっくりしてされるままに委ねました。主は具体的な行動を見せることによって、他人の弱点や劣っているところを覆う者となることを示されたのです。主はわたしたちの罪を負って、命まで捨ててくださいました。まず身近な人の弱さや欠けたるところを隠す者となりたい。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書32章

ヨハネによる福音書12章

「頑な」になる時、人は多く失敗します

4月13日

「あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、「きょう」といううちに、日々、互に励まし合いなさい」。ヘブル3:13

 人が失敗する原因の多くは、「頑な」になる時です。分かっていながら、どうしても素直になれない。イエス様を裏切ったユダも、イエス様から「いや、あなただ」とはっきり指摘されながら、認めようとはしなかったのです。主のみ声を聴く時、素直な心になるよう互いに励まし合いましょう。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書31章

ヨハネによる福音書11章

名を呼んで、あがなってくださったのです

4月12日

「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ」。イザヤ43:1

 『あがなう』とは買い取るという意味です。神様はイエス様という代価を支払って、私たちをあがなってくださいました。それも一山いくらのまとめ買いではなく、『名を呼ん』で、即ち「あなたが欲しい」と買ってくださったのです。イエス様を信じる者を、神様は御自身の所有物として懐に入れてくださいます。これほど安心なことはありません。(MK)

今日の通読箇所

イザヤ書30章

ヨハネによる福音書10章

イエス様は私達にも名前を呼びかけます

4月11日

「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。ルカ19:5

 町中の嫌われ者だった取税人のザアカイに、イエス様が掛けた最初の言葉です。これをきっかけに回心したザアカイでしたが、全く新しい生き方を始めるのは、決して容易くなかったでしょう。そんな彼を支えたのは、イエス様に出会った時の感動と、この一言だったのではないでしょうか。イエス様は私達にも名前を呼びかけ、初めの感動と勇気を思い起こさせてくださいます。(MK)

今日の通読箇所

イザヤ書29章

ヨハネによる福音書9章

必要なことは、聖霊が教えてくださいます

4月10日

「言うべきことは、聖霊がその時に教えてくださるからである」。ルカ12:12

 新しいことを始めようとする時、先々のことを考え過ぎて自ら不安を呼び込んでしまうことがあります。弟子達を宣教に遣わされる際イエス様は、必要なことは「聖霊が教えてくださる」と励まされました。事が起きる前から心配し過ぎては身動きがとれなくなってしまいます。どんな時でも御霊が働かれる余地を残して、自由を得たいものです。(MK)

今日の通読箇所

イザヤ書28章

ヨハネによる福音書8章

歴史は繰り返され、中身は変わりません

4月9日

「先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない」。伝道1:9

 世間でも「歴史は繰り返される」と言われます。確かに着ている衣装は変わるでしょうが、その中のものはかわりません。独裁者が現れ、他人の領土を奪うなど、繰り返されてきました。他のことにおいても同じことが言えます。見えるところに惑わされず、不変不動の神様の言葉をしっかり握って立ちましょう。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書27章

ヨハネによる福音書7章