10月10日
「わたしの戒めに心をとめよ、見よ、わたしは自分の思いを、あなたがたに告げ、わたしの言葉を、あなたがたに知らせる。」箴言1:23
“戒め”とは聖書のことばです。あなたがみことばを心にとめて生活するとき、神様はあなたに直接語って下さいます。声は聞こえませんが、心に自分では考えられない思いが与えられます。どうぞ、今日もみことばを心に据えて、神様の語りかけを心の耳に聞いて、主のみ心に従ってください。主の恵みに出会うことができます。(KE)
10月10日
「わたしの戒めに心をとめよ、見よ、わたしは自分の思いを、あなたがたに告げ、わたしの言葉を、あなたがたに知らせる。」箴言1:23
“戒め”とは聖書のことばです。あなたがみことばを心にとめて生活するとき、神様はあなたに直接語って下さいます。声は聞こえませんが、心に自分では考えられない思いが与えられます。どうぞ、今日もみことばを心に据えて、神様の語りかけを心の耳に聞いて、主のみ心に従ってください。主の恵みに出会うことができます。(KE)
10月8日
「しかし、信心があって足ることを知るのは、大きな利得である。」第一テモテ6:6
信仰を求める動機は、現在の状態・状況に満足できない、受け入れられない思いがあるからです。信仰はまず心の平安、安心を得ることですが、それは「足ることを知る」ことでもあります。その結果として、周囲の情勢も具体的に変化して、思いがけない恵みに会うことが出来ます。「利得」とは御利益のことですが、ここで言われている真の御利益は物質的なものではなく、自分の内なる変化です。(KE)
10月7日
「そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。」ピリピ1:6
「キリスト・イエスの日」とは、世の終りの時、イエス様が裁き主として来られる日のことです。神様は私たちの心に思いを与え、御心にそって導かれ、終末の日までに必ず完成してくださるのです。神様のみ手に絶えず自分を委ねて、主のなされることを信頼し続けるとき、あなたの想像し得ない結果を出してくださいます。(KE)
10月6日
「ああ人よ。あなたは、神に言い逆らうとは、いったい、何者なのか。造られたものが造った者に向かって、『なぜ、わたしをこのように造ったのか』と言うことがあろうか。」ローマ9:20
今、与えられている自分、置かれている境遇など、どれ一つをとっても神様の造られたものばかりです。自分の何かを不満に思ったり、不平をならべることは造り主なる神様に言い逆らうことにほかなりません。まず、神様の創造のわざであることを認め、感謝して受けようではありませんか。(KE)
10月5日
「あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ。」イザヤ55:6
いつでもできると思うと、今という時を怠惰に過ごしてしまいます。今しかない、と思うとき、人は真剣になります。神様を求め、知ることも同じです。まだ若い、来年がある、そのうちヒマになったら、と思っていると、その時を逃してしまい、取り返しがつかなくなります。神様を深く知り、信頼し、望みと平安を得るときは今日しかありません。主はあなたを求めておられます。(KE)
10月4日
「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」ピリピ4:13
自分の弱さ、足らないところは日々痛感させられます。それを補いカバーしようと悪戦苦闘しますが、どうにもなりません。人が欠けだらけの存在であるのは、神様がご自分の力を表わそうとなさるためです。自分ではどうにもならない、神様に頼らなければならないものとして造られたのです。しかし、神様は力の源、あなたを強くすることが出来ます。今日もこの方の力を得て下さい。(KE)
10月3日
「うそ、偽りをわたしから遠ざけ、貧しくもなく、また富みもせず、ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。」箴言30:8
神様に祈り求めることの多い毎日を送っていますが、この言葉の祈りも私たちの日々の祈りに加えてください。自分の弱さ、貪欲、見栄など、自分の姿を知って、そこから主の力を求めることが祈りです。慎ましく、与えられたものをもって感謝し、満ち足りていること、これ以上の幸いはありません。生きる悩みは自分のうちにある情欲に駆られるからです。(KE)
10月2日
「主がエリヤによって言われた言葉のように、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えなかった。」列王紀上17:16
預言者エリヤの時代に、飢饉と干ばつによって苦しみが臨みましたが、神様はケリテ川のほとりでカラスによって食物を備え、ザレパテでは寡婦の家で彼を養いました。人の知恵や考えではとうてい推し量れない方法を用いて、神様はあなたに命を与えてくださいます。今日はどのように主が養ってくださるでしょうか。主に期待して、その不思議なわざを体験してください。(KE)
10月1日
「ダビデはナタンに言った、『わたしは主に罪をおかしました』。」サムエル記下12:13a
名君ダビデが忠臣なる部下、ウリヤを激戦の地で殺し、その妻を奪うという罪をおかしました。預言者ナタンに罪を指摘されたとき、彼は神様の前に罪を認め、悔い改めました。悪を行って危害を加えた相手に「悪かった」と悔いることはしますが、神様に対する責任を認めて悔い改めなければ、心から赦された喜びを受けることはできません。人に謝罪するだけでなく、神様の赦しを求めねばなりません。(KE)
9月30日
「あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、『きょう』といううちに、日々、互に励まし合いなさい。」ヘブル3:13
素直で従順な心を持つことは単純で愚かな人と思われるのを恐れて、つい心にもなく、片意地になります。そのため、人間関係は複雑になり、軋轢が生まれ、息苦しくなるのです。神様に対しても同様です。主があなたの心に語りかけてくださるとき、素直に“ハイ”と従おうではありませんか。(KE)