8月17日
「ひとりびとり、自分の行いを検討してみるがよい。そうすれば、自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるであろう。」ガラテヤ6:4
“傍目八目”と言われるように、当事者である自分を客観的に見ることが難しいものです。それだけに、意識して自分を厳しく見ていなければ浮き上がった存在になってしまいます。神様の目に自分がどのようにうつっているか、この視線を自分に向けておきたいものです。そうでなければ、独りよがりの自己満足になります。(KE)
8月17日
「ひとりびとり、自分の行いを検討してみるがよい。そうすれば、自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるであろう。」ガラテヤ6:4
“傍目八目”と言われるように、当事者である自分を客観的に見ることが難しいものです。それだけに、意識して自分を厳しく見ていなければ浮き上がった存在になってしまいます。神様の目に自分がどのようにうつっているか、この視線を自分に向けておきたいものです。そうでなければ、独りよがりの自己満足になります。(KE)
8月16日
「神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。」詩篇139:23
親しい関係になると、相手に自分を知ってもらいたいと願います。しかも、ありのままの自分を。隠し事を持っていては親密な関係にはなり得ないからです。神様とあなたとの関係はどんな関係でしょうか。なんでも知ってもらいたいと言えるのは、相手を深く信頼しているからです。神様との堅い信頼を築こうではありませんか。(KE)
8月15日
「あなたがたは、むさぼるが得られない。そこで人殺しをする。熱望するが手に入れることができない。そこで争い戦う。」ヤコブ4:2
最近の世情を見ると、いとも簡単に人を殺す事件があまりに多くなっていることに驚きます。すべての悪は人の心から生まれてきます。物事自体が悪の力をもつのではなく、それを受け止める人の心が問題なのです。自分の心を良き思いにいつも満たすことが出来ればどんなに幸いでしょうか。あなたの心が神様の平安と望み、愛と忍耐に満たされ、争うことがないように祈りましょう。(KE)
8月14日
「きょうは野にあって、あすは炉に投げ入れられる草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。」ルカ12:28
あなたは今なにを思い煩っていますか。健康のこと、仕事のこと、老後のこと、家族のことでしょうか。神様はあなたのために最善な事をしようとしておられます。なぜなら、独り子をすら惜しまないほど愛しているからです。それを信じて全てのことを感謝しましょう。思い煩いに満ちるとき、野の花、空の鳥を見て下さい。(KE)
8月13日
「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。」伝道12:1
私は、自分がこの瞬間生きていることを考えると、不思議な気がします。いつもは当たり前のこととして、そんなことを考えもしません。一体、自分は何によって、何ゆえに“ある”のか、それを考えると、結局すべての根源であり、始まりである神様を認めざるを得ません。自分が造られた存在であることは創造者である神様の存在を否定できないのです。私たちは今日も造り主の意図と意志によって導かれています。(KE)
8月12日
「しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。」黙示2:4
世間でも“初心忘るべからず”と言われます。それだけ、人は変わりやすいものだからです。何事も、初めのうちは感激や感動、喜びと望みに満ちていますが、事に慣れてくると、緊張がゆるみ、初々しい初めの心が失われてきます。信仰についても同様です。それゆえに、常に自覚して“初めの愛”を取り戻すように努めたいものです。夫婦の関係でも、仕事のことでも、人との関係でも。(KE)
8月11日
「わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。」詩篇73:26
目で見るもの、手で触るものなど全ては変化して、消滅します。まず、自分自身すら年齢を重ねるとともに、失われていきます。そのような不安定な、消え去るものの中にあって、確固として不動のものに自分を据えることが出来れば、どんなに幸いでしょうか。神様はあなたの立つべき堅固な岩となってくださるのです。確信して、このみことばのように告白してください。信じた如く、神様は力あるみ手で支えてくださいます。(KE)
8月10日
「杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている。」マタイ23:25c
イエス様が「偽善者」を非難された言葉です。偽善は不真実だから、神様が嫌われることです。人前や、見えるところは立派であっても、内側や人目につかないところでは、いいかげんにしてしまうのです。本音と建前もその一つでしょう。神様が求められるのは、真実であること、表裏のないことです。素直で、真実になるにはありのままになること。神様の前には繕うことも、隠すこともできないのですから。(KE)
8月9日
「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」ピリピ4:13
これはなんと大胆で、自由な言葉ではないでしょうか。誰でも自分の弱さを知っています。それゆえ、いつも自信がもてません。大丈夫だろうか、出来るだろうかと不安を覚えます。しかし、たとえ自分に力がなくても、それを与えて下さる方がおられるならば、恐れることはいりません。しかも強くしてくださる方が神様であれば、なおさらのことです。あなたにも神様は力を与えて下さいます。信じて踏み出してください。(KE)
8月8日
「主よ、わが終りと、わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、わが命のいかにはかないかを知らせてください。」詩篇39:4
どんなに楽しいことも、また悲しいことであれ、必ず終わるときがきます。朝に始まる一日も夜と共に終わります。日常的にそのことを体験しながらも、自分の一生の終りを自覚しようとしません。終わるときが間近であると知るとき、今をどのように生きるべきかが見えてきます。今日も終わりのときに向かって時が過ぎて行きます。あなたは今日どのように生きるのでしょうか。(KE)