弱いからこそ、謙遜になって神様を求めます

8月6日

「もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう。」第二コリント11:30

人が誇り、自慢するものは、他の人よりも優れたところ、勝ったもの、また誰よりも強いことではないでしょうか。「弱さ」は恥ずかしいこと、隠しておきたいことですが、むしろそれを誇るなどとはなんと大胆なことでしょう。マイナスをプラスに変えるのは、神様からの力を頂くからです。弱いからこそ、謙遜になって神様を求めますし、弱さのゆえに、神様の力が鮮やかに表されるのです。(KE)

神様を認め、恐れて、かしこみ、尊ぶとき、人は謙遜になることができます

8月5日

「愚かな者は心のうちに、『神はない』と言う。彼らは腐れはて、憎むべき事をなし、善を行う者はない。」詩篇14:1

 人が神様を畏れなくなるとき、何を絶対的な基準としますか。身勝手な人間が自分を神とし、己の義を押し通して、無秩序な混乱が支配します。神様を認め、恐れて、かしこみ、尊ぶとき、人は謙遜になることができます。また、絶対者と相対者、造物主と被造物との秩序が生まれ、善悪の区別が出来てきます。今、あなたの心に、家庭に、社会に、神様を失っていませんか。(KE)

神様は確かにあなたの一日を導き、目をとめてくださっています

8月4日

「それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。」マタイ10:31

 すずめのように小さな存在ですら、神様はかえりみておられます。ましてや、あなたのことを忘れることがあるでしょうか。目には見えないけれども、神様は確かにあなたの一日を導き、目をとめてくださっています。何をするにも、神様を思い、そのみこころを求めようではありませんか。主はあなたの計画、考え、思いを遥かに超えた道を備えておられるのですから。(KE)

神様が“よし”と言われるものを、素直に、そのままで受けようではありませんか

8月3日

「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない。」使徒11:9

 人は自分の嗜好や価値観で事の良し悪しを決めます。その結果、偏見や差別が生まれます。また、自分自身を世間の評判や尺度で測り、劣等感を抱いたり、優越感に浸ったりします。しかし、万物は神様によって創造されました。すべての造られたものを“はなはだ良かった”と宣言しておられます。神様が“よし”と言われるものを、素直に、そのままで受けようではありませんか。無駄なもの、捨てるべきものは何もありません。(KE)

なにひとつ不足がなくなったとしても、平安や感謝、喜びや望みに輝いて生きることにはなりません

8月2日

「もし、あなたの片手が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい。両手がそろったままで地獄の消えない火の中に落ち込むよりは、片手になって命に入る方がよい。」 マルコ9:43

 多くの人は五体満足で、健康や家族に恵まれ、なにひとつ不足がないことを願います。しかし、そうなったとしても、平安や感謝、喜びや望みに輝いて生きることにはなりません。不幸と思われる試練によって、健康や家族を失うとも、そこで謙遜になり、神様の愛を知り、信じるなら、どんなに幸いなことでしょう。(KE)

よみがえられた主は、信じる者たちに力を与え、勝利させて下さいます

8月1日

「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」ヨハネ16:33bc

十字架に非業の死を遂げたイエス様の生涯は、この世の基準で計るなら、敗者というほかありません。世の力を象徴するローマ帝国の権力に砕かれたのですから。しかし、事はそれで終わらなかったのです。よみがえられた主は、信じる者たちに力を与え、世の力、闇の支配に勝利させて下さいます。主を砕いたローマ帝国ははるか昔に消え失せました。(KE)

仕業に報いて下さる神様の前に自分の心を置いてください

7月31日

「隠されているもので、あらわにならないものはなく、秘密にされているもので、ついには知られ、明るみに出されないものはない。」ルカ8:17

 確かに、どんなに秘密を守ろうとしても、必ず、どこかで露見します。人は不思議なもので、“秘密だよ”と言えば、むしろ速く、多くの人に伝わります。それどころか、神様の目や耳をふさぐことはできません。いつでも、どんなことでも、その仕業に報いて下さる神様の前に自分の心を置いてください。人に隠せても、神様には隠せないからです。(KE)

ただ、自分の身勝手なことばかりを祈り求めます

7月30日

「なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。」ローマ8:27b

 私たちは、神様が喜ばれること、神様の願っておられることなど、知ることができません。ただ、自分の身勝手なことばかりを祈り求めます。こんな我が儘なことを神様は聞いて下さるだろうかと、疑問に思うことすらあります。しかし、幸いなことに、神様から与えられる霊、御霊は私たちの気づかないところで、父なる神様にとりなして下さっています。安心して、また確信を持って祈りましょう。(KE)

私にどれ程の値打ちがあり、価値があるというのでしょうか

7月29日

「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。」詩篇8:4

 神様が私のような者に目をとめて顧みてくださるとは、何と驚くべきことではないでしょうか。私にどれ程の値打ちがあり、価値があるというのでしょうか。自分の現実の有様を見るならば、失望と落胆しかありえません。しかし、神様は愛のゆえに、また、神様に似たものとされたゆえに、今日も惜しんでくださって、イエス様によって赦して命を与えて下さっているのです。ただ感謝です。(KE)

主がなさったように、あなたが一方的に“ゆるす”ことです

7月28日

「もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。」マタイ6:14

 神様はまず一方的にあなたの罪を赦してくださったのです。イエス様の十字架によって、そのことを体験するには、主がなさったように、あなたが一方的に“ゆるす”ことです。神様が自分のような汚れた者を赦してくださったと信じて、一歩踏み出して、実際にあなたもゆるしてみると、赦された喜びをあなたは実感するでしょう。(KE)