9月1日
「そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである」。第二コリント12:7
五体満足、欠けた所のない者になりたいと人は願います。しかし、それが人を幸福にしてくれるでしょうか。かけた所があればこそ、謙遜になれます。弱いからこそ他者を思い遣れます。これがなければと思うものがあるなら、感謝しようではありませんか。高慢にならず、他者を思い遣ることができるからです。(KE)
今日の通読箇所
8月29日
「そのみ手のわざは真実かつ公正であり、すべてのさとしは確かである」。詩篇111:7
人の生涯を見ていくとき、不平等だと言いたくなるようなことに、度々遭遇します。しかし平等と公正は違うのだそうです。平等はどんな人に対しても、同じ物を同じように分配すること。対して公正は必要な人に必要な物を分配すること。神様は私達一人ひとりに、何が必要であるかをご存知です。その上で、きちんと帳尻を合わせてくださるお方です。(MK)
今日の通読箇所
8月28日
「あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます」。詩篇23:5
人は不測の事態に陥ると、たちまち慌てふためきます。しかし神様は、敵が目の前に迫ってきているのに、そこで宴を開かれるというのですから豪快この上ありません。どんな中でも、いかようにも事を動かすことが出来る神様ならではです。この方が私達の牧者なのですから、まさに乏しいことはありません。(MK)
今日の通読箇所
8月27日
「あなたがたは、わたしをだれにたぐい、だれと等しくし、だれにくらべ、かつなぞらえようとするのか」。イザヤ46:5
神様は広大無辺な方です。その姿形をすべて見きわめることができません。しかし、人は愚かしくも被造物なるものが造り主のすべてを知りつくそうと、様々な姿形を多様な材料で仕上げたのが偶像と言われるものです。どんな事をしても、神様のすべてを表すことはできません。ただ一つ、あなたが神様を信じるか、信じないか、です。(KE)
今日の通読箇所
8月26日
「主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。あなたはわがすわるをも、立つをも知り、遠くからわが思いをわきまえられます」。詩篇139:1-2
イエス様は世の終りまで共にいると言われます。それは嬉しいことですが、同時に私たちのすべてを見て、聞いておられることにほかなりません。神様には何一つ隠し立てができないのです。私たちの心の隅々まで、言葉にならない先から、すべての思いを知っておられるのです。となれば、ここは居直って、主のみ前にぶっちゃけようではありませんか。心のすべてを。(KE)
今日の通読箇所
8月25日
「イスラエルよ、主によって望みをいだけ。主には、いつくしみがあり、また豊かなあがないがあるからです」。詩篇130:7
イスラエルとは神の民、すなわち御子の血によって清められ、内住の主のみ声に従う民のことです。それはまさにあなたです。人は望みがなければ生きることができません。しかし、主の民にとって、よみがえりの主と共に生きる時、常に永遠の命を望み見ることができます。(KE)
今日の通読箇所
8月24日
「日々にわれらの荷を負われる主はほむべきかな。神はわれらの救である」。詩篇68:19
家康の遺訓に、「人生、重き荷を負うて、遠き道を行くがごとし」という言葉があります。だから、急がずゆっくり行けと彼は言いますが、重荷を代わってあげようとは言われません。しかし、神様は日々私たちの重き荷を負うてくださるとの約束です。だからこれが救いです。今日も主はあなたの重荷を負うてくださいます。あなたの重荷をすっかり委ねてください。平安が得られます。(KE)
今日の通読箇所
8月23日
「しかしイスラエルのさんびの上に座しておられるあなたは聖なるおかたです」。詩篇22:3
この節の前には、神様を見失いかけた筆者の、悲痛な嘆きが謳われています。けれども彼はそのような中でささげる細き賛美をも、主は御自身の栄光の御座としてくださると信仰を持ち、自らを奮い立たせて賛美をささげます。賛美のうちに彼の心は燃え、もはや冒頭の嘆きは見る影もなくなります。これこそ私達に与えられた、賛美の恵み、また力です。(MK)
今日の通読箇所