道を照らし、真理を示すのは神の言葉です

4月8日

「神の言葉はみな真実である、神は彼に寄り頼む者の盾である。その言葉に付け加えてはならない、彼があなたを責め、あなたを偽り者とされないためだ」。箴言30:5-6

 今の時代は、政治・経済・教育・社会生活など、先行き不透明なときです。SNSなどに代表されるメディアを通して人心は荒廃し、厚い雲に覆われた闇の中です。このような時代に生きる道を照らして、真理を指示すのは神様のことば以外にありません。変わることのない真実な言葉を心に置いて、生きてください。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書26章

ヨハネによる福音書6章

どんなことでも、すぐに応答しない事です

4月7日

「愚かで無知な論議をやめなさい。それは、あなたが知っているとおり、ただ争いに終るだけである」。第二テモテ2:23

 売り言葉に買い言葉、しばしば議論は平行線で非難の応酬に終わります。そうならない道は、どんなことを聞いても、すぐに応答しないことです。「聞くに早く、語るにおそくあるべきである」とヤコブ書にもあります。聞いたことをよくよく吟味して、御霊の知恵に満たされて、神様の判断に委ねましょう。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書25章

ヨハネによる福音書5章

聖書の言葉には霊の力が宿っています

4月6日

「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である」。第二テモテ3:16

 聖書ほど不思議な書はありません。被造物である人と造り主なる神様との契約を記したものと言われます。長年にわたって、神様から選ばれ、霊感を与えられた無名の人々によってできたものです。聖書の言葉には霊の力が宿っています。神様のみ心を教え、日々の歩みを導き、光を照らして、慰めと望み、喜びと感謝、安らぎや力を与えられます。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書24章

ヨハネによる福音書4章

神様は心砕ける者と住んでくださいます

4月5日

「主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれたものを救われる」。詩篇34:18

 神様は義なる方、聖なる方です。ですから、罪や汚れのある者と共に居ることはできません。しかし、ただ一つ、神様と共に居ることができる場所があります。「イザヤ書」にもありますが、神様は「心砕けて、へりくだる者」と住んでくださいます。高慢で高ぶる者を退けると言われます。今日も謙遜の限りを尽くして、主と共に生きてください。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書23章

ヨハネによる福音書3章

私たちに心をとめ、報いてくださるのです

4月4日

「主は天から見おろされ、すべての人の子らを見、そのおられる所から地に住むすべての人をながめられる。主はすべて彼らの心を造り、そのすべてのわざに心をとめられる」。詩篇33:13-15

 神様はすべての人を見ておられて、彼らの心を造り、わざに目を留められます。これほど心強いことはありません。ただ眺めるだけではなく、私たちの手のわざ、足の踏む所をことごとく知っておられて、「心をとめ」、報いてくださるのです。だから、何事も隠さず、主の為さるわざに委ねましょう。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書22章

ヨハネによる福音書2章

罪を貯めておくと、人格がくずれます

4月3日

「わたしは自分の罪をあなたに知らせ、自分の不義を隠さなかった。わたしは言った、『わたしのとがを主に告白しよう』と。その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた」。詩篇32:5

 聖書が語る罪は、犯罪を構成するものではなく、自分の心にある自我性、憤り、虚偽、などです。そのようなものを貯めておくと、人格がくずれます。それに気づいたとき、速やかに神様の前に告白して、十字架を仰いで神様のゆるしを確信することが最善です。その時を逃さないで。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書21章

ヨハネによる福音書1章

賢くなりたいと願わなければ変わりません

4月2日

「愚かな者をうすに入れ、きねをもって、麦と共にこれをついても、その愚かさは去ることがない」。箴言27:22

 麦を脱穀するとき、臼にいれてきねでついてやると、実と殻に分けることができます。ところが、愚かな者をどんなにしてみても、麦の殻のようにはいかないと言うのです。愚かな者が自らの愚かさを自覚して、賢くなりたいと願わなければ変わりません。聖書の言葉は諧謔に満ちていますね。このような切り口で世間を見るのも一興です。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書20章

ルカによる福音書24章

不本意に従わなければならない方もいます

4月1日

「すると、御座にいますかたが言われた、『見よ、わたしはすべてのものを新たにする』」。黙示21:5a

 いよいよ今年も4月となりました。この季節は「フレッシュ」と言う言葉がよく似合います。進級、卒業、入学、入社など、すべての人は新しい生活の変化を感じるときです。ただ喜んでばかりにはいきません。意に沿わない、不本意な結果に従わなければならない方も多くいます。しかし、どんな事であっても、神様の為さる業であることを覚えておいてください。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書19章

ルカによる福音書23章

悩みに助けがあれば恐れる事はいりません

3月31日
「わが魂はもだしてただ神をまつ。わが救は神からくる。神こそわが岩、わが救、わが高きやぐらである。わたしはいたく動かされることはない」。詩篇62:1-2

 困難や悲しい出来事など、患難がなければと願います。しかし、多くの場合、願いもむなしく悲嘆にくれることになります。となれば、悩みを避けるのではなく、その事の中にあって助けがありさえすれば、何物も恐れることはいりません。主はまさに私たちの救い主です。この方が守ってくださると信じるなら、どんなことも恐れることはありません。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書18章

ルカによる福音書22章

大切なのは、表に現れない心の中の事です

3月30日

「愚かな者は心のうちに『神はない』と言う。彼らは腐れはて、憎むべき不義をおこなった。善を行う者はない」。詩篇53:1

 公然と「神はない」と言う人はいないでしょう。世間をみると、神社仏閣が軒を連ね、年間の神事や法事が守られ、信心深い人々に見えます。大切なのは、表に現れない心の中のことです。宗教行事が滞りなく行われても、日々の生活のなかで神様を畏れる歩みがなされているか、これが問われています。自らを省みて、人の本分である神を畏れる歩みをしたいものです。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書17章

ルカによる福音書21章