12月26日
「あなたは全き平安をもって、こころざしの堅固なものを守られる。彼はあなたに信頼しているからである。とこしえに主に信頼せよ、主なる神はとこしえの岩だからである」。イザヤ26:3-4
「初志貫徹」と、世間でも言われますが、信仰生活もまた同じです。神様は私たちが信頼する度合いに応じて答えてくださいます。ところが、人は弱くて、移り気ですから、最後まで貫き通すことができずに終わります。それでは神様の恵みを受けそこないます。神様は岩のごとく不動のお方です。(KE)
今日の通読箇所
12月26日
「あなたは全き平安をもって、こころざしの堅固なものを守られる。彼はあなたに信頼しているからである。とこしえに主に信頼せよ、主なる神はとこしえの岩だからである」。イザヤ26:3-4
「初志貫徹」と、世間でも言われますが、信仰生活もまた同じです。神様は私たちが信頼する度合いに応じて答えてくださいます。ところが、人は弱くて、移り気ですから、最後まで貫き通すことができずに終わります。それでは神様の恵みを受けそこないます。神様は岩のごとく不動のお方です。(KE)
今日の通読箇所
12月25日
「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである」。ルカ2:11
2024年のクリスマスおめでとうございます。
神の御子である主が、人の世に来てくださった日、誕生日です。しかし、主の来臨の目的が人の世の罪を除くため、ご自分の命を捨てるためであると知るなら、気軽に喜び楽しむわけにはいきません。主はあなたにとって、真の救い主でしょうか。自分が何から救われなければならないのか、内なるものを探って、心からご降誕を喜ぶ者となってください。(KE)
今日の通読箇所
12月24日
「その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、『見よ、世の罪を取り除く神の小羊』」。ヨハネ1:29
私たちの心を永遠の闇で閉ざしているのは、サタンの力です。その悪に打ち勝つ力は私たちにはありません。主は神の位を捨てて、私たちの内に降り、世の罪をすべて負って十字架に命を捨ててくださいました。その後、死の中より闇の支配者、サタンを踏みにじってよみがえられたのです。主の死とよみがえりに自分を合わせ、一つとなる時、あなたもサタンに打ち勝つことができます。(KE)
今日の通読箇所
12月23日
「すべての人を照すまことの光があって、世にきた」。ヨハネ1:9
今年もクリスマスを祝う時となりました。この時期になると、街路樹や商業施設では、色とりどりのイルミネーションが飾られ、ひと時、暗やみを忘れさせてくれます。しかし、私たちの内なる闇を照らす光ではありません。しかも飾られた光が取り去られると、また深い闇に閉ざされます。私たちに必須の光は神様ご自身です。光は神様のご性質をあらわすものです。御子イエス様は「まことの光」です。今、あなたの心を照らすのは、フェイク(偽物)ですか、それとも「まことの光」でしょうか。(KE)
今日の通読箇所
12月22日
「もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう」。マタイ18:13
神様の偉大さ、大きさ、その規模は到底人の力では計り知れません。そのような広大無辺の方が、失われた一匹の羊を見つけて喜ぶと言われます。なんと細やかで繊細なかたでしょうか。主に養われるあなたを見捨てることを決してなさいません。主がどんなに大切な者と思っておられるかを知るなら、何を遠慮し、躊躇することがあるでしょうか。主のご愛の御手にくつろいで委ねましょう。(KE)
今日の通読箇所
12月21日
「夕べに、あしたに、真昼にわたしが嘆きうめけば、主はわたしの声を聞かれます。たといわたしを攻める者が多くとも、主はわたしがたたかう戦いからわたしを安らかに救い出されます」。詩篇55:17-18
平安であることを願い、痛みや苦しみ、不安や恐れのない生活を求めます。確かにそのようなことがなければ平安ですが、そのような現実はどこにもありません。しかし、神様はあなたの嘆きに、うめきに応えて、その原因を取り除くことができます。この方にすがっていくなら、事があろうとなかろうと、常に平安でおることができます。(KE)
今日の通読箇所
12月20日
「わが目は涙のためにつぶれ、わがはらわたはわきかえり、わが肝はわが民の娘の滅びのために、地に注ぎ出される。幼な子や乳のみ子が町のちまたに息も絶えようとしているからである」。哀歌2:11
最近のニュースは、次々と戦争や紛争、飢餓や飢饉によって命を失う幼児や児童の悲惨な光景を目にすることが多くなってきました。それに対して何もできない無力さを覚え、ただ涙を流し、哀れな光景に胸を突かれる思いがします。しかし、涙も嘆きも事態を変えることができませんが、祈りによって主に期待し、待ち望む信仰にしっかり立つ以外にありません。(KE)
今日の通読箇所
12月19日
「おのれを撃つ者にほおを向け、満ち足りるまでに、はずかしめを受けよ。主はとこしえにこのような人を捨てられないからである」。哀歌3:30-31
不当な苦しみを受ける時、なんとかして自らの潔白を証明しようと焦ります。しかし、そこからは善き結果は出て来ません。なぜなら、受ける苦しみもまた神様の深い御心によるものだからです。主がなさるわざを信じて、ゆだねる時、主はあわれみをもって驚くような憐れみを注いでくださいます。(KE)
今日の通読箇所
12月18日
「主は言われる、わたしは天と地とに満ちているではないか」。エレミヤ23:24b
神様と私たちはそれぞれ異なった存在として相対しているのではありません。パウロはアテネで、「われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである」と語っています。いずれにしても、私たちは神様の強力な霊的磁場のなかに置かれています。それ故、私たちの思考、感情、情動など、あらゆる行動に影響を与えておられます。人は決して神様から離れることはできません。(KE)
今日の通読箇所