6月12日
「あなたがたの神、主に帰れ。主は恵みあり、あわれみあり、怒ることがおそく、いつくしみが豊かで、災を思いかえされるからである。」ヨエル2:13
神様はご愛にみちたお方です。造り主を忘れ、自分を神として傍若無人に振る舞う私たちを耐え忍んで、絶えず救いの手を差し伸べてくださっています。私たちの悩み、苦しみ、困難、失望などすべての災いは、私たちがへりくだった、悔いた心を抱いて神様に帰らなければ決して解決しません。どのような事の中であっても、まず主に帰ろうではありませんか。(KE)
6月12日
「あなたがたの神、主に帰れ。主は恵みあり、あわれみあり、怒ることがおそく、いつくしみが豊かで、災を思いかえされるからである。」ヨエル2:13
神様はご愛にみちたお方です。造り主を忘れ、自分を神として傍若無人に振る舞う私たちを耐え忍んで、絶えず救いの手を差し伸べてくださっています。私たちの悩み、苦しみ、困難、失望などすべての災いは、私たちがへりくだった、悔いた心を抱いて神様に帰らなければ決して解決しません。どのような事の中であっても、まず主に帰ろうではありませんか。(KE)
6月11日
「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい。」ヨハネ8:7
罪を犯した現場で捕らえられた女性を糾弾する人々に対して、イエス様が語られた言葉。他者を非難するとき、人は自分を正しいとしているのです。しかし、たとえ同じ罪を犯していなくても、人は皆罪人であることに違いはありません。主がこの言葉によって語っているのは、裁く人たちの傲慢、高ぶりです。神様の憐みと赦しを受けている自分であることをどんなときにも忘れてはなりません。(KE)
6月10日
「慎んで、み言葉をおこなう者は栄える、主に寄り頼む者はさいわいである。」箴言16:20
聖書の言葉、すなわち聖言は神様から語られるあなたへのメッセージです。普段使っている言葉と違いはありませんが、神様からの言葉と信じて、御言葉によって促され、励まされ、いましめられ、正されるとき、その声に従う者は主から幸いな祝福を受けることができます。みことばを通して、人ははじめて神様と交わり、御心を悟り、心から神様を信頼することができるのです。謙虚になり、主の言葉に聞くものとなって下さい。(KE)
6月9日
しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、『主よ、お助けください』と言った。」マタイ14:30
早朝、ガリラヤ湖でイエス様は水の上を歩いて弟子たちのいる舟に近づいてきました。そのとき、ペテロもイエス様の招きに応えて、舟から水の上に出ました。主の言葉を信じて、主に目を留めているとき、彼は不思議な体験をしました。水の上を歩いたのです。しかし、主から目をそらして周囲の状況を見たとき、沈みかけました。信仰に生きるとはこのように主の言葉に信頼して踏み出すことです。(KE)
6月8日
「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け。」マタイ17:5
父なる神様が弟子たちに語った言葉です。イエス様を「わたしの愛する子」と呼んで、この方に聞くようにと勧めて下さいました。あなたが信頼する相談役はどなたでしょうか。神様のみ子にまさる相談役はありません。いつでも、どこでも、「これに聞け」と言われます。遠慮なく、イエス様を呼び求めて、心の思いを全て打ち明けて、この方に聞こうではありませんか。時機を得た助けを与えて下さいます。(KE)
6月7日
「そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。」第一コリント13:7
素晴らしい言葉ですが、誰がこれを行えるでしょうか。この言葉の初めに「愛は」とあります。それは人の愛ではできません。神様の愛による以外にありません。神様のみ子イエス様をあなたの罪の犠牲として十字架に下された神様の愛を信じて、その愛に感動し、励まされて生きるとき、忍・信・望・耐の四徳が全うされ、この御言葉はあなたのものとなります。限りない愛であなたを愛しておられる主を信じましょう。(KE)
6月6日
「神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。」コロサイ1:13
神様が与えてくださる救いとはまさにこのことです。事情・境遇が良くなること、生活上のさまざまな問題が解決することも幸いですが、それは真の救いではありません。勿論、現実の生活も神様が備えて下さいますが、それ以上に、闇の力、罪へ誘う力から解放されて、イエス様の支配に入れられることです。今日も、主はあなたを導き、守り、支え、顧みて下さいます。主のご支配に委ねましょう。(KE)
6月5日
「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る。」イザヤ30:15
突然、思いがけない事態に遭遇すると、人はうろたえ、慌てふためいて、なんとか解決の道はないものかと当惑します。その結果、とんでもないものに頼って、気がつくとさらに悲惨な事態へと悪化してしまいます。そうならないために、事が起こったとき、まず神様に立ち返り、心を落ち着かせて、主を求めて祈ってください。神様は必ず救いを現し、力を与えて下さいます。(KE)
6月4日
「主よ、わたしは知っています、人の道は自身によるのではなく、歩む人が、その歩みを自分で決めることのできないことを。」エレミヤ10:23
あなたは自分の歩みを自分で決めていると思っているのではないでしょうか。しかし、御言葉にあるように、その人の人生の道は神様によって備えられたものであり、日々の歩みも、主が定められたものです。神様は私たちの思い、思考、心も感情もすべてを知り尽くし、導かれます。自分の思い通り、願い通りにならないのは、神様がお許しにならないからです。(KE)
6月3日
「はじめに神は天と地とを創造された。」創世記1:1
天も地もなかったとき、ただ神様だけがおられたと語っています。森羅万象のすべては神様が存在して、はじめて“在る”ものとなっているのです。あなたという存在も、わたしという存在も、またそれを取り巻くすべてのものも、神様がいらっしゃらなければありえません。そればかりか、あなたの今日の一日すら、神様の存在と深くかかわった事態なのです。私たちの生活、そこで生起する全てが創造者の手にあることを覚えてください。(KE)