5月20日
「わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。」第一ヨハネ4:16ab
今日、あなたがどのような境遇にあろうとも、このみことばのように言い得るならばまことに幸いです。神様は御子イエス様を世につかわし、私たちの罪のために贖いの犠牲とされました。これによって神様は愛を示されたのです。辛くても、苦しくても、十字架を見上げ、神様の愛を信じて生きるとき、神様は愛であると実体験し、主の愛が心にあふれてきます。(KE)
5月20日
「わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。」第一ヨハネ4:16ab
今日、あなたがどのような境遇にあろうとも、このみことばのように言い得るならばまことに幸いです。神様は御子イエス様を世につかわし、私たちの罪のために贖いの犠牲とされました。これによって神様は愛を示されたのです。辛くても、苦しくても、十字架を見上げ、神様の愛を信じて生きるとき、神様は愛であると実体験し、主の愛が心にあふれてきます。(KE)
5月19日
「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。」詩篇8:4
万物の創造者でいらっしゃる神様が、被造物にすぎない私たちのような者に目をとめ、顧みてくださっているとはなんと驚くべきことでしょうか。汚れ無き光のような神様の前に出る資格も値打ちもありません。それどころか、神様に対して敵対し、無視するような罪を犯した者です。そんな者を一方的に愛し、赦し、贖い、今日も命を与え、すべての必要を満たしてくださいます。もったいない恵みです。(KE)
5月18日
「しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった。」創世記19:26
信仰の父と言われたアブラハムの甥、ロトの家族はソドムの町に住んでいました。神様はこの町の悪のゆえに、滅ぼすことにしました。しかし、ロトの家族を憐れんで、御使いを遣わしてソドムの町から救ってくださいましたが、ロトの妻は慣れ親しんだ町に心惹かれて、うしろを振り返って見ました。あなたが過去に心惹かれて後ろ向きになるなら、心は塩の柱になります。後ろのものを忘れて、前に向かって進みましょう。(KE)
5月17日
「民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。」詩篇62:8
人生は悲喜こもごも、様々な悩み、苦しみ、病を通ります。しかし、そのような中にあって、心が動揺しないように、平安を得ることができれば、どんなに幸いでしょう。幼子が親に庇護されて、安らいでいるように、神様を信じて、不安、恐れ、失望など、すべてを打ち明けて、委ねようではありませんか。いつまでも自分で握っていても、なにひとつ解決しません。心を空っぽにしてください。(KE)
5月16日
「主をほめたたえよ。主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。」詩篇106:1
今に至るまで、神様の恵みの中を過ごしてきました。何が恵みだったかと疑う現実があります。しかし、みことばのように、「主は恵みふかく」取り扱ってくださいましたと告白しようではありませんか。これからも、いつくしみ(慈愛)を注いでくださることを信じ続けましょう。あなたがそう信じるなら、主はそれに答えてくださいます。主をほめたたえ、感謝讃美することが私たちの生きる使命です。(KE)
5月15日
「きょうは野にあって、あすは炉に投げ入れられる草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。」ルカ12:28
秋になると、秋の草花が目を楽しませてくれます。その豪華な美しさもわずかな期間だけですが、神様はなんと惜しみなく、美と造形を注いでおられることでしょう。ましてや、限りない愛をあなたに与えて下さる主は、何を惜しむことがあるでしょうか。今日も、主はあなたに豊かな恵みを与えておられるではありませんか。(KE)
5月14日
「わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。」エレミヤ33:3
天地万物の創造者である神様は、あなたに対するご計画を持っておられます。それが何であるか、またそれがあなたの願いに適うかどうか分かりません。しかし、神様はあなたを愛し、恵もうとして、“わたし”に呼び求めよと、しかも、“答える”と言われます。主に祈り求めるとき、あなたの知らない驚くべきことを備えて下さいます。誰彼にではなく、神様に遠慮なく求めてください。(KE)
5月13日
「愚かな人は、すぐに怒りをあらわす、しかし賢い人は、はずかしめをも気にとめない。」箴言12:16
「愚かな人」とは学校の成績が悪いとか、偏差値が低いとかいうのではありません。神様を畏れない人のことです。そのような人は自分のことばかりを考えているので、気に食わないとすぐに怒ります。「賢い人」とは神様を畏れ、敬い、信じる人のことです。そのような人は心広く、寛容で、目先のことに左右されません。神様の報いを望み見ているからです。あなたはどちらでしょうか。(KE)
5月12日
「わたしたちは主を知ろう、せつに主を知ることを求めよう。」ホセア6:3a
あなたの主、主人は誰でしょう。あなたの生活や命を含め、すべてを支配しておられるもの、それが主です。あなたが恐れ、従っているもの、それが主です。神様がわたしの主ですと言い得るならばこれほどの幸いはありません。あなたのまことの主を知ってください。その方がどのような方であるか、あなたをどのように思っているか、深く知ってください。そうすれば恐れや不安などが消えます。今日も、あなたの主を知る一日であるように。(KE)
5月11日
「試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。」ヤコブ1:12
人生には試練や患難を避けることはできません。しかし、なんとか試練を逃れたいと苦しみます。そのような無駄な抵抗を止めて、逃れられないものであれば、むしろその中でしか知りえない世界を積極的に体験しようではありませんか。神様が与えたもうものは何一つ無駄なものはないからです。そればかりか、試練は神様からの恵みでもあります。(KE)