一切を神様のいつくしみと真実のゆえであると信じて、主をほめたたえようではありませんか

5月9日

「主よ、栄光をわれらにではなく、われらにではなく、あなたのいつくしみと、まこととのゆえに、ただ、み名にのみ帰してください。」詩篇115:1

 自分の誉、名誉、名声を求めたいと、多くの人は願います。しかし、神様を畏れるとはすべての恵み、功績、栄誉が主のものであると確認し、主に感謝し、賛美することです。良いと思う事も、悪いと思うことも、今日までの一切を神様のいつくしみと真実のゆえであると信じて、主をほめたたえようではありませんか。自分を誇る時、神様の栄誉を盗んでいることになります。(KE)

神様は必ず罰せられます。しかし、同時に愛なる方です

5月8日

「主はあわれみに富み、めぐみふかく、怒ること遅く、いつくしみ豊かでいらせられる。」詩篇103:8

 神様は人を懲らしめ、罰を与える方だと恐れます。確かに、神様は義なる方、聖なる方、全能なる方ですから、不義や罪をないがしろにすることができません。必ず罰せられます。しかし、同時に愛なる方です。あなたの罪咎を知り尽くして、すでにその怒りをイエス様にそそぎ、その犠牲によって私たちの罪を赦してくださったのです。主はあなたを愛しておられるゆえ、今日も主の憐みと許しを受けて生かされているのです。(KE)

神様はそのような身勝手な者に対しても、「わたしを呼べ」と言われます

5月7日

「悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう。」詩篇50:15

 「苦しいときの神頼み」と世間でも言います。確かに、人は罪なるもので、自分の都合によって、神様を求め、利用しようとします。もし、あなたがそのように扱われたら、憤慨して、相手に“勝手すぎる”と言うでしょう。しかし、神様はそのような身勝手な者に対しても、「わたしを呼べ」と言われます。苦しみ、悩みにあるときこそ、謙遜に主を呼び、助けを求めましょう。(KE)

神様のなさるわざに導かれているのがあなたです

5月6日

「また、自分の頭をさして誓うな。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。」マタイ5:36

 人は時折「絶対できない」とか、「ぜったい有りえない、誓ってもいい」などと、何気なく口にします。しかし、神様の目からご覧になると、まことに滑稽にちがいありません。自分の力でなんでもできると思いあがっているからです。神様こそ、絶対者であって、その方のなさるわざに導かれているのがあなたです。自分を低くして、主の御心のままに委ねてください。(KE)

あなたが祈って選んだ道を主が備えられたものと確信するのです

5月5日

「神よ、わたしの心は定まりました。わたしの心は定まりました。わたしは歌い、かつほめたたえます。」詩篇57:7

 何事にも、心が定まらない時ほど苦しいことはありません。こころが千路に乱れるからです。神様を信頼するとはまさに心を定めることです。幾つもの道が目の前にあるようですが、主が与えようとする道はただ一つです。あなたが祈って選んだ道を主が備えられたものと確信するのです。しかもその確信はあなた自身が信じる以外にありません。祈る時、聖霊はあなたにその確信を与えてくださいます。(KE)

正しい裁きを神様に期待することが信仰に生きる義人です

5月4日

「見よ、その魂の正しくない者は衰える。しかし義人はその信仰によって生きる。」ハバクク2:4

 預言者ハバククは世にはびこる悪や不正を神様が黙って見逃し、何もしないことに憤りを感じました。それで、神様に向かって「なぜですか」と迫ったのです。やがて、主は彼に答えて言われました。決して放置しているのではない。その裁きは必ず臨むと。今の世も同様です。主は善には善を、悪には悪を報われます。正しい裁きを神様に期待することが信仰に生きる義人です。主の報いを信じて、正しく生きてください。(KE)

困難や苦しみを通ることによって目指すべきものが何であるかはっきりします

5月3日

「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。」ヘブル12:2a

 人の一生は暗闇、悲しみ、多くの悩み、病と憤りの中にあると聖言にあります。確かに、何のために生きるのか、分からなくなり、力を失うときもあるでしょう。しかし、人生の終着地は神様のみ許、人の手によらない永遠の家です。困難や苦しみを通ることによって、私たちの目指すべきものが何であるか、はっきりします。また、そこで神様を仰ぎ、主の深い愛にふれて、神様の恵みを感謝・讃美・喜ぶためです。(KE)

自分の心を整える以外にありません

5月2日

「『主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない』と、主にあがなわれた者は言え。」詩篇107:1-2

 人は感謝しようとするとき、感謝の材料はないかと探します。願いがかない、事情や境遇がよくなるなど、何か特別なことがなければ、感謝できないと思うからです。感謝は神様に対して捧げるものです。ありのままの今を感謝して受け入れるには、自分の心を整える以外にありません。神様の前にへりくだるなら、周囲の境遇や環境がどうであろうと、自ずから感謝があふれてきます。(KE)

アブラハムは神様への信頼を行動で告白しました

5月1日

「彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。」ローマ4:17b

 信仰の父とよばれたアブラハムについて語られた一節です。信仰の神髄は、生も死もいっさいを御手に導かれる神様によって自分が今あることを確信することです。愛する子、イサクを神様に捧げるように求められたとき、イサクを失うとしても、それを主の手に委ね、神様は約束されたことを必ず実現してくださると信じました。アブラハムは神様への信頼を行動で告白しました。今日、主はあなたに信仰の証しを求められます。(KE)

人は造られたものですから、神様から一方的に恵んでいただくばかりの存在です

4月30日

「たといわたしは飢えても、あなたに告げない、世界とその中に満ちるものとはわたしのものだからである。」詩篇50:12

 あなたは神様をどのような方と見ているのでしょうか。自分よりも少し力があり、知恵があるくらいと思っているかもしれません。しかし、神様は天地万物の造り主、一つとして欠けるところのない完全な方。ですから、人の助けも、相談相手も要りません。一方、人は造られたものですから、神様から一方的に恵んでいただくばかりの存在です。今日も主の恵みを頂いていることを感謝しましょう。(KE)