与えられたことを忠実に果たすことを神様は求めておられます

4月29日

「小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。」ルカ16:10

 簡単なことや小さな仕事などになると、人は気を抜いて軽くあしらおうとし易いものです。大切と思う事、重要な事には念を入れ、失敗しないようにと細心の注意を払います。しかし、事の大小、鼎の軽重を問わず、与えられたことを忠実に果たすことを神様は求めておられます。小さなことから、大きなことに至るまで、全て神様から委ねられたことです。私たちは神様に対して果たすべき責任を負っているのです。(KE)

主のご愛のみ手に導かれていることを固く信じるなら、安心と喜びを味わうことができるのです

4月28日

「主を恐れることによって人は安心を得、その子らはのがれ場を得る。主を恐れることは命の泉である、人を死のわなからのがれさせる。」箴言14:26-27

 神様を畏れ敬う生活には平安と望みがありますが、主を離れ、ないがしろにするなら、不安と絶望、死の恐れに捕われてしまいます。たとえ、悩みや苦しみ、試練の中にあっても、主のご愛のみ手に導かれていることを固く信じるなら、安心と喜びを味わうことができるのです。今日も、あなたの命を主が握って下さいます。信頼しましょう。(KE)

人生の基礎は神様の言葉、御言葉です。

4月27日

「基が取りこわされるならば、正しい者は何をなし得ようか。」詩篇11:3

 どんなことにも基礎となるものがあります。きちんとした結果を得るにはそれにふさわしい基礎を据えなければ、得られません。人生もまた同様です。人の一生は毎日の積み重ねで出来ています。積み木のように積み上げていくには、しっかりとした土台、狂いのない基礎を築かねば時が経つにつれて、崩れてしまうでしょう。壊れた基礎のうえで正しく生きようとしても不可能です。人生の基礎はどこにあるでしょうか。それは神様の言葉、御言葉です。(KE)

知ることと信じることはまったく別のものです

4月26日

「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』と言うことができない。」第一コリント12:3b

 イエス様を救い主、活ける神のみ子と信じることは、神様から与えられる霊、すなわち聖霊の力と知恵によらなければ出来ません。どんなに難しい学問をやっても、聖書を深く研究してみても、信じることはできません。知ることと信じることはまったく別のものです。だれでも聖霊が注がれるとき、真理を悟り、神様のみ心を知ることができます。あなたが信じているのは聖霊が働いてくださっているからです。(KE)

心を低くして、謙遜になり、主を求めるところに主はおられます

4月25日

「わたしは高く、聖なる所に住み、また心砕けて、へりくだる者と共に住み、へりくだる者の霊をいかし、砕けたる者の心をいかす。」イザヤ57:15

 神様がいらっしゃるところはある特定の場所や建物ではありません。神様が住んでくださるところは“へりくだった”、“くだけた”あなたの心です。自分の知恵、力、わざを誇った高慢な心に、主は留まることができません。心を低くして、謙遜になり、主を求めるところに主はおられます。また、その心に命を満たして生きる者として下さいます。今日も主と共に生きてください。(KE)

人は見える状況、置かれた境遇によって望みを得ようとしますが、それは必ず失望に終わります

4月24日

「わたしは主を待ち望みます。わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。」詩篇130:5  

あなたの望みは何によって得られるでしょうか。人は見える状況、置かれた境遇によって望みを得ようとしますが、それは必ず失望に終わります。しかし、主のみことばに信頼し、神様を信じて、あなたのすべてを主のみ手に委ねてしまうなら、決して失望することはありません。今日もあなたを愛し、顧み、導いて下さる主に望みを置いて歩みましょう。(KE)

自分が愛され赦されていることをしっかりと自覚するほかありません

4月23日

「互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。」エペソ4:32

 あなたにも深い憐みの心や優しさがありながら、変なプライドやしょうもない意地を張って、思いがけずに人を傷つけているのではないでしょうか。自分の中にある愛を呼び覚ますには、自分が愛され赦されていることをしっかりと自覚するほかありません。主はあなたのために、命まで捨てて罪を赦し、愛しておられるのですから。(KE)

ペテロはイエス様を信じる信仰によって立って歩めと、彼を引き上げたのです

4月22日

「ペテロが言った、『金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい』。」使徒3:6

 生まれながら足の不自由な人が生きるために物乞いをしていました。彼はお金がなければ、生きることができないと思っていました。しかし、ペテロはイエス様を信じる信仰によって立って歩めと、彼を引き上げたのです。人の情けに縋って生きていた彼はイエス様の力によって生きる者となりました。これこそ真の自立です。(KE)

今日も主の赦しによってあなたは生かされているのです

4月21日

「彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。」イザヤ53:5b

 イエス様は世に降って、十字架の苦しみを受けてくださいました。それはあなたの身代わりとなって死んでくださって、あなたの罪咎を赦すためです。あなたは死に値するような大罪を犯したと自覚していません。しかし、神様の目、基準に従って裁かれるなら、滅ぼされて当然です。今日も主の赦しによってあなたは生かされているのです。大いに感謝しようではありませんか。(KE)

私たちを恵もうとしているのです

4月20日

「わたしはあなたの神、主である。わたしは、あなたの利益のために、あなたを教え、あなたを導いて、その行くべき道に行かせる。」イザヤ48:17

 神様はあなたの日々の歩みを導いておられます。その導きは“あなたの利益”のためだと。自分自身ではそう思えない現実がありますが、主の導きはまだ途中です。結論・結果はまだ出ていません。最終結果を期待しましょう。神様はご自分の名誉にかけて、私たちを恵もうとしているのです。主は今日もあなたと共にいて、教え、導き、あなたを喜ばせてくださいます。(KE)