今日も天にいます父なる神様はあなたを養ってくださいます

9月26日

「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。」マタイ6:26

 自分の力と努力で生きていると思うなら、大間違いです。今日も天にいます父なる神様はあなたを養ってくださいます。ですから、何を思い煩うことがあるでしょうか。親が子を養うようにあなたの必要をすべて知っておられます。この言葉に続いて、あなたがたは彼ら(鳥)よりも、はるかにすぐれた者ではないかと語られています。(KE)

弱さを知る者ほど、強い者はいません

9月25日

「それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。」第二コリント12:9b  

自分の弱さを認めることは敗者になるわけではありません。むしろ、弱さを知る者ほど、強い者はいません。それ以上弱くなれないのですから。さらに、高慢にならず、謙遜になり、神様の前に自分を低くすることができます。その結果、神様の力を受け、自分のものではない力が現れるのです。弱さ、欠点、不足を感じるなら、感謝しようではありませんか。

喜べないことがあるとき、感謝できないとき、祈ってください

9月24日

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」第一テサロニケ5:16-18a

幸いになる秘訣が三つありますが、その中でも要(かなめ)となるのが“祈り”です。喜べないことがあるとき、祈ってください。やがて喜びにかわります。また、感謝できないとき、祈ってください。感謝があふれてきます。このように“祈り”こそが、あなたに幸いをもたらす秘密のキーワードです。いつも喜んでおれる人は祈りの人です。その人はまたどんなことでも感謝できます。(KE)

信じて踏み出すのです

「あなたの天幕の場所を広くし、あなたのすまいの幕を張りひろげ、惜しむことなく、あなたの綱を長くし、あなたの杭を強固にせよ。」イザヤ54:2

 自分の持っている能力、財力などをあれこれと考えて、これが限界、これ以上は無理だと決めてしまいます。確かに、現実に足をつけて歩むことが堅実な生き方といわれますが、信仰に立って歩む道はそうではありません。荒唐無稽な現実離れをした夢を描くわけではなく、神様の力と知恵に期待して、“であるがしかし” と信じて踏み出すのです。(KE)

本当の命は神様から注がれます

9月22日

「主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす。」エゼキエル37:5

人が生きるのは肉体やそれを支える生活があるからではありません。確かに、それらも別の意味で「いのち」と言いますが、本当の命は神様から注がれます。それはみ言葉を通して与えられるものです。キリストのことばをこころに受け入れ、信じるとき、命が注がれ、血がかよい、力に満ちて、望みを抱いて輝くことができます。なんと枯れた骨が生きる者となるのです。(KE)

へりくだることが難しいのです

9月21日

「主よ、あなたは恵みふかく、寛容であって、あなたに呼ばわるすべての者にいつくしみを豊かに施されます。」詩篇86:5

 神様から恵みを受ける秘訣は、まず主に呼ばわる者であること。へりくだって求める者に答えてくださるのです。それ以外に条件や資格はありません。しかし、へりくだることが難しいのです。苦しみの中、また悲しみのとき、助けを求めることを躊躇します。弱みを見せたくないと思うからです。自分の弱さを認めることがたいせつです。主は心広い方ですから、遠慮せずに主を求めましょう。(KE)

主のご犠牲のゆえに、私たちは赦され生きることができるのです

9月20日

「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」ルカ23:34

 これは十字架に掛けられたイエス様が父なる神様に祈って下さった言葉です。すべての人の罪を負うてくださった主は、今日も、神様にこの祈りによってとりなしておられます。主のご犠牲のゆえに、私たちは赦され生きることができるのです。このような尊い恵みをどれほど感謝しているでしょうか。どのような境遇にあろうと、主の深い憐みとご愛を感じて生きようではありませんか。(KE)

自分は偏り見ることはないと自負することが自己中心の罪だと気がつきません

9月19日

「人の道は自分の目にことごとく潔しと見える、しかし主は人の魂をはかられる。」箴言16:2

 自分のすることはどんなことでも良く見えるものです。同じことを他人がすると“よい”と言えません。しかし、自分は偏り見ることはないと自負します。それが自己中心の罪だと気がつきません。神様は義なる方であり、公平に裁かれる方です。しかも、見えない魂をはかられる方です。自分の罪を認めつつ、主が導かれるところに委ねる謙虚な姿勢を持ち続けたいものです。(KE)

自分の知恵や知識によって、事を計ろうとするかぎり、心からの喜びや平安を決して得ることが出来ません

9月18日

「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」箴言3:5-6

 神様が備えて下さる道こそ、完全で最善なものです。浅はかな自分の知恵や知識、この世の習慣やしきたりなどによって、事を計ろうとするかぎり、心からの喜びや平安を決して得ることが出来ません。まったく主に信頼し、神様の主導権を認めて、主に期待するとき、驚くべき結果を出して下さいます。(KE)

“試みに会わせないで”と祈らずにはおれません

9月17日

「わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。」 マタイ6:13

 「主の祈り」の一節です。人は愚かな者ですから、痛い目に遭わなければ気がつかず、目が覚めません。そうならない前に悟ることが幸いです。ですから、“試みに会わせないで”と祈らずにはおれません。そう祈ってもなお試練に会うとすれば、それこそ神様のみこころではないでしょうか。その中を通らなければ知り得ない何かが隠されているからです。(KE)