10月8日
「おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。ルカ18:14b
衆議院の総選挙を控えて、世間は騒がしくなってきます。選挙では、奇妙なことに候補者の誰もがいかに有能で秀でたものであるか、ある事ない事を含めて自己宣伝します。時に、聞いているだけで、恥ずかしくなります。しかし、これがまさに人の世の姿でしょう。神様がご覧になると、何を思われるでしょうか。(KE)
今日の通読箇所
10月8日
「おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。ルカ18:14b
衆議院の総選挙を控えて、世間は騒がしくなってきます。選挙では、奇妙なことに候補者の誰もがいかに有能で秀でたものであるか、ある事ない事を含めて自己宣伝します。時に、聞いているだけで、恥ずかしくなります。しかし、これがまさに人の世の姿でしょう。神様がご覧になると、何を思われるでしょうか。(KE)
今日の通読箇所
10月7日
「塩は良いものだ。しかし、塩もききめがなくなったら、何によって塩味が取りもどされようか」。ルカ14:34
塩はどんな料理にでも不可欠な調味料です。これに代わるものはありません。もし、塩がその役割を果たさなくなったら、他の用途に転用することもできません。まさに無用のものとなります。神様はあなたでなければならない使命を与えておられます。それが何であるか自覚していませんが、神様があなたを用いておられるのです。(KE)
今日の通読箇所
10月6日
「たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである」。ルカ12:15b
多くの人は、生きるために生活必需品と言われる物を沢山備えておくことだと思っています。しかし、真のいのちに必要なものは物資ではなく、神様から与えられる霊、聖霊に満たされることです。それは神の言葉によって注がれるものです。常に、御言葉を心で繰り返しかみしめて、従うとき、真の命に満たされます。(KE)
今日の通読箇所
10月5日
「しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである」。ローマ5:8
神様の愛は、頭を撫でてくれたり、おんぶに抱っこするようなチャライものではありません。尊いひとり子を罪人の身代りとして十字架の極刑に処する壮絶なものです。そこまでしなければ赦されざる罪人は誰でもないあなたであり、私です。今日も主はご自分の血を携えて、父なる神様に執り成しておられます。主のご愛に心励まされ、前進しましょう。(KE)
今日の通読箇所
10月4日
「彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう」。ピリピ3:21
人となられた御子イエス様は、十字架に砕かれ、死のどん底にくだり、そこから新しい命によみがえられた方です。その力を持って、あなたの卑しいからだをご自身と同じ栄光のからだに変えてくださるとの約束です。感謝しましょう。今日も新しい命に甦る希望をもって生きようではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
10月3日
「あなたは善にして善を行われます。あなたの定めをわたしに教えてください」。詩篇119:68
神様によって人は造られ、その御心に従って生かされています。しかし、試練の中にあるとき、神様の御思いが分からなくて悩みます。その時こそ、神様はあなたに最善を備えて恵もうとしておられると信じるほかありません。なぜなら、神様はあなたを愛しておられる善き方だからです。後になって振り返る時、神様の御思いを悟るのです。(KE)
今日の通読箇所
10月2日
「あなたがたの神、主に帰れ。主は恵みあり、あわれみあり、怒ることがおそく、いつくしみが豊かで、災を思いかえされるからである」。ヨエル2:13bc
神様は人がいかに誘惑に弱いものであるかをよくご存じです。だから、私たちが聖人君子になることよりも、主の道をはずれるとき、素直に悔い改め、主の許しの中に立ちかえることです。今日も主は御傷ある手を広げ、あなたの帰るのを待っておられます。(KE)
今日の通読箇所
10月1日
「われわれがあなたの前に祈をささげるのは、われわれの義によるのではなく、ただあなたの大いなるあわれみによるのです」。ダニエル9:18c
何故、神様は私たちの祈りを聞いて下さるのでしょうか。私たちが神様の意にかなう義人だと言うわけではありません。それどころか、到底祈りを聞いていただく値打ちも価値もない者。ただ神様は一方的に私たちを愛して、大いに憐れんでくださるからに他なりません。今日も、主の憐れみにすがって、祈りを捧げようではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
9月30日
「主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす」。エゼキエル37:5
預言者エゼキエルは山のように集められた骨に向かって、「枯れた骨よ、主の言葉を聞け」と命じました。すると息が四方から吹いてきて、枯れた骨に入り、彼らは生き、足で立ち、群衆となったのです。枯れた骨にすぎない私たちに、キリストの霊が吹き入れられると生きる者となるのです。今日も主の息によって生きる者となってください。(KE)
今日の通読箇所
9月29日
「イエスは彼に言われた、『起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい』」。ヨハネ5:8
38年も病気に悩み、ベテスダの池で水の動くときをただひたすら待ち続けた人に言われた主の言葉。人は固定観念や過去の経験則に縛られて身動きできなくなります。この人もそうです。信仰に立つとは離れられない「床」をまず取っ払うことです。出来る出来ないに関わらず、主の言葉に従う。その時、新しい歩みが始まるのです。(KE)
今日の通読箇所