かなえられないことを恐れて、どこかであきらめているからです

2月14日

「求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。」ヨハネ16:24bc

 求めること、願うことがあっても、素直にそれを現すことが苦手です。かなえられないことを恐れて、どこかであきらめているからです。神様はあなたを喜びで満たしたいと願っておられるのです。また神様はどんなことでもできる方です。しかも、独り子を与えて下さったほどに私たちを愛しておられます。あきらめないで、信じて求めようではありませんか。神様はあなたを喜ばせてくださいます。(KE)

何をもってしても真に頼りとなるものはありません

2月13日

「主に寄り頼むは人にたよるよりも良い。主に寄り頼むはもろもろの君にたよるよりも良い。」詩篇118:8-9

 人は弱く孤独ですから、何かを頼りとし、縋るものが必要です。そのため、まるで朝顔のように、人や物など、どんなものにでも寄り頼もうとしますが、何をもってしても真に頼りとなるものはありません。造られたもののうち、人は全てに勝ったものとして造られたのであって、人を越えるものは神様しかおられません。自分より低いものを頼るほど愚かなことはありません。(KE)

しかし、その時がいつであるか分からないのです

2月12日

「主よ、わが終りと、わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、わが命のいかにはかないかを知らせてください。」詩篇39:4

 この世にあって生きる命はいつまでも続くわけではありません。必ず、終わる時がきます。しかし、その時がいつであるか分からないのです。そのために、人はいつまでも世にあるかのように思い、油断します。いつ、その時が来ようとも、心穏やかに、望みを持ちつつ、主のみ許に帰れるように、日々、備えようではありませんか。(KE)

神様を求める人は自分の罪を知り、弱さを認める人です

2月11日

「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。」マタイ9:12

 確かに、医者を必要とするのは病気の人です。自分が病んでいることを自覚し、治りたいと願う人が医者のところへ行きます。その自覚がない人はいくら病んでいても医者を求めません。同様に、神様を求める人は自分の罪を知り、弱さを認める人です。自分を省みて、不安や恐れ、怒りやつぶやきなどに満たされているなら、それは罪の結果であることを認めて、イエス様を求めて、平安と望み、愛と喜びを取り戻そうではありませんか。(KE)

心に指差しを受けるようなことがあるなら、神様に祈って告白し、主の十字架の赦しを信じてください

2月10日

「その罪を隠す者は栄えることがない、言い表してこれを離れる者は、あわれみをうける。」箴言28:13

 心ひそかにやましい思いを持つ限り、その人には安心がなく、満足もありません。恐れによって心が弱ります。たとえ誰にもわからないと思っても、心に指差しを受けるようなことがあるなら、神様に祈って告白し、主の十字架の赦しを信じてください。そうするとき、神様からの憐みを受け、心は平安と喜び、感謝に溢れ、心が軽やかになります。また、主はあなたの手のわざを祝福して、豊かに恵んでくださいます。(KE)

神様への捧げものとして生きることです

2月9日

「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい。」コロサイ3:23

 今日一日のあなたのわざは誰のためにあるのでしょうか。自分のためだと言うでしょう。あるいは家族でしょうか。しかし、人の生き甲斐は自分や誰彼のために生きることではありません。事の大小を問わず、神様への捧げものとして生きることです。仕事にしろ、遊びにしろ、家事であっても、主のみこころを信じて、主のためにするのです。神様はその労苦に報いてくださいます。(KE)

誇りを持って、慎み深く、自分の「分」をわきまえ、それを果たしましょう

2月8日

「思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。」ローマ12:3b

 自分の「分」を知ることは神様を畏れることです。人それぞれに与えられた使命、役割、責任などがあります。自分の分を知り、それを大切に守ることは他者の領域を尊ぶことにもなります。神様が与えられたあなたの「分」には貴賤上下の区別はありません。誇りを持って、慎み深く、自分の「分」をわきまえ、それを果たしましょう。周囲の人たちと比べる必要はありません。(KE)

神様は一人ひとり、その人の量りに従って取り扱われます

2月7日

「多く与えられた者からは多く求められ、多く任された者からは更に多く要求されるのである。」ルカ12:48b

 人間は全て「平等」だと言います。またそれが正義だと思われますが、必ずしもそうではありません。むしろ、一律に同じ扱いをするのは「悪平等」です。神様は一人ひとり、その人の量りに従って取り扱われます。神様はあなたに期待するところが多ければ多いほど、求められることも大きくなります。今日も主はあなたに何を求められますか。大いに期待されています。(KE)

個人としての歩みが結果となります

2月6日

「罪を犯す魂は死ぬ。子は父の悪を負わない。父は子の悪を負わない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰する。」エゼキエル18:20

 神様が問われるのはひとりひとりの行動と責任です。誰彼のせいにすること、境遇や状況が原因だと逃げるわけにはいきません。ましてや流行や世間に流されてすることも、結果は全てあなたに帰するのです。個人としての歩みが結果となります。私たちは創造者なる神様に対して責任を果たすのです。神様の前に独りで立っていることを自覚して、自らの行動に心しておきましょう。(KE)

神様に思いを向け、望みを置くとき、あなたのうちに力が満ちてきます

2月5日

「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」イザヤ40:31

 人は生きているかぎり疲れたり弱ったりします。殊に、心が萎えて力を失うとき、何によって力を得ることができるでしょうか。五感を楽しませる物質的なものなど全く役にたちません。ただ、神様に思いを向け、望みを置くとき、あなたのうちに力が満ちてきます。み言葉をかみしめ、祈り、主に信頼することこそ力です。(KE)