7月6日
「主よ、われわれをお恵みください、われわれはあなたを待ち望む。朝ごとに、われわれの腕となり、悩みの時に、救となってください。」イザヤ33:2
これは私たちの祈りです。神様の恵みと祝福がなければ、人の力やわざだけで真の人として生きることができません。今の時代は悪がはびこり、暴虐に満ちているからです。神様は日々ご自分を求め、期待して待ち望む者に救いとなり、腕となって、ご自身を現して下さいます。今日も、主の恵みと力が与えられますように、祈り求めつつ歩んでください。(KE)
7月6日
「主よ、われわれをお恵みください、われわれはあなたを待ち望む。朝ごとに、われわれの腕となり、悩みの時に、救となってください。」イザヤ33:2
これは私たちの祈りです。神様の恵みと祝福がなければ、人の力やわざだけで真の人として生きることができません。今の時代は悪がはびこり、暴虐に満ちているからです。神様は日々ご自分を求め、期待して待ち望む者に救いとなり、腕となって、ご自身を現して下さいます。今日も、主の恵みと力が与えられますように、祈り求めつつ歩んでください。(KE)
7月5日
「それは知恵が多ければ悩みが多く、知識を増す者は憂いを増すからである。」伝道1:18
今は情報の時代と言われ、様々な手段で多くの知識や知恵を得ることができます。しかし、その結果、人は不安と悩み、恐れと失望を味わうことも多いのです。確かに、知識があれば未来に備えることができますが、将来は神様の手の中にだけあるもの、決して人の思うとおりにはなりません。知識を増して、神様の領域を侵すことをせず、今日一日、与えられたところを感謝して生きてください。(KE)
7月4日
「主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む人はさいわいである。」詩篇34:8
神様がどのような方であるかを知ることが、まず信頼するための第一条件です。相手を知らなければ、信用したり、信頼したりすることはできません。神様はご自分の方から、イエス様によって愛に満ちた方であることをあらわしてくださいました。悩みや問題の中で、主のご性質である愛を信じて、主の導きに委ねてください。具体的な問題の中で主を求めると、さらに深く主の恵みを味わうことができます。(KE)
7月3日
「主よ、わが口に門守を置いて、わがくちびるの戸を守ってください。」詩篇141:3
“口は災いの元”ともいいます。何気ない言葉が人を傷つけたり、怒りを引き起こすからです。しかし、言葉を制御するのは困難なことです。自分の意志で気をつけていてもできません。語るべきことを語り、言わないでいいことを言わない。こうなりたいものですが、そのためには神様に導かれ、守っていただかねばなりません。一時の感情の吐露に任せると“後悔先に立たず”です。今日も、祈りつつ御霊に導かれつつ語る者となってください。(KE)
7月2日
「わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。」イザヤ46:4
あなたの人生はあなたの努力と知恵、計画とわざで進んでいくのではありません。あなたを造られた神様が、あなたの人生を備え、導き、命の限りを定められるのです。今日も、この主に導かれて生きていることを忘れないで、主に信頼してください。神様はみわざをあなたの上になされるからです。持ち運んでくださる主に期待しましょう。(KE)
7月1日
「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。」ピリピ4:4
誰でも喜んでいたいと願います。しかし、現実の事柄、境遇、状況にあって喜べないでいます。状況や境遇の変化によって喜ぼうとしてもできません。そのような条件はすぐに変わるからです。「主にあって」と言われます。それは喜べない現実を導き、支配し、与えておられる神様に目を向けることです。主はあなたのために命を捨てて愛してくださる方、その方があなたを支えておられることを信じるのです。そうすると喜べます。(KE)
6月30日
「わざわいなるかな、おのが計りごとを主に深く隠す者。彼らは暗い中でわざを行い、『だれがわれわれを見るか、だれがわれわれのことを知るか』と言う。」イザヤ29:15
神様を侮る、ないがしろにするとはまさにこのような態度のことです。人に見られなければ、だれにもわからないと思うとき、人の道が乱れます。あなたを絶えず見ておられる主を自覚するとき、あなたの道も整えられるのです。いつも、神様の前に責められる所の無い者となってください。(KE)
6月29日
「わたしは安らかに伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです。」詩篇4:8
夜、ぐっすり休むことができるのはさいわいなことです。心に思い煩いや、気がかりなことがあると、眠れなくなります。そのようなとき、あなたはどうやって眠りを取り戻すでしょうか。確かに、薬を用いて眠ることも必要ですが、それは安眠というには程遠いものです。不眠の原因を取り除かなければなりませんが、それには神様を幼子のように信頼して、心を空っぽにして主に委ねることです。(KE)
6月28日
「『主は今に至るまでわれわれを助けられた』と言って、その名をエベネゼルと名づけた。」サムエル上7:12
今年も六ヶ月が過ぎ、七月になります。振り返ると、思いがけない出来事に出会い、様々な問題や試練のなかを過ぎてきました。そのときは気がつきませんでしたが、すべてのことの背後で、主はご愛のみ手をもって導いてくださったのです。祭司サムエルはエベネゼルと名づけた石を立てて、神様への感謝とみわざを記念しました。あなたも今日までの旅路を導かれたのは主であると告白し、感謝しましょう。(KE)
6月27日
「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ。」マタイ9:2
文語訳聖書では「子よ、心やすかれ」となっています。“安心せよ”とイエス様が語っておられるのです。今日、あなたの罪が赦されている!なんという驚きでしょうか。しかし、赦された歓喜を味わえるのは、罪を認める人だけです。自分を正しいとするかぎり、このみことばは無縁です。あなたが人知れず抱いている罪を自覚するなら、十字架の主を見上げて、主の赦しを感謝して受けようではありませんか。(KE)