2月2日
「そこで、イエスは話しはじめられた、『人に惑わされないように気をつけなさい』。」マルコ13:5
世の終りのとき、どのような前兆があるかと問われて、主が答えられた言葉です。テレビや新聞、その他情報と言われるものがたくさんあります。不安や恐れがあると、人の言葉や噂に振り回されます。自分だけはそうならないと思っていても、気づかないうちに自分の思いがさまざまな情報に支配されていることがあります。それだけに聞くことには十分注意しておかなければなりません。(KE)
2月2日
「そこで、イエスは話しはじめられた、『人に惑わされないように気をつけなさい』。」マルコ13:5
世の終りのとき、どのような前兆があるかと問われて、主が答えられた言葉です。テレビや新聞、その他情報と言われるものがたくさんあります。不安や恐れがあると、人の言葉や噂に振り回されます。自分だけはそうならないと思っていても、気づかないうちに自分の思いがさまざまな情報に支配されていることがあります。それだけに聞くことには十分注意しておかなければなりません。(KE)
2月1日
「あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」第一コリント10:13c
試練や患難の無い人生を願いますが、それがなければあなたは成長することも、変化することもないでしょう。子供の成長を願わない親はいないと同様に、神様はあなたを今よりももっとよいものにしたいと願っています。主は愛なる方ですから、あなたに最善の道を備えられます。信じて、主のみ手に導かれて耐え忍びましょう。(KE)
1月31日
「わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて、わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる。」エゼキエル36:27
人はただ器にすぎません。そこをサタンの力、罪が支配したので、神様から離れ、呪われたのです。正しい道、主の道に歩めないのは、神様の霊が内にないからです。神様はイエス様によって罪の支配から解放し、それに代えて、神様の霊、キリストの霊を与え、みこころに従う者へと変えてくださいました。主の霊の支配に全く委ねて、そのみ声に従いましょう。(KE)
1月30日
「日々にわれらの荷を負われる主はほむべきかな。神はわれらの救である。」詩篇68:19
重荷を負っているのは自分一人だと思いやすいものです。確かに、困難や苦しみにあるとき、孤独を感じますが、そんなときでも神様はあなたと共にいらっしゃいます。しかも、あなたの荷を負うてくださって。そのことを知らないゆえに、独りで苦しんでいると思うのです。心のうちを主に打ち明け、重荷を委ねて、主の救いを待ち望みましょう。主は今日もあなたの重荷を負うてくださっています。(KE)
1月29日
「見よ、わたしが大いなる苦しみにあったのは、わが幸福のためであった。あなたはわが命を引きとめて、滅びの穴をまぬかれさせられた。」イザヤ38:17ab
人生には苦しみや悲しみを避けることができません。それらは人生を無駄に過ごした時間に思われますが、決してそうではない。神様は苦しみ、悲しみを通して、あなたに何かを教え、あなたを導き、あなたを新しくなそうと願うからです。災いもなく、順調に過ぎることだけが幸いではなく、試練と思える中で思いがけない恵みに出会います。(KE)
1月28日
「神の言葉はみな真実である、神は彼に寄り頼む者の盾である。」箴言30:5
自分を含めて、人の言葉ほど当てにならないものはありません。下手に信用すると、酷い目に遭います。そのため、不幸なことに、言葉そのものを信じなくなります。しかし、神様の言葉、聖書の言葉は、それに信頼して裏切られることがありません。みことばを聞き、そうだなと思うとき、自分の思い・考えを捨てて、その言葉に心をかけてください。それが神様を信頼することです。神様の命と力を体験します。(KE)
1月27日
「すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。」ローマ7:19
人間ほどやっかいなものはありません。自分自身ですら、愛想を尽かしたくなるときがあります。自分は一体何をしようとしているのか、本当に何を求めているのかすら、分からないでいます。自分の心を限りなくシンプルなものに、素直で単純なものにしたいものです。心を複雑怪奇なものにしているのが罪です。キリストはそのために十字架に死んでくださったのです。(KE)
1月26日
「なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。」ローマ8:27b
私たちは神様が喜ばれること、神様の願っておられることなど、知ることができません。だから、自分勝手な事ばかりを祈り求めます。こんなわがままなことを神様は聞いて下さるだろうかと、疑問に思うことすらあります。しかし、幸いなことに、神様から与えられる霊、御霊は、私たちの気づかないところで、父なる神様にとりなして下さっています。安心して、確信をもって祈りましょう。(KE)
1月25日
「神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。」第二コリント1:4
あなたが神様からの慰めを受けるとき、それはただあなたのためばかりではなく、主から受けた慰めを持ちゆく者となるのです。主はあなたに患難を与えて、主からの慰めを体験するようにと期待しておられます。みことばによって、主の慰めを受けてください。(KE)
1月24日
「あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。」マタイ5:14
光は慰め、平安、望みを与えてくれます。神様はあなたをそのような光として世に置いて下さっています。しかし、私たち自身には光源がないので、光ることができません。ただ、月が太陽の光を受けて輝き照らすように、神様からの光をうけて、あなたが輝くとき、人を照らすものとなります。世の人々の目から隠れることはできません。あなたからの光を待つ人々が周囲に沢山います。今日も輝いて下さい。(KE)