主にお会いして良いように、歩みませんか

6月18日

「だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである」。マタイ25:13

 花婿を迎えに出た10人の娘の話です。花婿の到着が遅れて、居眠り、やがて到着の声。気が付くと明かりが消えかかっていた。5人の娘は予備の油を持っていたので間に合いましたが、他の娘たちは慌てて買いに行きますが、間に合わず締め出されます。さて、あなたはどちらの娘でしょうか。いつでも主にお会いできるよう、御霊の光に照らされて日々歩もうではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

エズラ記 8章

マルコによる福音書12章

現実に心がつぶされそうな時、祈る事です

6月17日

「あなたがたは弱った手を強くし、よろめくひざを健やかにせよ」。イザヤ35:3

 日々、元気溌剌、力強く生きたいと願います。しかし、願いつつもそのように続きません。次々と心配や思い煩い、怒りや失望落胆に心が萎えてしまいます。現実の事象に心が押しつぶされた結果です。そのような時、力を得るには祈ることです。心にあるすべてを主に打ち明けましょう。繰り返し祈り続ける時、内なるものはリフレッシュされて、元気が湧いてきます。(KE)

今日の通読箇所

エズラ記 7章

マルコによる福音書11章

人ではなく、神様が万物を導かれます

6月16日

「朝のうちに種をまけ、夕まで手を休めてはならない。実るのは、これであるか、あれであるか、あるいは二つともに良いのであるか、あなたは知らないからである」。伝道11:6

 人は何事をするにも、結果を予測して、事をするか、しないかを決めようとします。しかし、万物を導かれるのは神様であって、人ではありません。だから、いつも意外な結果に驚き、狼狽えさせられます。常に自分で良し悪しを決めず、また結果を想定して力を抜かず、何事も全力をつくそうではありませんか。神様はあなたの納得する結果を出してくださいます。(KE)

今日の通読箇所

エズラ記 6章

マルコによる福音書10章

恵みを得るには、謙遜を尽くして求める事

6月15日

「すると女は言った、『主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます』」。マタイ15:27

 イスラエルではない女がイエス様の助けを求めてきました。主はにべもなく断ります。子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくないと。しかし、この女は犬呼ばわりされてもひるまず、さらに自分を低くして、自分を小犬に見立てて主に迫りました。主は彼女の謙遜の限りを尽くして求める姿に深く感心され、娘の病を癒されたのです。主の恵みを得る道がここにあります。(KE)

今日の通読箇所

エズラ記 5章

マルコによる福音書9章

自分勝手である限り、神を体験できません

6月14日

「彼らは口ではあなたに近づきますが、心はあなたから遠ざかっています」。エレミヤ12:2b

 面従腹背とはこの事です。神様に対してもこのような態度をとっているのでしょうか。主の御声を聞きつつ、実際は自分勝手な思いと願いに従ってやってしまう。そうである限り、神様のご愛、力、知恵などを味わい体験することができません。まさに自分の思いや考えを捨てて、表裏一体となって主に従うことが主に対する真実な姿勢と言えます。(KE)

今日の通読箇所

エズラ記 4章

マルコによる福音書8章

人の中から出るものが、人を汚すのです

6月13日

「イエスはこのように、どんな食物でもきよいものとされた」。マルコ7:19b

 パリサイ人は弟子たちが手を洗わず食事をする姿を非難しました。しかし主は、手を洗うかどうかで食物が清いかどうかにはならないと言われます。主が問われるのは人のことです。人の中から出るものが、人を汚すのです。自分の中から出るものに十分気をつけ、人を汚さないようにしようではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

エズラ記 3章

マルコによる福音書7章

神は造られた物に収まる方ではありません

6月12日

「この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住みにならない」。使徒17:24

 パウロがアテネに初めて行ったとき、偶像の多さに驚きました。その時、集まった人々に神様がどんな方であるかを語ったのです。多くの宗教は必ずそれぞれの祭神を祀る祠や神社仏閣を設営して、まるでそこに住んでいるかのように祭祀を行います。神様は人の手で造られた入れ物に収まるような方ではありません。想像を超えた大きな神様の御手を信じましょう。(KE)

今日の通読箇所

エズラ記 2章

マルコによる福音書6章

イエス様は祈り、神様の御心を求めました

6月11日

「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。マタイ26:42

 十字架に掛かられる直前、主は父なる神様に祈ります。繰り返し祈りつつ、主は神様の御心を求めました。人となり給うた神なる主ですが、私たちと同じように不安と恐れに襲われます。しかし、最後には神様の御手に自分を明け渡しました。受けがたい事態、望まない事に出会う時、御心を求めて、主の御心を確信するまで祈りましょう。(KE)

今日の通読箇所

エズラ記 1章

マルコによる福音書5章

主よと手を伸ばそうではありませんか

6月10日

「イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』」。マタイ14:31

 弟子たちがガリラヤ湖で逆風に悩まされ、進めずにいたとき、波の上を歩いて近づく主に驚きました。ペテロは主のもとに行こうと水の上に出た時、「風を見て恐ろしくなり」溺れかけたのです。その時、主は手を伸べて、引き上げてくれました。今も、目に見える様々なことに恐れて、沈みそうになる時、「主よ、お助け下さい」と手を伸ばそうではありませんか。主はあなたのそばに居られます。(KE)

今日の通読箇所

歴代志 下 36章

マルコによる福音書4章

あなたはイエス様を誰だと答えますか

6月9日

「シモン・ペテロが答えて言った、『あなたこそ、生ける神の子キリストです』」。マタイ16:16

 弟子たちに「あなたがたはわたしを誰と言うか」と問われた時、ペテロが答えた言葉です。この問いは常に私たちにも向けられています。あなたはイエス様を誰だと答えるでしょうか。ペテロのように、主こそ「救い主」、「神」であると信じるなら、どんなに幸いでしょうか。主は神が人となって下さったのです。イエス様を信じることが神を信じることです。(KE)

今日の通読箇所

歴代志 下 35章

マルコによる福音書3章