1月27日
「すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。」ローマ7:19
人間ほどやっかいなものはありません。自分自身ですら、愛想を尽かしたくなるときがあります。自分は一体何をしようとしているのか、本当に何を求めているのかすら、分からないでいます。自分の心を限りなくシンプルなものに、素直で単純なものにしたいものです。心を複雑怪奇なものにしているのが罪です。キリストはそのために十字架に死んでくださったのです。(KE)
1月27日
「すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。」ローマ7:19
人間ほどやっかいなものはありません。自分自身ですら、愛想を尽かしたくなるときがあります。自分は一体何をしようとしているのか、本当に何を求めているのかすら、分からないでいます。自分の心を限りなくシンプルなものに、素直で単純なものにしたいものです。心を複雑怪奇なものにしているのが罪です。キリストはそのために十字架に死んでくださったのです。(KE)
1月26日
「なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。」ローマ8:27b
私たちは神様が喜ばれること、神様の願っておられることなど、知ることができません。だから、自分勝手な事ばかりを祈り求めます。こんなわがままなことを神様は聞いて下さるだろうかと、疑問に思うことすらあります。しかし、幸いなことに、神様から与えられる霊、御霊は、私たちの気づかないところで、父なる神様にとりなして下さっています。安心して、確信をもって祈りましょう。(KE)
1月25日
「神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。」第二コリント1:4
あなたが神様からの慰めを受けるとき、それはただあなたのためばかりではなく、主から受けた慰めを持ちゆく者となるのです。主はあなたに患難を与えて、主からの慰めを体験するようにと期待しておられます。みことばによって、主の慰めを受けてください。(KE)
1月24日
「あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。」マタイ5:14
光は慰め、平安、望みを与えてくれます。神様はあなたをそのような光として世に置いて下さっています。しかし、私たち自身には光源がないので、光ることができません。ただ、月が太陽の光を受けて輝き照らすように、神様からの光をうけて、あなたが輝くとき、人を照らすものとなります。世の人々の目から隠れることはできません。あなたからの光を待つ人々が周囲に沢山います。今日も輝いて下さい。(KE)
1月23日
「シモンは答えて言った、『先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう』。」ルカ5:5
イエス様はペテロに網をおろして漁をしなさいと言われました。彼は主の言葉を信じて、その通りにしたところ、驚くほどの魚が獲れたのです。結果が分かっていて従うのは易しいことですが、漁師でもない人の唐突な言葉に従うには勇気がいります。状況がどうであれ、あなたも主の言葉に従って、驚くべき結果を得て下さい。(KE)
1月22日
「『基が取りこわされるならば、正しい者は何をなし得ようか』と。」詩篇11:3
どんなことにも基礎となるものがあります。きちんとした結果を得るにはそれにふさわしい基礎を据えなければ得られません。人生もまた同様です。人の一生は毎日の積み重ねでできています。積み木のように、積み上げていくには、しっかりとした土台、狂いのない基礎が築かれねば、やがて時が経つにつれて、崩れてしまいます。正しく生きることができません。みことばこそ、人生の基礎であり、土台です。ここにしっかり立ってください。(KE)
1月21日
「全地よ、主に向かって歌え。日ごとにその救を宣べ伝えよ。」歴代上16:23
神様の救い、恵みは、何か特別な事態や事件がある場合だけではありません。また、それは希に起こるようなものでもありません。今日、あなたが生かされ、一日のわざをなし得ること自体が、神様の救いであり、恵みだからです。そのことに、どれほど感謝しているでしょうか。当たり前のことと思っていませんか。毎日、毎日が、神様の救いと恵みに生かされているのです。感謝が薄れて、不平不満、つぶやくなら、恵みの一日が腐ったものになります。(KE)
1月20日
「わたしは知ります、あなたはすべての事をなすことができ、またいかなるおぼしめしでも、あなたにできないことはないことを。」ヨブ42:2
義人ヨブはどうしてこんな苦難を受けなければならないかと、悶々として悩みます。「なぜ?」と問い続けるヨブを、神様は質問攻めにします。彼はまったく答えることができません。ついに、彼は、神様は全能者であり、どんなことでも自由にする権威があると認めました。「どうして?」と問うとき、あなたは神様のなさることを許せないと思っているのです。(KE)
1月19日
「もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない。」第一コリント8:2
人は無意識のうちに知ったかぶりをします。知らないことが暴露されたら、馬鹿にされると思うからです。しかし、神様は天から見ておられて、そのような私たちを笑っておられるでしょう。知らないことを素直に認めて、教えを乞うことのほうが恵まれています。自分は無知であると悟り、知りたいとの願いを持ち、へりくだって求めるなら、その人は大いなる財産を手に入れるようなものです。(KE)
1月18日
「肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。」ローマ8:6
生まれながらの情欲や感情、自我の激しい要求などを「肉の思い」と言われます。一方、内に宿っておられる聖霊は私たちの思いを、神様の思いや願いに導かれます。同じことをするにも、肉の思いに駆られてする場合と、聖霊が導いておられると信じてする場合とでは心の状態がまったく違います。感情や情動によらず、主のみ心を信じて歩むとき、そこには感謝と喜び、平安と望みがあります。主のみ心を祈りつつ進んでください。(KE)