その使命を果たすことが私たちの生きる目的です

8月2日

「それゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果すべき責任を負っている者であるが、肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。」ローマ8:12

 私たちはこの世にあって生きる使命を与えられています。使命を与えたのは神様ですから、神様に対して果たすべき責任があります。自分の欲望を満たし、夢を実現するために生きているのではなく、その使命を果たすことが私たちの生きる目的です。だから、常に自らの生き方を点検して、目的からぶれないようにしっかり信仰にたって歩みましょう。(KE)

イエス・キリストを信じて、み言葉を支えとして生活する時自由闊達に生きることができます

8月1日

「ペテロが行った、『金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい』。」使徒3:6

 足のきかない人が神殿へ向かう道で物乞いをしていました。「歩く」とは生きることです。人は金銀で生きると思いがちですが、それでは自分の足で立てません。いつまでも他人の情けに頼ることになります。しかし、イエス・キリストを信じて、み言葉を支えとして生活する時、何ものにも支配されず、自由闊達に生きることができます。これこそ自立した人の人生です。(KE)

神様の御旨に従おうとすると、様々な障害にぶつかります

7月31日

「彼らは神のほまれよりも、人のほまれを好んだからである。」ヨハネ12:43

 世の慣例に従っていれば、事は順調に進みますが、神様の御旨に従おうとすると、様々な障害にぶつかります。「神のほまれ」か「人のほまれ」か、どちらかを選ばなければなりません。私たちは目に見える結果である人のほまれを好みますが、それは目先のことであって、瞬く間に消えてしまいます。しかし、神様のほまれはすぐそのときに結果が見えませんが、天に宝を積むことになり、永遠の命につながっています。神のほまれを求めてください。(KE)

思いわずらうのは人が神様を押しのけているときです

7月30日

「そんな小さな事さえできないのに、どうしてほかのことを思いわずらうのか。」ルカ12:26

  “小さな事”とは寿命をのばすことです。神様にとって、そんなことはいとも簡単ですが、人にはできません。そうでありながら、いくらかでも自分は出来ると思いあがるため、思いわずらうのです。自分にはなにも出来ないことを認めて、全能者である神様に全面降伏するとき、平安になります。思いわずらうのは人が神様を押しのけているときです。だから、神様は私たちが思いわずらうことを好まれないのです。(KE)

それを信じて具体的な行動がなければ結果を得られません

7月29日

「信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。」ヤコブ2:17

 信仰と言うと、信じれば良いのだから、頭の中でのことと思われがちです。“信じます”と言いつつ、口先ばかりで行動が伴わなければ“信じる”ことになりません。人の言葉を信じるにしても同じです。なにかの約束をしても、それを信じて具体的な行動がなければ結果を得られません。聖書の言葉を信じて、実際の生活や態度を自ら変えようとしなければ単なる“絵に描いた餅”です。(KE)

だから、神様は私たちを捨てることができないのです

7月28日

「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。」ヨハネ15:16ab

 救いを求めてイエス様のもとに来るわけですが、それはあくまでも私たちの理由にすぎません。今、神様を信じ、イエス様に従う者となったのは神様の一方的な選びによるのであり、そうなるようにと、はるか以前から決めてくださったのです。神様が選んだのですから、私たちがどのような者であっても選択責任は神様にあります。だから、神様は私たちを捨てることができないのです。主の選びによることを感謝し、御手に委ねましょう。(KE)

自由であるがゆえにあえて自ら不自由を選び取ることでもあります

7月27日

「わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。」第一コリント9:19

 イエス様の救いによって、完全な自由を与えられました。その意味は束縛がないというばかりではなく、自由であるがゆえにあえて自ら不自由を選び取ることでもあります。自由という言葉に対立するものとして、奴隷と語られていますが、自分の積極的な意思によって奴隷になることを選び取ることができるなら、それこそが完全な自由と言えます。(KE)

神様はさまざまな試練を通して、人の心に潜む動機をも探られます

7月26日

「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである。」エレミヤ17:10

 神様の見るところは人の見るところとは異なっています。私たちはどんなにしても他者の心を知ることは出来ません。外見や外に現れたことしかわかりません。しかし、神様はさまざまな試練を通して、人の心に潜む動機をも探られます。そればかりか、“行いの実”によって報いてくださいます。他者の評価によらず、神様の報いを望んで歩みましょう。(KE)

思いがけない体験や回り道によって、そうでなければ得られない恵みに出会います

7月25日

「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」詩篇119:71

 苦しみや困難にあうことは人生にとってマイナスであって、人生を浪費したような挫折を感じたりします。しかし、どんなことでも無駄なものは決してありません。思い通りに事が進まなくても、謙遜になって、与えられた不幸な状況を感謝して受けるとき、思いがけない体験や回り道によって、そうでなければ得られない恵みに出会います。すべての背後にある神様の愛を知るのです。(KE)

振り返って見ると、平凡な日常に驚くほど多くの恵みが満ちています

7月24日

「わたしに賜わったもろもろの恵みについて、どうして主に報いることができようか。」詩篇116:12

 自分にとって願わしい事態や事が起こると、“有りがたい”と感謝の念が湧いてきますが、何事もなく過ぎていく日々にあっては感謝など忘れています。しかし、ちょっと振り返って見ると、平凡な日常に驚くほど多くの恵みが満ちています。当然のことと思っていますが、神様の慈しみなくしてはあり得ない恵みです。飢えることなく、寒さに震えることなく、今日あることを神様に深く、深く感謝しようではありませんか。(KE)