8月2日
「もし、あなたの片手が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい。両手がそろったままで地獄の消えない火の中に落ち込むよりは、片手になって命に入る方がよい。」 マルコ9:43
多くの人は五体満足で、健康や家族に恵まれ、なにひとつ不足がないことを願います。しかし、そうなったとしても、平安や感謝、喜びや望みに輝いて生きることにはなりません。不幸と思われる試練によって、健康や家族を失うとも、そこで謙遜になり、神様の愛を知り、信じるなら、どんなに幸いなことでしょう。(KE)
8月2日
「もし、あなたの片手が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい。両手がそろったままで地獄の消えない火の中に落ち込むよりは、片手になって命に入る方がよい。」 マルコ9:43
多くの人は五体満足で、健康や家族に恵まれ、なにひとつ不足がないことを願います。しかし、そうなったとしても、平安や感謝、喜びや望みに輝いて生きることにはなりません。不幸と思われる試練によって、健康や家族を失うとも、そこで謙遜になり、神様の愛を知り、信じるなら、どんなに幸いなことでしょう。(KE)
8月1日
「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」ヨハネ16:33bc
十字架に非業の死を遂げたイエス様の生涯は、この世の基準で計るなら、敗者というほかありません。世の力を象徴するローマ帝国の権力に砕かれたのですから。しかし、事はそれで終わらなかったのです。よみがえられた主は、信じる者たちに力を与え、世の力、闇の支配に勝利させて下さいます。主を砕いたローマ帝国ははるか昔に消え失せました。(KE)
7月31日
「隠されているもので、あらわにならないものはなく、秘密にされているもので、ついには知られ、明るみに出されないものはない。」ルカ8:17
確かに、どんなに秘密を守ろうとしても、必ず、どこかで露見します。人は不思議なもので、“秘密だよ”と言えば、むしろ速く、多くの人に伝わります。それどころか、神様の目や耳をふさぐことはできません。いつでも、どんなことでも、その仕業に報いて下さる神様の前に自分の心を置いてください。人に隠せても、神様には隠せないからです。(KE)
7月30日
「なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。」ローマ8:27b
私たちは、神様が喜ばれること、神様の願っておられることなど、知ることができません。ただ、自分の身勝手なことばかりを祈り求めます。こんな我が儘なことを神様は聞いて下さるだろうかと、疑問に思うことすらあります。しかし、幸いなことに、神様から与えられる霊、御霊は私たちの気づかないところで、父なる神様にとりなして下さっています。安心して、また確信を持って祈りましょう。(KE)
7月29日
「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。」詩篇8:4
神様が私のような者に目をとめて顧みてくださるとは、何と驚くべきことではないでしょうか。私にどれ程の値打ちがあり、価値があるというのでしょうか。自分の現実の有様を見るならば、失望と落胆しかありえません。しかし、神様は愛のゆえに、また、神様に似たものとされたゆえに、今日も惜しんでくださって、イエス様によって赦して命を与えて下さっているのです。ただ感謝です。(KE)
7月28日
「もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。」マタイ6:14
神様はまず一方的にあなたの罪を赦してくださったのです。イエス様の十字架によって、そのことを体験するには、主がなさったように、あなたが一方的に“ゆるす”ことです。神様が自分のような汚れた者を赦してくださったと信じて、一歩踏み出して、実際にあなたもゆるしてみると、赦された喜びをあなたは実感するでしょう。(KE)
7月27日
「どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせて下さるように。」第二テサロニケ3:5
心ほど当てにならない、気まぐれな、また、やっかいなものはありません。自分でもどうしようもないものです。愛の忍耐のかけらもありません。しかし、神様がその心を支配して下さるなら、出来ないことはないのです。どうしようもない心であることを認めて、主を求めましょう、「愛」と「忍耐」を与えてくださいと。神様は必ず答えてくださいます。(KE)
7月26日
「神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。」第二コリント1:4
あなたが神様からの慰めを受けるとき、それはただあなたのためばかりではなく、主から受けた慰めを他者に持ち行くことが出来るのです。主があなたに患難を与えられるのは、主からの慰めを体験してほしいからです。みことばによって、主の慰めを受けてください。(KE)
7月25日
「真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。」使徒16:25
ピリピの町で使徒パウロと同僚シラスが捕らえられて、牢屋に入れられた時のことです。彼らは、わが身に降りかかった災難を嘆き悲しんでいたのではありません。神に祈り、さんびを歌い」つづけました。思いがけない悲しみや、苦しみに置かれるとき、どうぞ神様に祈り、賛美してください。あなたは神様からの慰めを受け、思いがけないみ業を体験することができます。(KE)
7月24日
「だから、悔改めにふさわしい実を結べ。」マタイ3:8
人は失敗したり、罪を犯したとき、後悔したり、悔い改めて涙を流します。確かに、その気持ちは真実であろうと思われますが、事がそれだけに終わってしまうかぎり、繰り返すことになります。悔い改めの心を実際の行動に移してこそ、結果が伴うのです。「これではいけない」と神様が導かれるとき、即座に行動を起こそうではありませんか。自分にとって、不利益であろうと、苦しいことであろうと。(KE)