主のため、キリストのために生きる者となるのです

11月12日

「すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。」ローマ14:7

 イエス様を信じて救われるとは、自分の人生の方向が変わることです。かつては自分中心に世界が動いていましたが、イエス様の死と合わせられて共に死んだ私たちは主のよみがえりによって、新しい命に生きる者となりました。それは主のため、キリストのために生きる者となるのです。今日も誰彼のためではなく、主のために生かされる一日です。(KE)

すべての思想の根底にあるべきものです

11月11日

「もろもろの天はあなたのもの、地もまたあなたのもの、世界とその中にあるものとはあなたがその基をおかれたものです。」詩篇89:11

 神様を褒め称える賛歌ですが、これはまたすべての思想の根底にあるべきものです。この土台となるものが欠けるので、世の中は混とんとして、無秩序になってしまいます。個人の生活から、国家社会のあり方に至るまで、徹底してここに立つとき、自ずから事の是非が見えてきます。まずはじめに身近な自分の生き方をこの土台に据えようではありませんか。(KE)

タラントはできる限り主人の意図に従って用いることが期待されています

11月10日

「だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。」マタイ25:19

 主人が旅に出るとき、しもべ達に財産を預けました。やがて、帰ってきて、しもべ達と清算をします。私たちもまたこのしもべ達のように主人である神様の前で人生の清算するときが来ます。なぜなら、私たちは神様から様々なタラントを託せられているのです。そのタラントをできる限り主人の意図に従って用いることが期待されています。自分勝手に浪費することは許されません。あなたは大丈夫ですか。(KE)

私たちのしていることはすべて主のためです

11月9日

「人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく、キリストの僕として心から神の御旨を行い、人にではなく主に仕えるように、快く仕えなさい。」エペソ6:6-7

 この世にあって、人は何かに仕えて生きています。上司であったり、家族であったり、様々です。たとえそれが何であってもイエス様に従うのが私たちの使命です。会社で働くにしても、家庭にあっても、私たちのしていることはすべて主のためです。主に仕える僕(しもべ)であること、報いて下さるのも主であることを覚えておきましょう。(KE)

真実を貫かれる方。この方こそ主なるキリスト、救い主です

11月8日

「たとい、わたしたちは不真実であっても、彼は常に真実である。彼は自分を偽ることが、できないのである。」第二テモテ2:13

 人は真実でありたいと思いつつ、自己保身やメンツ(自尊心)などで不真実な者となります。そのため、イエス様でも自分たちと同じだとして、信用しようとしません。これは不幸なことです。主が不真実な者で時と場合によって言葉を左右されるなら、私たちは何を信じればいいのでしょう。時代を越え、人種を問わず、地域を隔てず、真実を貫かれる方。この方こそ主なるキリスト、救い主です。(KE)

聞いたことを自分自身が直接体験して、実地で知ることが大切です

11月7日

「彼らは女に言った、『わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救主であることが、わかったからである』。」ヨハネ4:42

 新しいことを知るには、それを知っている人から教えられることが一般的です。手引きを受けて大概のことを理解できますが、知ると言うにはまだ不十分です。今度は聞いたことを自分自身が直接体験して、実地で知ることが大切です。信仰も同じく人からの話を聞くだけではなく、実際に体験して悟るとき、あなたのものとなります。(KE)

狭い門からはいる秘訣は自分を捨ててへりくだることです

11月6日

「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。」マタイ7:13

 “狭い門”とは“命にいたる門”でイエス様のことです。イエス様を私の救主と信じることが命にいたる道です。しかし、それはまた人の知識や常識を超えたことですから、多
くの人は信じられないのです。まさに難関と言ってもいいでしょう。狭い門からはいる秘訣は自分(面子や誇りなど)を捨ててへりくだることです。態度がデカく、頭が高いと痛
い目に遭います。(KE)

遣わされた方のみこころを行うことがなすべきことの全てです

11月5日

「わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである。」ヨハネ6:38

 これはイエス様がこの世で生きる姿勢を語った言葉です。これはまた私たちの生き方ともなります。まさにキリストに倣う生涯です。イエス様の救いによって、私たちもこの世に遣わされた者となりました。遣わされた方のみこころを行うことがなすべきことの全てです。自分のため、家族のため、なにかのためではなく、父なる神様のみこころを求めて、使命を果たしましょう。(KE)

信頼し続けるなら、必ずそれに応えてくださいます

「あなたは全き平安をもってこころざしの堅固なものを守られる。彼はあなたに信頼しているからである。」イザヤ26:3

 “こころざし堅固なもの”とは神様に揺るがない信頼を寄せる人のことです。人は一筋に貫き通すことが苦手です。右や左に心が揺れ、惑ってしまうのです。神様は私たちがどれほど真実に信頼するかを見ておられます。どのような事態や状況に置かれても、神様を尊び、信じ、信頼し続けるなら、必ずそれに応えてくださいます。信仰に生きる道にはある意味で頑固さが必要です。(KE)

何よりも大切なのは見えない心が神様の前にどうであるかです

11月3日

「わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いがあなたの前に喜ばれますように。」詩篇19:14

 人はそとの顔かたちを見ますが、神様は心を見る方です。たとえ、外部にあらわれた行為やわざが何ひとつ非の打ちどころが無くても、その心が神様に喜ばれないのであれば、ゼロに等しいと言うべきです。何よりも大切なのは見えるところにあるのではなく、見えない心が神様の前にどうであるかです。神様に恥じない心、素直な砕けた心を常に持ち続けるように努めましょう。(KE)